21日に女子ショートプログラム、23日に女子フリーがある。
トリノオリンピック・フィギュアスケートの話だ。
長野五輪での絶対に金メダルを取れるといわれた純ジャンプの団体のときよりも、その日が来るのを、オレは息を呑んで待っている。
荒川静香。彼女の演技を見たい。彼女の美しさを見たい。彼女の立ち居振る舞いを見たい。彼女の勝ち負けを超えた結果を見たい。協議会とどう立ち向かい、世間とどう対峙し、オリンピックに加熱するマスコミとどう渡り合うのか。
勝ち負けではない。よく聞く言葉だ。では「楽しみたい」のか。この「楽しみたい」という言葉には、「勝ち負け」という考え方の上(勝ち負けに拘っている自分を既に含んだ上)での響きがある。荒川は違う。本当に勝ち負けとは違う輝きを追求している。勝ち負けを超越した未知の世界の、その姿を。たとえテレビであっても、我が目で、見て確かめたい。絶対に面白い。
一九七〇年の十一月。全日本歌謡選手権。本名の松山数夫か、もしくは当時の芸名三谷謙で歌ったのかは知らぬ。勝ち抜きの第二週目に、その男は、大川栄作の『目ンない千鳥』を歌う。その日、その会場である豊中市民会館(大阪府)の廊下で彼は、作詞家の山口洋子と出会う。いや、すれ違う。<番組出場者全員の中で、歌がうまかったというのはもちろん、それよりもマイクロフォンがまるでピストルかナイフのように見えて、男がすべてを賭けて勝負しているといった気迫を感じました>(『涙と笑顔』講談社の中の山口の言葉)
オレはこの本の中の、この言葉がたまらなく好きで、何度も反芻している。
<男がすべてを賭けて勝負しているといった気迫>
それを、その男に惚れ込んだ山口洋子という女が、言葉を何とか紡ぎだして使っている。
五木がどうであれ、歌手となるために付き合っていた女と別れ、野口ジム、徳間康快と言った大物との付き合いも含めたスター街道上の道筋には、そう奇麗事ばかりのはずは無い。それでもいい。それよりも歌を聴きたい。あの男の気迫のすべてを注ぎ込んだ結晶の肉声を聴きたい。五木には魂がこもっている。
随分前に死んだオレのおばあちゃんが五木ひろしのその魂に惚れ抜いていた。祖母は、苦労してきた人間に惚れる感度というものを著しく持っていた。新潟の生まれで、もらわれっ子で、この時代の貧農の子はみな大なり小なりNHKドラマ『おしん』みたいな生活を体験しているから何も珍しくはない。オレと母が札幌の実家に逃げ帰ったときがあった。父の雑な人生につき合わされるのは嫌だった母。それでも「息子(つまり父のこと)を許してやってくれ。戻って来てくれ」と頼みに来たおばあちゃん。その時もいつものように泣いていた。父にタバコの火を押し付けられる度に、やはり泣いていたおばあちゃん。それら全ての膿を噴出させるごとくに、七三年の大晦日、「夜空」で五木がレコード大賞を取った時、文字通り号泣した。
オレは大学には進んでいないが、祖母の死の直前、病室で母は「大学に合格したよ」とウソをついた。そのときオレは能天気に大阪でブラブラとあてどなく生きていた。何で祖母がそんなことに拘っていたのかは、中学を出て歌手になった五木を応援する態度と矛盾するのだが、その人の信じている価値は下らなくとも、そこでは深みや内容は問題にされず、あくまでも強弱だけが問題になる。或いは、自分には果たせぬ「狂気」を、五木に見て、心酔したのであろう。
荒川静香。もうここのところ、NHKスペシャルや、ちょっとしたニュース・ショーやバラエティー番組で、かなり決まりきったパターンではあるが、数限りなく伝えられている。
そう、イナバウアーについてである。
ジャンプの葛西紀明が、まず世界の舞台に名を知られたのは九二年三月、世界フライング選手権で、百八十二㍍を二本そろえて優勝した時のことだ。十九歳であった。翌92-93シーズンのジャンプ週間で総合二位。この時、スキー板の下に顔をうずめる前傾姿勢で、ヨーロッパのマスコミから「カミカゼ」の異名をいただいた。トルネード(野茂英雄)バサロキック(鈴木大地)ライジング・サン(伊達公子)。いずれも日本人は、必殺技を繰り出して、そしてたいていはそれが新しいルールで制限されたり、禁止とされて、そこにドラマが数々繰り広げられていた。
荒川静香のイナバウアーもまた、新しい採点基準の得点としては、低く評価されることになり、窮地に立たされたのだ。それでもイナバウアーを多分、やる。
だから見たいのだ。
世界で初めて「トリプルアクセル(3回転半)」を国際大会で決めた伊藤みどり、同じく世界初の「4回転」を公式戦で決めた安藤美姫、世界初のスロー・トリプルアクセルを跳んだ井上怜奈。バレエの本場のロシアに先んじて、華々しい快進撃を続けている日本のフィギュアスケート界。その中でも、ひときわスケール大きく立ちはだかる巨星のような荒川静香。その最たるしるしがイナバウアーである。
イナバウアーを見ろ。
イナバウアーが見たい。
ジャンプ、ステップ、スパイラル、スピンの四項目それぞれに「レベル1」~「レベル4」の得点を満たす技が規定されている。スパイラルの中で演じられるイナバウアーは、あれほどの美しさにもかかわらず、難度が「レベル4」ではなく「3」なのだ。荒川だけが美しいのかもしれない。
たとえば野球で、ホームランの場合はヒット2本分の価値としていたとすると、それを1本分にされたとき、なおホームランを狙うか、ヒットを狙うかみたいな選択が迫られたようなものだ。
ロス五輪で、体操競技の森末慎二が、鉄棒で、十点満点を獲得し金メダルを獲得する。しかし伸身後方二回宙返りという安全策を使っての勝利だった。大技である三回宙返りを決めなくても満点である十点基準は満たしていたからだ。だが皆、期待していたのは、三回宙返りのほうだった。森末の着地したときの奇妙な笑顔のアピールは、「これで良かったんだ。最高のメダルである金メダルが獲れたんだから」という悲しい訴えにも見えた。
あの笑顔でよかったんだ、と今も森末は「もしかしたら」という疑問を問い返すこともなく、生きているはずだ。或いは、どうか分からないが、意識下にそんな邪念はしまったままのほうがいいのかもしれない。
でも、オレだったら森末にはならなかったはずだ。他人事だからこんなことを平気で書いている。
荒川静香は秘策がある、といっている。コーチも直前になって代えた。
かつて、荒川は、「もうこれでやめることが出来る、と思った」と語っていた。2004年の世界選手権で、金メダルを取ったときのことだ。やっと目指すものを達成したのだ、と。伊藤みどり、佐藤有香につぐ三人目の快挙。
しかし報道陣は皆、次のオリンピックでの金メダルへの期待を口にする。まるで、(たった今終わったばかりの)世界選手権などは、オリンピックに比べれば、前哨戦の様な価値の低いものであるかのような質問が(達成感でいっぱいだったはずの)荒川に浴びせられた。
おかしい。本来は、もう、充分に、やりきった満足感の勝利者に向かって、なぜそんな言葉しか出てこないのか。
だからと言って、オリンピックのメダルを無視した戦いをするわけではない。しかし、メダルと同等の世界選手権のそれを既に掻っ攫っている以上は、別に新たに五輪のそれを付け加えたいという気持ちよりも、やはり、その先に向かっていくはずだ。それは、自らの到達したい美しさ、生き方とぶつかり合って表れ出る迫力、表現力の限界、観るものの心を動かす原動力、その結実点を、その人々が期待する舞台だからこそ、メダルと並存する形で見せ付けてくれると思う。
それを見たい。
新しいコーチのモロゾフは、いくつかの番組を見た限りでは、(NHK杯などで)封印していたイナバウアーをやはり取り入れることにしたようだ。
世界一美しいイナバウアーを入れないわけには行かない。
そう語っていた。
荒川静香自身もまた、いくつもの激しく女のすべてを賭けた言葉を吐いていた。
ポイントにならなくとも、人の喜ぶことをやりたい。
イナバウアーを生かす「トゥーランドット」(プッチーニ)に曲を戻す。
世界の得点規定の流れに逆らって、美しさを追求したい。
ルールを変えるぐらいの勢いで、勝ち負け以上に納得の行く演技に向かう。
得点に繋がらなくとも、観客から賞賛の拍手をされるほうを選ぶ。
記憶に残る演技をしたい。
荒川が21日、その日、ついに現れる。
ちょっと前にショックなことがあった。
オレのやってきた仕事についてである。自画自賛はしないが、少しは意味があると思っている。
オレが書いてきたことで言えば、ある種の世界の人たちを鼓舞してきたことは確なはずだ。少なくとも自負はある。
映画の評論は、アート系(難解でインテリ受けする映画といってもいい)の評論には、一定の読者が付き、したがって需要と供給が成立して、商売になる。しかし、オレのようなⅤシネマといわれるやくざな映画は、見る人はいても、その人たちは文字を読まない。したがって、そのことに関して本を出しても売れない。或いは書く場所がない。したがって誰もやろうとしない。その中でオレ一人が孤軍奮闘してきたことは、見る人が見てくれれば分かる。そのことの評価を抜きに、「お前のやっていること(物書き)はくだらない」とか、「やめろ」とか言われても、判断の根拠がないではないか。
もちろん、学校などで映画の歴史や理論を学ぶ生徒に向けて、啓蒙する映画としてのアート系に比べて、ファン層の確かな感触を見いだされることなく製作サイドからも棄てられてはいる。
オレは、しかしながら、その萌芽は常に出現してきて来ていると感じていて、それがために書き続けてきた。物言わぬ、文字読まぬ人々に、映画を観たいという意識がまだまだ存在するからだ。
そういった切り捨てられていく層と共に、闘ってきた(書いてきた)オレの歴史を、畏敬とはいわずとも、理解ぐらいはして欲しかったわけである。
しかし、
「その(10数年の歴史というか)仕事でいくら(の金額)になったんだ?」
などと言われたら、
カネの多い少ないで、仕事の質も量も測られているみたいで、お前にはそんな基準しかないのか、と思ったよ。
金メダル以上に美しい演技を見たい奴だっている。
チクショウ、オレはオレのイナバウアーを必ず実現して見せる。
荒川静香。金じゃない、メダルでもない。そういうやつこそ、真に彼女のイナバウアーを見てほしい。
もしかしたらイナバウアーを見せないかもしれない。それもまたドラマだ。
人間、何が起こるか、何を起こすか、わからない。
とにかく見ろ。
あれだけ年末の全日本フィギュア選手権(女子)が視聴率を稼いでいたから、とんでもない熱狂になることは確かだろうけど、その本質を見誤りたくはない。
特に荒川静香に関しては。
荒川静香は歴史を変えるし、歴史に永遠に名も記憶も残す。
トリノ。もうすぐ開幕する。
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