2005年9月17日 (土)

不滅の男2

昨日、遠藤賢司について書いたあとから、純音楽とか純映画とか純文学とか、娯楽と芸術、作品の存在や価値について、あれこれ考えた。そこに介在する人間の趣向、主導権争い、作品へのありえもしない期待、夢想、幻想、暴力的な表現欲と、作品履歴欲と、刻まれる(印刷された紙や映像という形で残る)事への欲望。

ヤードバーズだって、たいていの日本人は、『欲望』という映画で知ることになる。それはどうでもいいか。

何が作品足りうるのか。しかしその『作品』という形をどう壊し、作っていくか。

さっきまで信也の番組を見ていたら、TBS「R30」に野沢直子、その裏番組であるテレ朝「虎の門」の司会に工藤夕貴が出ていた。どちらもアメリカ在住で、出稼ぎにやってきているのが見え見えである。そして、それをありがたがって使う日本のテレビ局もまた、アメリカという看板に甘い。

海外渡航が(1ドル360円で費用が高いとか、或いは渡航自体が制限されていて)ママならない時代の昔から、海外通を利用して、作品に取り入れ生かしたり、「世界に通用する何か」を漂わせて、(結局は世界でよりも)日本で商売をしていた日本人を多く見てきたし、それにつられる日本人が多いことも未だ事実で、しかし、海外渡航が珍しくもなくなった時代になって、なおだまされると言うか、甘い基準で、(野茂英雄や坂本龍一ならまだしも)野沢直子や工藤夕貴が、芸能人ひしめくテレビの世界に、帰郷(帰国)のついでのように番組にでる事が出来るのは、どうにも釈然としない。

じゃあ、そこでどれだけの「芸」なり、珍しい海外のお土産を見せてくれるのかといえば、(野沢直子のほうはまあまあとして)とてもじゃないが、見苦しい会話とリアクションしか見られない。

「工藤さんは今、日本でお笑いブームなのは知っていますか?」

「あっ、そうなんですか。一生懸命テレビ見て、遅れないように付いていきたいと思います」

別に付いてこなくてもいいよ。その分だけ、別なところで何か引っ張るだけのものがあるのまら、そっちをもっと磨いてくれれば、それでいいよ。

何か極めた人間が、別な弱点の部分を補うとかいう話とは違うだろう。

で、詩人という領域というか肩書きというか、生き方というか、まあ、いる。

オレの書き始めた出発点である雑誌「映画芸術」(その経緯は、『Vシネマ魂』という拙著のあとがきに書いている)に遊びにいくと、稲川方人がいて、別に呼び捨てにするほど親しくはないし、ひざを交えて話したことも一度もないのだが、昔から「詩の世界」という雑誌を買うたびによく名前を見ているので、勝手に覚えてしまって、黒澤明とか、ブッシュとか、遠藤賢司とか、そうやって呼び捨てにする程度に、まあ稲川方人なのである。

その人が詩人だということは、まあ知っていて、詩人といったら、中原中也とかランボーとか、そんなぐらいしか知らんから、これまた勝手にイメージして、神経質そうにも見えるし、貧乏そうにも見える。

その稲川が装丁をして、郡淳一郎という(この人はオレと哀川翔共著の『哀川翔鉄砲弾伝説』の編集者だ)人が校正をした『詩篇アマータイム』(思潮社)という本が手元にある。

松本圭二という詩人の作品である。しかし、大きなお世話であろうが、一体どのくらい売れ、詩で生活など出来るのだろうか。

その詩を発表しているところが、「ユリイカ」であったり、「映画芸術」であったり、「sagi times」であったり、オレが映画や音楽、文芸批評めいたものを書いた雑誌と随分重なっているから、何か近いものがあるかも知れぬと気にはなるのである。

『媒』という定期ペーパーにその『詩篇アマータイム』という書物についての松本圭二の文章が載っている。

<ほとぼりが冷めるとまた性懲りも無く詩集が造りたくなる。(中略)しかしいつまで経っても可能性の話を巡るばかりで一向に具体化しそうにない。漠然とした可能性だけを信じるために、私はテクストの生成に没入してしまった。最後には思潮社に相談することになる。第三詩集は思潮社刊。著者負担が80万円、定価2000円。部数450。そのうち300部を買い取ることになった。それらをどうすればいいのか。(以下略)>

よく「あなたも本を出しませんか」という自費出版代行会社は、著者負担があるという話は聞いていたが、詩人が本を出すのにも、売れなければ、金が要るのか。考えてみれば当たり前のことかもしれないけど、うまくやる奴は、売れなくても限りなく隙間から本を出し続けるし、また売れてしまえば何でもいいのかというくらい下品で基準の低い本もまた無数に出ていることをいまさらここでオレが言っても仕方がないか。

まあ、オレは幸い、本を全部で6冊出したけど、(自腹はもちろん切っていないし)印税もしっかりと10%いただいている。それが、見方をちょっとずらせば、幸福なことでもあるとは、そんなに笑って話せるものでもないと思うけど、まあ、そうなのかもしれぬ。

しかしその「松本圭二」をニフティで検索すると何件あるか見たら、141件あった。

工藤夕貴がさっきまで出ていた「虎の門」で、ある企画について面白いといっていた。それは、工藤がにわか勉強した過去の「虎の門」の中で伊集院光が提唱したゲームである。

ある名称を検索させて、そこにどんどん文字を加えていくと、検索に引っかかる数がへっていく。「プロ野球」と入れて、そこに「阪神」を加え「プロ野球阪神」、さらに「プロ野球阪神今岡」「プロ野球阪神今岡の打点」と、どんどん対象を狭めていくのである。

そこでの検索数はしかし、有名人の有名度ランクにもまたなっているのである。

たとえば、工藤夕貴で4950件、野沢直子で1920件、「虎の門」にレギュラーのMEGUMIで5万4900件、井筒和幸で1万700件である。

じゃあ、北風史はと入れてみると、これが44件(谷岡雅樹で144件とちょうど100うわまわっている)である。遠藤賢司で3840件。

たまたま「詩」という世界が、売るとか流通させるとかには厳しいのかもしれないが、工藤夕貴の本はどのくらい売れるのか。

『Vシネ血凬録』(河出書房新社)という本がでた時、銀座のある書店では、今売れている本というコーナーに、映画関連では、井筒和幸の『こちとら自腹じゃ』と、そのオレの『Vシネ』が並んで平置きにされていたのだが、あっという間に差をつけられてしまった。

オレの本のほうが絶対に面白い。

まあいいか。

93歳のジイサン(9月15日のblogを参照)が、「カネのものさしだけで仕事をはかるんじゃあねえ! 」と一念発起して生きているわけだ。遠藤賢司が、「ド素人はすっこんでろ」という言葉だけは使うまいとまず決意した、というように、こちとら素人で結構、需給関係の中で、くだらない基準に踊らされるのだけはやめよう。

じゃあ、どうするのか?

それはもちろん考えることからしか生まれようがない。と同時に、仕事は仕事として、この世に成立させていくしかない。

だけど詩人という言葉が、耳について離れない。

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2005年9月16日 (金)

「不滅の男・遠藤賢司」

今日、エンケン映画の試写を見てきた。

そのことについて書く。

Vシネマの現場で、エンケンさんといったら、遠藤憲一のことであって、皆ほとんど遠藤賢司については知らないので、がっかりしたことがあった。

しかし、実際はどのくらいのファンがいるというのか。トリビュート・アルバムが出るぐらいだから、凄いブームが来ていたのかもしれないが、そして、HPの「エンケン秘宝館」を見ると資料も記憶も充実していて、なにやら凄そうなのだが、オレの洞察力が間違っていなければ、著しくマイナーのままであると考えている。

大きなお世話だろうが、マイナーでなければ、あの小宇宙とスピードと、ちょっと舌打ちするような怒りの持続と、そして生半可ではない「頑なさ」は、生まれようが無いはずだからである。

それはまた、オレの事を言ってもいるのだ。

エンケンの前には、カップスも高田渡も、映画を作った。どっちもライブだけでは持たないから(一方はエディ以外は現役とはいえないし、一方も元々オールスター・キャストの中の一部でしかないから)、全篇ライブという作り方にはなっていない。

もちろんエンケンもそういう作りをすれば、もっと味も深みもハプニングも撮ることが出来ただろうけど、だけど、まだ、エンケンは知られてはいない。この歳にして知られてはいない。大きなお世話だろうが、カップスはカップスサイズに収まり、高田渡は、高田渡のサイズで、逝き切っていった。エンケンは、このサイズで語られてしまってはおしまいである。だから「次」を残すためにも、まずはライブ、それも結構中途半端なライブでなければいけなかったのである。

と、オレは思う。

熱狂的な人間はいつもどこかにいて、その人間のアンテナには引っかかる。エンケンは、そこで終わってはならない。

知り合いの映画雑誌に、「次号で、エンケンの映画を取り上げてくれないか」と、誘ってみたら、「もう少し早かったら出来たのに、残念でした。もうページ埋まっちゃいました。そこまで谷岡さんが好きだったとは知らなかった。だったら、もっと早くから用意しておいたのに」とのこと。

オレもなんというか、いつも試写をだらだらと見過ごしてしまう。必ず好きな映画に限って、最終試写まで残してしまう。これがしかしタイミングというものであり、オレは本当にエンケンさんに会いたくて、インタビューしようと思っていたのでもあるけど、一方で、エンケンさんには悪いが、オレがもし書いてしまっては、心中するような気がして、あえて、避けていた気もするのだ。

どういうことかというと、オレの文章は、完成されてはいないけど、ラモーンズみたいに最初は速さを競っていた。誰と競っていたわけでもなく、世界最速を競っていた。文豪だろうが、エロだろうが、スポーツだろうが、どの文章を読んでも、すっきりしない。遅く感じてしまうのだ。じゃあ、オレが書こう。そうしてカメラのシャッターを切るように、人の生き様を切り取っていこうと書き始めた。

そのひとつの仕事の枠内における急ぎ方は、周りにあまり似ている奴がいないとずっと思っていた。そして音楽でいえば、エンケンさんぐらいしか思いつかなかったのだ。

たとえばニール・ヤングならもっと分厚く音をかぶせてしまうけど、一人ではないから、コンビネーション、アンサンブル、コミュニティーに向かう共有感があって、しかしその前に、人間はまず一人であって、一人、道をきわめて、孤独に捨てられる様を、アンド無様を、味わわなければならず、そこでのスピード狂ぶりは、まだまだ誰も満足できないのに、次の段階にいってしまう。オレはいやだ。人がいて生きている、生かされている、というが、そりゃあそうではある。だけど、生かされるのも、許容され、認知されることから、ロボットのように生かされ、奴隷のように生かされ、死までの時間を生かされるだけなら、くそくらえだ。待てよ。待ってみろよ。まず自分で生きてみろ。

オレは胃がんで胃を全部とったけれど、胃の切除手術は、始まって、そう長い歴史ではない。しかも初期は、殆ど生存率が無いに等しく、今だって、全部を取っている奴はそうはいない。またがんに罹る年齢も早い奴ほど進行も速く、逝っちゃう奴が多い。そこで、オレは「史上最長寿の胃無しジイサン」になろうと決めている。この辺の考え方も「史上最長寿のロックンローラー」を目指すエンケンに似ている。

おこがましいが、ダブる部分は多い。

関係ない話だが、「ダブル、オッケー」と、最近のキャノンのCMに出ているシャラポワがやけに目に付く。あのモタツイタしゃべりは、頭がアホなのがばれてしまうではないか。電通か博報堂か知らないけど、悪意でもってそういう見せ方をしているのか、それともどう撮ってもアホなのか。

オレもダブルオッケーな気分で、エンケンと同じスピードで、近寄っていっては、あいつら二人ともバカだ、といわれてしまうようで、それを浅はかにも恐れていたのだ。

もちろん、この映画に関するエンケンを評するいい記事は出るとは思うけど、ただただトリビュートだの、リスペクトだの、カリスマだの、下らん横文字を並べた記事が出るのでは、何がオッケー牧場だか分かったもんじゃねえ。

昔、萩原健一のコンサートを観に行ったら、普段のテレビや映画などで見るショーケンとは違って、妙な空手や自己陶酔したスタイルを押し付ける部分もあって、オレはそこまで乗れたけれど、一緒に言った奴は、明らかに「引いて」いた。

「何か変な宗教に入ったのかしら」とか「麻薬でもやっているのだろう」とか、そういう許容量でしか世間というのは無い。それでたとえば捕まったら、「やっぱり」と。

何が「やっぱり」なのか、説明してみろよ。

などとオレが怒ったら、こいつも同じ穴の狢だと思われるわけだ。

ガンになったときも、自分で自分を褒めてあげたいじゃなくて、やっぱりって思ったよ。それは自分で思うんだからいいんだよ。人が「やっぱり」なんていったら、それこそ何が「やっぱり」なのかって問うよ。

だから、今のところ、エンケン映画についてオレが登場するのは差し控えようと思ってもいたのだ。

シャラポワの、たかがCMの15秒や30秒で、お里が知れたり馬脚が見えたりするように、人間は、ただ会えばいいって物ではない。

エンケンさんに会うには、もう少し時間が要る。タイミングか悪いということは、それだけ神の配剤だ。よかったよ。自分が何者かで無ければ、あったって、お互いが面白くも無い。「何者か」とは、有名無名とか、業績や肩書きとか、そういったことではない。テニスの技術を盗みたい(或いはグラビア写真をとりたい)人間でもなければ、シャラポワに会いたい奴など、そんなにいないはずなように、有名だからって、何者かというわけでもない。

モハメド・アリに「あなた凄いわね。ビートルズと会ったんだってね」と尋ねたら、「それが別にどうってことないんだ。丸いメガネをかけてた男以外は、大したことなかったよ」といってるわけで、ジョン以外は当時のアリにとっては、何者でもないわけだ。

東宝という映画会社の第一期ニューフェースの女優さんの知り合いがいて、当時(特に東宝争議を中心とした団結の時代)から目立つ人物ではあったのだろうけど、彼女に随分とかつての大スターや監督などに会わせてもらったことがある。今は亡き、伊藤武郎、花沢徳衛、山田典吾といった伝説の人物にも、何度も会って、かわいがってももらったのだが、実際自分が何者でもなければ、相手にとっても、やはりそんなに面白くはない。山田典吾監督は、全く現場未経験のオレを助監督で使ってくれるという嬉しすぎるお誘いも頂いたのだけれど、出来もしなければ、場所を汚すだけなのだ。岡本喜八、福田純、川本喜八郎、何回も会ったけど、ろくな質問ひとつ出来ないのだ。三船敏郎の家にも行った。一生懸命、三船の作品全部を見たところで(しかも全部なんてとても見ていない)、その時代背景や特殊な撮影所の中の事情などを知らなければ、相手にとっても下らん質問は失礼だと思う。オレの場合、身だしなみなどでは平気で礼を失することをやる人間ではあるが、的外れな質問をするとか、わかったフリをして相手を霍乱するということはしない。そういう時は、普段はおしゃべりなのだけれども、聞くだけに徹する(但し相手が好きなら)。

池部良、三橋達也、谷口千吉、小泉博、植木等、八千草薫、司葉子、随分と会わせてもらったけれど、だからなんだというだけである。

何者でもない奴が、会って、サインでももらおうというだけなのか。それは別にどんなことについてもいえるのだ。一方、大スターであっても、どうってことない奴もいる。それはみれば分かるよ。ダブルオッケーなんて言ってる奴が、凄い女に見えるかよ。

また話がそれすぎた。

エンケンは、昔から、オレにとってさえ「危ない奴」の一人としてぐらいしか、認識してはいなかった。ところが、八八年十月二十日はオレの誕生日で、テレ朝の深夜番組「プレステージ」のフォーク特集第1弾に、エンケン登場。あれ、まだ現役じゃン。

しかしこのときはそれぐらいの印象であった。梶原しげるが大好きで、まだこのころは梶原茂だったと思う(シーゲル梶原という名で怪しい英会話レコードも出している)が、プレステージを、毎日見ていた。今は国会議員の高市早苗と蓮舫のふたりに飯干(今は飯★)恵子も月曜日だったと思う。梶原の文化放送「本気でどんどん」も最終回まで聴いていた。

そして12月のプレステージにまたまたエンケンが登場するのだ。このときはエンケンとそして加奈崎芳太郎の二人が圧倒的にカッコよかった。

とにかくエンケンの「輪島の瞳」はもちろん、「ほんとだよ」にイッテしまった。

そのときのバージョン(エンケンは、ひとつとして同じバージョンでやらない、それはしかし人間である以上は当たり前なのだが、形に捕らわれている奴は、進歩を考えないから型にはめ込むわけで、結局同じアレンジで退屈そうに歌うやつが多い)は、オレが聞いた中ではライブも含めて一番よく、にもかかわらず、ゲストで聞いていたバカが、終わる直前に、まさにあと弦2回だけ弾くその直前に、拍手を入れ、はっと気づいて、拍手がやまって、2音が入ったあとに、拍手という変な音になってしまったのがとても悔しいのだけれど、一期一会、しょうがない。またあの演奏をお願いしますといったって、できないわけで、だからあれ以上の「ほんとだよ」を求めて、以後、オレは彷徨うことになったのだ。

『ゆきゆきて神軍』という映画があって、待ちきれずに初日に見にいったら、この映画、きっと上映中に警察に踏み込まれて、いきなり上映禁止になるのではないかと不安で見ていた。だからその後1週間の間にもう2回観に行った。必ず見ることが出来なくなると思い込んでいた。

エンケンが2度目にプレステージに登場した時、まさにそう思った。何か途中でCMが入る気がしてしょうがなかった。殺気もあったし、まだこんな奴がいたのか、と思った。

安藤昇が、昔のキネマ旬報のインタビューで、オレみたいな奴があんまりメディアに登場しちゃあやばいでしょう、と語っていたが、エンケンも危険印を貼られるな、とそのときは直感的に思った。

「新宿見るなら今見ておけよ」と、花園神社でやってる頃の唐十郎が言っていたように、エンケンもまさに今だ。そう思って追いかけ始めたのが、その直後からで、アンジー(というバンド)を追っかけていた妻も、エンケンを知って、すぐにオレに合流した。90年代半ば胃がんになるまで、ライブに通った。ファンクラブに入り、斉藤図書之介編集の遠藤賢司新聞「純・音・楽・も毎号とどいていた。妻と二人、大晦日をエンケン・ライブで年を越した。しかし対バンでさえもあまり人は多くなかった。大きな会場では、やらなかった。それも良かった。ライブ会場でエンケンの雑貨がバザーとして売り出されているときもあり、オレは1冊100円のガロのバックナンバーを10冊も買って帰りに難儀したりしたが、やっぱりテレビに出ても、あんまり人は来ないなあ、と思っていた。貧乏人バかリが来ているのか、バザーもあまり売れていなかった。

だけど、そのころのエンケンしか知らないけど、映画を見て、ビックリしたよ。今も全く変わらずに、感性はさらに激しく掻き立てて、技術的にはもっとすごくなって、「紹介」としては充分な映画だったよ。

みな知ったかぶりはするけど、実際ライブにいくと、オレの通っていた時期はずっと人が少なかったから、やっぱり知られているというほどに知られてはいないはずで、本当はそのオレの一番好きな「ほんとだよ」が映画の曲の中にもあれば良いわけなのだが、レイトショーでやるには、このぐらいの時間内で収めてほしいとか、劇場や配給の都合もあるのであろうし、結局規格から外れるわけにも行かず、だったら、「紹介」にとどめておこう、となったのだと思う。そして、それで充分いい。実際ライブのほうがずっといいことは合点百も承知の輔で言うけど、見たことないやつが多いわけで、その人たちへの導入部として、もうこれは仕方ない。「輪島の瞳」も、この映画を気に入った人が、ライブで確かめてくれ。それだけだ。

忌野清志郎が150万円もする自転車を盗まれて戻ってきたというが、この映画の冒頭は、イマワノと大して変わらない(いや正しく見ればずっといい顔をしている)顔のおっさんエンケンが、リサイクル屋で150円ぐらいに値切って買ってきたような自転車で武道館に現れる。何度も被写体にはなっているのに、主演映画もあるのに、その自転車シーンは硬い。だけど、いいよ。

スターリンでも、鮎川誠でも、同じようにライブ一発で映画を一本見せ切ることが出来るだろう。それは、高田渡やカップスとは違う、「実は」という説明抜きの音自体の力がいまだあるからだ。しかし、にもかかわらず、エンケンとの決定的違いは、もう「知られた」という安堵の匂いが漂っていることだ。エンケンの中には、「ただ凄い大物の一人」には決して納まりたくない、未だ主張したりない何かがある。満足できない何かがある。本当は音楽自体どうでもいい、たまたま音楽で表現している、沸き起こるエネルギーの塊、ここでペダルを踏むのをやめてしまっては、その塊が、ただの石ころと化すわけで、そうなっては、おしまいだ。

まだまだ純度が足りない。

エンケンに教えられたのは、いつでもその場で狂え!ということだ。今ここが宇宙の中心である。オレのいるこの場所が中心である。そこから感動の源を生む。作り出す。静かに静かに発想し、いつそれが起こるか分かりゃあしない。

誰だって曲を書いている瞬間がある。それが突然「ストリート・ファイティングマン」であったり、どこの誰にも不評で聴いてもらえない曲もある。

それは文章でも同じだ。大手の大媒体に書こうが、商業誌ですらなく、このただのインターネット上に乗るblogの上のたわごとであってさえ、その傑作はいつ誕生するか分からない。そう思って、その予感に身を震わせながらオレは書いている。

同じだよ。上質の紙の上であれ、ダブルオッケーなアホがふと漏らした言葉であれ、感動する奴がいればそいつにとってのかけがえのない玉なわけだ。

『早春スケッチブック』の山崎努、「8・1/2」のフェリーニ、そしてエンケン、狂えとまともにいった奴は、そうはいない。

何者でもないやつが、ただ言ったからってしょうがない。

オレも、その「狂え!」が、照準を合わせ、ぴたりと歴史を呼応する瞬間を求めて書いているのである。

だから、それまでエンケンさんには会わない。

映画のラストシーン、エンケンはありがとうと言ったあと、また会おう、と続けた。

そうなのだ。この映画、また会うためのプレステージであったのだ。

そう思って見てほしい。

そのあとは。

いうだけ野暮だ。

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2005年9月10日 (土)

レイ・その2

自らの中にある汚れたもの、邪悪なもの、修羅のものをどう昇華するか。

大阪府池田市の小学校を襲い死刑となった宅間守という男の描いたへたくそな絵が、かつて何枚かテレビで大写しにされたことがある。その絵を見て、自分は「アッ」と思った。あまりにもオレの描く絵に似ているのだ。絵でも文章でもうまくなるに従って、ある種統一されてくるというか、大まかに「**みたい」と言うことができて、そうでないものが個性的に新しい位置を獲得する。しかし、下手なものは、大体がどれもばらばらで、似ることはあまりない。ただただ下手なだけであり、粗雑に散らばって存在する。ところがオレと宅間の絵は似ているのだ。

ビックリしたのはさらにそのあとで、妻もまさしく「アッ」と思ったのだ。オレの絵に全くソックリだ。そしてさらに考えたのが、そっくりな絵を描くのと同じような考えをどこかに隠し持っているのではないかということだ。

いや、そうかも知れぬ。それほどに似ている。そしてあんなに似ている絵を見たのは、自分の絵で以外はない。しかもそのあとも自ら(下手な)絵を描いてみると、やはりあの絵と同じ絵を描いてしまうのだ。笑ってしまうほどに似ている。

実は、昨日、レイ・チャールズについての文章を書いてからずっと、寝覚めが悪いというか、しっくりと来ないのだ。

神波史男という脚本家がいる。『仁義なき戦い』でお馴染みの深作欣二監督と最も多く仕事をしたシナリオライターで、深作のデビュー作から書いている。この人はしかし、シナリオという座業に似合わず、この歳(今年で68歳)にして今なお、夜毎飲み歩き、挙句に若いチンピラ相手にけんかをしてトラ箱に入ったり、スキーや野球といったスポーツを、陸上部仕込みの足を生かして未だ精を注ぐ、体育会系である。体も細く、その目は内田裕也そっくりの鋭く絡みつくものがある。氏より、北風史の名前の「史」を頂いているオレにとっては師でもあるのだが、彼から、何度も言われていることがある。

「貴兄(あなたと言っているのだが、手紙で来る時は貴兄と書いてあるので、こう書くが、実際は、英語で言うboy!ぐらいの感じである)の文章は、全否定の上の一瞬の肯定だ。そこが貴兄のやさしさでもあるのだろうけど、その肯定は読者が気づこうが気づくまいが、無理に出そうとすることはない。全否定で突っ走れ。そして全否定の中にわずか見いだすことができるくらいでもいいから、肯定があればいい。だからとにかく突っ走れ」

これは、いわば逆説的な言葉であって、お前はもう少し優しくなれ、といわれているのだ。

それは重々分かっている。神波史男の作品自体が、硬質な修羅丸出しで突っ走っていて、競作することで、或いは監督のバランス感覚によって、鎮められ、ブレンドされている。深作欣二は、アメリカン・ニューシネマであり、もっと言えばペキンパーである。それは、新しい秩序を持たない程度の破壊の仕方であり、ヒッピー文化とかドラッグ文化とか、巨大な体制内でのわがままの域を超えない。本当に全否定したならば、その後の世界の責任を取らねばならず、じゃあ、何かあるのかい? といわれると、しどろもどろになるのが、70年代までの左翼運動に群がる人間のおおよその中途半端な叫び声の真相である。深作もまたそうである。だからこそ、神波史男を制御できたのだ。

深作欣二は、田舎で空襲を受けて、死んだ友の肉片を拾い云々という話を、戦時下のつらい記憶として語るけれど、実際は、貧農の生まれでもないわけで、父は茨城県の農事指導者という、ちょっとえらそうな家の少年だったわけだ。そして水戸第一高という県下一の進学校に通い、日大の芸術学部に進学する。肉片の記憶は、左翼エリートが、労働者階級を持ち出すのと同様に、体のいいブレンドで、神波史男の荒れ狂った筆に対して、一筆入れたその様であるともいえる。

だが、神波史男は荒れ狂えというのだ。やさしさなんか見せないでいい。心にそれがあれば気のすむまで荒れ狂えばいい。

そうなのだ、下手に分かったようなやさしいことを書いてしまえば、今まで聴いてもみなかったレイ・チャールズを、もう聴くことはないだろう。それではしょうがない。レイ。南部の黒人ばかりの中で育ったレイ・チャールズと、シカゴという白人の多い中で黒人を意識して育ったクインシー・ジョーンズとは、公民権や他ジャンルとの融合に、逆に目覚めるのが無理だったのかも知れぬ。ハリウッド・バビロンの中で生まれ育ったロウエル・ジョージが、ブルースに鋭く傾倒していったように、どっぷりとその中に漬かっていたからといって、その代表者としての意識が芽生えるわけでもないのであろう。

「ホワット・アイ・セイ」の凄いところはシンコペーションなんよ、と鮎川誠は言っている。二拍に一回のシンコペーションがブードゥーの効果を生む、と。

今日から、聴く。ビリー・ホリディの時代とも、オーティスが活躍した時代とも違うビートルズ出現以前の時代。そしてスティービーなどが現れ、今なお生きている時代に、一線とはいえない位置で、どう生きてきたのか。

神波史男だって『華の乱』(88年)以降ロクな仕事をしていないだろう、と言われると、「そんなことはない」とつい反論したくなるような、そしてこののち、もうすぐにでも「A BIGGER BAN」を発表するかもしれない、と言いたいように、レイ・チャールズだって言いたいことは山ほどあるはずさ。

ニューオーリンズの町で、はじめは市の言うとおりに、車で郊外へと脱出を試みるも、その車はボロで、故障しがちで、大渋滞の中ではとてもモタナイ代物で、結局は途中から引き返し、中心部のフレンチ・クォーターにあるホテルに戻った女性がいた。しかしそこも水があふれてきて、死体の浮く中を首まで漬かりながら必死で歩いて高いところを目指し、やっと高速道路の上まで辿り着くも、救援が来ない、夜が来て、朝が来て、寒く、また暑く、水もない。そして5日間やってこなかった。結局スーパーから食料を調達したのか? と記者に質問され、ほかにどうやって生きるのよ? そう言った。

盲目で、黒人で、新種の志向があって、ほかにどうやって生きるんだよ。

そういう汚れた部分が、しかし肯定することなく、胸のうちにあったのではないか。

記者はそこで呆然とするけど、オレは記者じゃないから、呆然としない。(戦後の窮乏期に配給米を拒否して死んだ裁判官とはちょっと違うと思うけど、それでも)食わずに耐える方法をどこまでも考えたのかは問いただしたい。しかし死ぬなら、食うよ。

どこまでなら食わず、どこから食うのか。そんなものは個人個人で決める。細木数子に若い女が、どこまでが体罰でどこまでが暴力化なんて聞いていたが、下らんことを聞くな。愛情しだいだよ。と答えていた。

レイ。歌うのも愛情、聴くのも愛情。文章も愛情しだいだよって、宅間守の絵もまた愛情次第なのか。突っ走り切る。

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2005年9月 3日 (土)

A BIGGER BANG

八月三十一日に、八年ぶりに発売されたストーンズの新作アルバムを聞いていいる。聞きまくっている。

奥山貴宏という人がいる。いや、いた。

オレが知ったのは「ジェネジャン」という番組をみてからである。その後、NHK教育テレビ「ETV特集」でも見た。それは死後であった。

ガン、特に末期ガンに罹った人は、「俺は死にたくないよ」と、苦しい気持ちや危機的状況をわかってもらおうとするか、「俺は死ぬよ」とわかってもらえないことを引き受けるかの、どちらかの態度しか基本的には、とりようがない。

しかしどちらの態度をとるにしてもテクニックが必要だ。自分で意識はしていないが、しかしテクニックがいる。それが成功しても、かわいそうな自分に酔っ払ってしまって、自己暗示を自らかけたことになったり、失敗すればしたで、やはり死が近いというみすぼらしさの自分を意識して、今度は孤独に対処していくしかない。

奥山は、「ジェネジャン」の出ることによって、或いはそれ以前のブログで、態度のとり方において、半ば成功し、半ば失敗している。

人に知られるということは、結局、嫌味な部分も知られるということだ。或いは、嫌味であることがバレてしまう。或いは発見されてしまう。そうなってしまうのは、発見するような奴にまで見られて(知られて)しまうからなのだが、それは仕方ない。しかしできることなら見られたくない。しかし見られなければ、知られもしない。

死はそのジレンマごと掻き消した。

なぜそんなに彼について気になったのか。
余命わずか、ガン末期の「オレ」が語るバイク、ドラッグ、クラブ、そして友人、余命二年を宣告された著者が、闘病記「31歳ガン漂流」「32歳ガン漂流エボリューション」につづけて放つ自伝小説。

これが『ヴァニシングポイント』の紹介文であり、出版は四月十四日、死んだのは四月十七日夜のこと。

七一年宮城県生まれ。〇三年に「31歳ガン漂流」(ポプラ社)。

それで、オレも、六二年北海道生まれ。〇一年に「三文ガン患者」(太田出版)。

その帯文であるが、以下の通り。

『Vシネマ魂』で知られる映画評論家が、「32歳・胃の全摘出手術」という体験の中から叩きつける、型破りの闘病レポート! 

まあ、そんなオレは、そんな彼が気になるのであった。

それで、奥山貴宏は、『スターウォーズ』の最終作が見れるかどうかを気にしていた。結局見ることは出来ず、今、日本では大ヒット公開中だ。

オレの場合も、九五年にガンに罹り、『男はつらいよ』シリーズが最後まで見られるかを心配していたら、ナント寅さん(『男はつらいよ』の主演俳優・渥美清)のほうが、九六年八月四日、先に逝ってしまった。

まあ、寅さんも最終作まで見ることができたことだし、思い残すことはそうない。

そう思っていた。

ストーンズに関しては、『刺青の男』が最後の傑作で、そのアルバムを引っさげてのアメリカンコンサート81が最後の華で、その記録をまとめた映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』が、ビとるズファンをも含めての最後のイベントであり、プレゼントであり、一線を退く表明のように思えたものだ。

『刺青の男』までは全部が全部(「やぎのおつむ」など一部を除いては)傑作といえる作品群である。オレが繰り返し聞いたのは、『レット・イット・ブリード』と『ベガーズ・バンキット』と書いたら、なんだか宮谷和彦(ストーンズフリークで知られる漫画家)みたいではないか。

その日、札幌劇場のあたりを友達とうろうろしていたら、人だかりが出来ている。あっ。忘れていた。『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』の試写会だ。

友達に向かって「オレ家に帰るわ。きっとチケットが、当たっているはずだから」

「まさかよ。今日の朝届いてなかったのに、今帰ってあるわけがないだろう」

「いや、ある」

オレは賭けた。届いているほうに賭けた。そして駆けた。バス停めがけて全力疾走して駆けた。

いつもは町(札幌の市内)から家(当時おじさんの家に預けられていた)まで歩いて帰っていたのだが、もう間に合わない。急いでバスで帰ったのだった。

果たしてチケットは到着していた。

今でも封筒だけは持っている。STVラジオの八三年五月十八日の消印。支社上は、ケチ臭いことに、係りの人はくれなかったので、手元にはない。オールナイトニッポン15周年アニバーサリー・オートラマ・スペシャルプレビューだ。

その日以来、何度見たことか。数限りない。

そしてストーンズはなおもアルバムを出し続け、『刺青の男』を越える出来の作品はなかったが、そこそこビックリはさせた。決して昔の名前では出していない。現役感を出しつい付けてはいた。

しかしなんというか、今の巨人の工藤公康みたいな感じで、かわすピッチングではないけれど、四十二歳のわりにはよくやっている。そういう凄さであった。

工藤と同い年のランディ・ジョンソンやひとつ年上四十三歳のロジャー・クレメンスの様な、余力を残した馬力が見えるわけではなく、いっぱいいっぱいという感じがもう見えていて、おつかれーライスという凄さのアルバムが続いた。勿論何度でもいうが昔の名前で出ているわけではない。

クレメンスのメジャーデビューは、『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』公開の翌年の八四年で、ランディはもっと後である。それら二人がもう、今や現役最後をかけて戦っていて、(お世辞を抜きにしてあえて言えば)それら二人よりもさらに過去形を漂わせきっているのがストーンズでもあった。

だからか、ストーンズ狂で知られる中野D児(AV監督)も、その類まれなるストーンズ・コレクションを(自らの)貧困がゆえに手放したと、確か『ビデオ・ザ・ワールド』で読んだ。

遠藤賢司のコンサートを池袋「サイバー」に観に行った時、ニュースなどとともに、前座で中野D児のバンドが登場したのには驚いた。ただ、驚いただけで、お経を唱えるようなポジティブパンクで、少々退屈した。コレクターしてるほうが、いや、SM撮ってるほうが、D児はずっとカッコイイ。

そのD児が、コレクションを諦めたぐらいであるから、まあ、ストーンズの賞味期限もここのところ、大団円に向かって、赤いチャンチャコの用意だなあ、なんて思っていた。

こちトラ、一応、ご祝儀のようにしてアルバムが出るたびに付き合ってきたが、これが最後であろう、なんて思って買ってきた。ご祝儀といっても、こちらは貧乏、一方ミック大王は、オレが一生かかってやるだけの稼ぎを、オレがCDを買う手間ぐらいの時間でやってしまう。だから祝儀はこっちが貰いたいくらいだが、まあ、相変わらず、工藤公康の投げっぷりを見よう。そんな気持ちであった。

ところがどっこいきっちょんちょん。

ランディだ。クレメンスだ。いや、マリナーズの新星フェリックス・ヘルナンデスだ。

こりゃ、当分、聴き応えがあるワイ。

一体どうなっちまったんだ。終焉した寅さんにも、『スターウォーズ』の最後に間に合わなかった奥山貴宏にも、いいたいよ。

先に逝ったものには気が引けるが、生きててよかったよ。

そんなアルバムである。クレメンスと同じ四十三歳、オレまだ生きてます。

いかにもというストーンズファンは、これまでも騒いできたが、それが本気だったならば、このアルバムを聞いたならば死ぬんじゃないだろうか。

縁起でもないか。

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