2006年8月10日 (木)

ある俳優

俳優のインタビューをするのは実は好きだ。

そして少々の自信はある。

なぜなら、たぶん自分の中にある、「生きる」方程式と、似た部分を操作しながら、その成功例を少しでも勉強させていただく、というこちらの目論見に、残念ながら、まんまと彼ら、彼女ら「俳優」というものは、乗ってきてくれる。

そういう商売だから、という悲しいサガを見るときもあるし、それは人間が生きて活動する、むしろ根源的な、それでいて俳優にしか許されない特権だから、という羨ましさとして実感するときも両方ある。

いずれにしてもオレは、俳優というものが好きなのであろう。

俳優以外には、この手法は、あまり通用しない。

とはいえ、一般の人でも、何でも、その世界で「有名」(商店街のリーダーとか、囲碁の集まりで強いとか)であることに、照れと誇りがない人はいない。

ねっとりと絡みつくようにオレを睨みつけ、全く(インタビューアーとして)信用などしないぞ、と構えている人でも、「生きる」という活動は、他人の中に証拠を残す、記憶として刻印する。それが出来れば、自分のイメージする姿に近いものとしてあって欲しい。そう願っているものである。

せめて、このオレに、わかって欲しい、と思ってもらえるように、つまりは、オレに対して、「こんな奴に何を言ったところで、どうせ分かりゃあしないだろう」と思われさえしなければ、糸口はあるという事だ。

それだけ孤独に、モノ欲しそうに、人間に興味を失っていない姿勢を、身体からオレが発していなければならない。

そのことに多少は、人よりもお節介で、人よりも興味津々屋だ。

色々な人のインタビュー記事を読むのも好きだ。

その取材にどれだけ時間をかけているか、何を目的としているかを、しっかりと読み取り、対象(俳優)の妙、より以上に、書き手の温度と粘り、生き様を見ていく。

少なくとも、それほどに、いいインタビューはない、と我ながら思う。

これは、世間知らず、恐いもの知らずの戯言だと思ってくれ。

しかし、今日インタビューをしてきた俳優については、妙に、戸惑った。

何でかしらないけれども、インタビューする側のオレを、かっこよく見せたいとか、知ってもらいたいみたいなおかしな感情を抑えるのに苦労した。

それはどういう事かと言うと、彼について、知っていたつもりが、やはりたった今、目前で会っている最中にもかかわらず、「あまり知っていない、うまく捉えられていない」という自分を発見していたからである。

波長が合わないという人はいる。それはそれで「そういう人である」という認識でもって、逆に落ち着くものだ。合わない波長ならば、その波長を、あるがままに、吸収すればよい。自分の得意としない波長である事が既に手がかりでさえある。

だけど、今日の彼は違った。

波長がないのだ。いや、性格には、波長を出していない。

波長は、演技の上でしか出さない、しかも本人の資質からというよりも、技術的な積み上げで出す。ならば職人肌かといえば、半ばそうであろうけれど、そのことに徹しているという思い込みを持ってはいない。

たとえば大スターの高倉健でも、会っていれば、波長は出る。出すものである。

説明不要であっても、サービスとしての場合もあるし、寂しさ、惚れっぽさのせいもあるだろうし、相手(インタビューアー)に、「我」を見せてしまうものだ。

その事は合った事がない高倉健についても、会う前から分かる。

そのぐらいの自信がオレにはある。

どうってことのない話を書いているのではある。

「我」をうまく見え隠れさせてしまうのが、それが役者の役者たるサガであり、役者冥利でもあるからだ。一般の人はそれが下手で、実業で金をもうけて生きる。

目に見えるもので相手を威嚇して生きていく。

全くプライベートに三船敏郎さんと何度か会う機会があったが、彼ほどに、気配りしながらシャイで(逆に言えば「我」もなければオーラもない)おとなしい人はそうはいない。

だから、彼の映画での演技を見て、びっくりする。

他の人は、(何度も名を挙げて恐縮だが)高倉健でも、池部良(何度かやはりプライベートにあったことがある)でも、ほとんど無名の俳優でも、見せたい自分はいるし、それがためにこの稼業に入ってきたのではないか、という当たり前の前提がある。

まあ、しかし目立ちたくない人というのはいる。

妻と私も結婚して20年目に突入したが、もともと水と油である。

似たもの夫婦というが、似ていない夫婦もいる。

要するに、人前で話をしたり、自分の名が(こういう文にさえ)でることが嫌なのだ。

その代わり、人に対する興味も、世間知に関して必要と思うことに関してさえ薄い。

だからオレの連載の文章も読んでいないし、出した本さえ読んでいない。

その彼女の口にする話とオレの世界(たとえば高校野球とか、たとえばⅤシネマ、ギャンブルといった男くさい世界)が交差する機会はあまりない。

旅行で言えば、彼女の念願は、オーロラを見に行きたいわけであり、オレはマチュピチュに行きたくて仕方がない。

エジプトにピラミッドを見に行ったけれど、そんなに彼女は面白がるわけではなかった。スペインもしかり。子供の頃から天体望遠鏡を見るのが好きだったというから、亀田興毅の試合も、ワールドカップ(サッカー)も、WBC(野球)も、もちろん競馬もみない。オレはニュースを見て、彼女は天気予報を見るのが趣味だ。

オレは天気なんてみたことがない。

その彼女と、何故か交差した俳優が、今日の彼である。

マルちゃんといえば、普通は、ゴルフの丸山あたりを想像するであろうし、オレなんかは、千葉経大付の三番バッターの「丸」君を想像する(このこと自体が少々異常ではあろうが)けれど、彼女と生活していると、その意識が写ってしまうと言うか、まあ、別の人である。

渡瀬恒彦とかたせ梨乃の出るドラマを、興味もないはずなのに、XPでDVDに収める。

そんな中で、「劇団演技者」という番組も、しっかりと、永久録画保存しているのである。

父親が、焼き鳥やだか居酒屋のチェーン店をやっていて、「忠」という字は代々「名前」に入れる事で受け継がれているとか、「ニュース」に比べて、彼らはかなり早い時期から活動していて、Rという人(彼はニュースにも所属)など98年の時点でまだ140センチしか身長がなく、良く伸びたものだ、とかオレとしては無用の知識が、耳に入ってくる。

彼女にとってのオレの書いてる本みたいなものだ。

で、今日の俳優なのだ。

彼女が興味を示すものと、オレのコテコテ趣味の中の一部が合致するとき、それはたいていは、世界大(要するに小さな蛸壺の内輪な通用の仕方ではなく、何の前知識がなくとも何処にでも通用するという事)のサイズの人が多い。

彼もまたそうであった。

彼をインタビューしていての焦りは、女房に対する20年暮らしてもなお捉え切れていない「分からなさ」が、彼の中から現れ出ていたのであろう。

凄い俳優だ、などと陳腐に語ると笑われるが、今からインタビュー記事をまとめるに当たり、相当量の格闘をしなければ、これは手ごわいと思った。

いつも格闘しているけれど、たいていは、人間力を使って、へとへとになるほどの経験知と身体感覚であるから、何とか言葉は出てくるものだ。

だけど、20年暮らしても見えない領域の様な、北極のオーロラの様な、宇宙の人の様な、静止画像の様な、円周率の様な、解けない回答を迫っておだやかに佇んでいる、こういう人に対しては、何が出てくるのだろう。

顔がふけないというより、地球サイズでの年の取り方ではない、

冷静に自分を目立ちたがり屋だ、といっていたが、今はそれを役者として以外にはあまり発揮する必要がなくなったのか、そしてその立ち位置が確立されたのか、やはり穏やかであった、というのが印象だ。

どこかでアピール(営業行為)をしなければ、ここまでの道のりはなかったであろうと思うし、そういう必要を知らない人間でもない。むしろ敏感に察知する、しかしすばしっこい嫌らしさがない。

「目立つのが嫌いだ」といって、微妙に目出させたり、「俺の話を聞いたって面白くないでしょう」といいながら、目いっぱい語りたい詰まんない話をしたり、「人と同じことをしない」というわりには、そのスタイル自体がかなり役者にありがちなスタイルだったり、そういう人は無数に見てきた。

彼は、「目立ちたがり屋」だといって、そしてそのことはしっかりと把握できているのだろうけれど、最もそれが、このインタビュー内のパフォーマンスとしては出さない。

それは非常にかっこよく、礼儀として人間的な気がした。

人間は根源に役者的なグ郡があると冒頭書いたが、実際に人類の全員が役者になっては、それはいけない。むしろそういう意味では、人間は役者になどなってはいけないはずだ。

その事を知っている役者ではないか。

知らないからこそ役者をやっている人ばかりの中で、彼は知っている。

伝わりにくい言葉しか、今のところ出てこないけれど、そういう人に、今日、会った。

『ゴッドファーザーPART3』という映画のラストで、アル・パチーノは大きく叫ぶ。

呪いの言葉を声に発したといってもいい。

しかしそれは役者特有の叫びだった。

アル・パチーノもまた充分に役者であった。

「うぉーっ」

尾崎豊に「米軍キャンプ」という歌がある。

この歌の最後でも尾崎は絶叫する。

「うぉーっ」

♪お前はこの街を呪い、かたくなに夢を買占め彷徨っているだろう

アル・パチーノが叫んだあの叫びを、今日あってきた「彼」の演技で何度も見た。

オレも今。

実は叫びたい。

それは、どちらかというと、尾崎豊のほうだ。

「彼」の繊細さは、オレの物書きとしての人生を変えるかもしれない。

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2006年4月18日 (火)

マリナーズ

レッドソックス2死無走者から逆転サヨナラ弾。

去年までのマリナーズと違って、今年はウォッシュバーンや城島の加入で、随分と面白くなった。ただただ「弱いチーム」だったのが、「強・弱いチーム」となって、日本的な「先の見える」チームが出来上がりつつある。

フェンウエイパークでのレッドソックスとのこの4連戦は、まさに、そのよさと悪さが思いっきり出ていて、アメリカ野球が変わっていくような気もした。

日本の野球は、何と言っても、監督や首脳陣の考えを、選手一人一人が大幅に逸脱する事はないから、変な展開にはほとんどならない。いきなり打ち出すといっても、高が知れている。途中打ち疲れしたら、バントで引き締めてみたり、点差が開くと、大まかには油断しつつも、点差が縮まると、何とか持ちこたえる。いいだけ逆転され、突然の連敗が始まるのは、阪神ぐらいなものだ。

マリナーズは、オルルッド四番時代が比較的変わった「大人しめ」のメジャーチームで、ブーンさえ優等生にして打点王をとらせた。

いまや、木偶の坊セクソンの四番によって、駄目な大リーグチームになりつつあった。ところが、イバニエスと城島が3・5番を囲む事が出来るなら、この四番を何とか追い出すか、6番当たりに下げるかができて、見通しの立つ野球に変わっていくのではないか。

変な勝ち方よりも、アメリカ的な突然打ち出して勝つ野球(それもその中でもレンジャースみたいに、無駄な投手力の上ではなく、確かな勝ちに結びつくレッドソックスの)に、負けるべくして負けるのが、今必要ではないかとも思った。

マリナーズに限らず、抑えは案外ロクな奴がいない。

やり方はおのずと見えてきているような、城島がダイエー・ホークスと歩んだような、そういうチーム作りが来年あたりから成されていく、そういう期待の持てる展開だった。

試行錯誤の続く今年のマリナーズは、3位とみた。

勿論ファンだからワールドシリーズまでを期待してはいるんだけど・・・。

マリナーズ

レッドソックス

2×

7×

昨日テレビを見ていたら、突然見た事のある男が、選挙演説をしている。

あれっ。田中清行ではないか。

基地問題で注目の岩国市長選挙。

オレの最初の本は、脚本家・荒井晴彦氏の尽力もあり、四谷ラウンドという出版社から出た。一九九九年のことだった。その後、二〇〇二年に、数億の負債を抱えてそこは倒産したのだが、その四谷ラウンド社長が田中氏であった。

マグロの漁船に乗ってお金をためて、出版社を起こした。

どうやって選挙資金を集めたのだろうか。

元気そうだった。

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2005年10月 2日 (日)

しばらくblog休み

このblogを読んでくれていた、尊敬する先輩より手紙をもらう。

ちょっとやばいのではないか、と。

つまり

<正直に申し上げますと、「谷岡節」はマンネリに陥っていると感じられます。>ということだ。以下は厳しい言葉が続く。

<愚痴の繰言><表現ならぬ排泄行為に劣化><ヤバイ状態><自らもマイナーでネクラに><論敵との論戦をメディア上で展開させるべき><表立って上の世代への批判論陣を張るべき>

かつて自分が出した本が、いわゆる”成功”を収めていないのは何故か。その”敗因”の総括からはじめるべきだ。その敗因を検証し、克服の方向を探るという問題の立て方をしなさい。

というわけで、しばらく、休みます。

イチローがメジャーで五年連続二百安打を放ち、「めちゃくちゃ嬉しい」とテレビで記者会見する姿を見た。チームは二年連続最下位で、一体なにを浮かれているのか。

朝日新聞では、

<――今年は首脳陣も一新して難しい部分もあった。

 そこが今年一番のテーマだった、実は。夢にもでましたよ。キレそうになったこともあるし、発狂しそうになったこともある。でも今は、200という数字が全てを救ってくれる。

――あとは打率3割をクリアできるかどうか。

 3割なんか、どうだっていいですよ。今回思ったのは、僕は本当にヒットを打ちたい選手なんだなということ。200さえ打てたら、どうでもいいですね。>と、ある。

ここから、いつものオレはあれこれ書くわけだけれど、

イチローどころではないのではないか。

恩師の手紙より鑑み、「敗因」たる「谷岡節」をしばらく封印します。

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2005年9月29日 (木)

やあ、アレックス。

昨日は東京フィルメックスで、マーク・シリング(『ジャパン・タイムズ』記者)に会った。

ちょうど今発売中の雑誌に、彼の著書から引用させていただいていたのでビックリした。

大のヤクザ映画ファンであり、その著書(ジャパニーズ・ギャングスター・フィルムガイド)では、菅原文太から哀川翔にいたるまで(本当は高倉健の取材も当初から東映にお願いしていたが、実現しなかった)インタビューも載っており、日本語訳が待たれる本だ。

その彼に、武蔵拳という当代きってのヤクザ映画スターを知っているか? ときいたら知らないという。早速最近オレが書いている記事をあれやこれやと渡して帰ってきたが、フィルメックスでは、中川信夫の『地獄』が上映され、結局、居残ってみたのは、オレとマークとあと10数人だけだった。

『地獄』は、同じタイトルで、その後も神代辰巳、石井輝男監督により作られたが、いずれもオレは大好きである。どれも日本人的な悪行(ウソ、談合、隠蔽、秘匿、詐称、そして一方それがバレないとなれば、そこで首輪を放たれた野生動物の様な邪気なの無さ)を熱心に問い返している。

フィルメックスの前に、『奇妙なサーカス』という園子温の新作を見てきた。これが面白かった。見終わって帰りのエレベーターで、「どうも登場人物に最後まで乗れなかった」ともらす若い男二人がいたが、オレも別に乗れたわけではないが、面白く見ることが出来た。話の内容と映像に力があるのとで最期まであきさせられなかったのだろう。

園子温監督作品は、とにかくずっとオレには合わないなと思ってみてきた。小手先の技術というか、発想というか、決して高級ではなく、かといって安っぽくはない。そこが厭だった。チープで徹底的にパンクなら、たとえば高原秀和の様な作品なら、オレは熱狂することが出来るけれど、園子温には、どこか気取っていて、その気取りに見合う中途半端な高級感も漂っていて、それが厭だった。

それが『夢の中へ』を見てぶっ飛んだ。やってるじゃねえの。パンクするほど安っぽくは出来ないけれど、けどそこに垣間見える高級感も決して厭じゃなかった。

多分突然変異であって、『夢の中へ』一作だけが“レナードの朝”として残っていくのだろうなと思っていた。またいつもの嫌いな園子温が現れるのだろう。そう思って観に行ったのである。ところがビックリぎっちょんちょん。またしても面白かった。

こうなってくると逆に、金のかかっていないチープなところが気になってくる。張りぼてで、もう少し重厚にやってくれとさえ思う。『地獄』をその後に見たせいで、『奇妙なサーカス』の印象がまるで何も残っていない。もったいない。

昔の映画(『地獄』は60年)は、とにかく贅沢だったなあ、つくずくと思う。

2日前に腐ったものを食べた。いや前日の夜に作った炊き込みご飯が、翌日の夕方にはもう「あめて」いた。あめるというのは北海道弁で食べ物が腐ることを言うのだが、それでもオレはまあ大丈夫と、食べたのだ。もともと胃が丈夫でその胃を酷使しすぎて胃がんになったわけで、さらに手術で全部の胃を取ってしまったゆえ、今、その胃の替わりをしているのは、下から切って繋げている空腸である。

その空腸をまた酷使し続けているのである。はっきりいって下った。腹がゆるいのである。勢いよく屁を垂れようものなら、中から実(み)が飛び出してきそうなゆるみである。

「屁をひって尻すぼめ」という一句があるが、その句を考えた人は、多分、ウンコをはみ出した経験者ではなかったか。そうでなければ、意味がよくわからない。

松本人志は「尻つぼめ」という言葉をよく使っているが、「すぼめ」が正しい。

そんな腹の状態で見たものだから、余計に疲れてしまった。寝不足もあいまって、手術後、体は鍛えているつもりだが、急速な「疲れ」に対しては異常に弱くなってしまった。

「奇妙なサーカス」は、宮崎ますみの復帰作で、それは全編脱ぎまくってもいるのだが、どうして結婚もして(海外で幸せに暮らしているような報道を目にしたことがあるけど)年齢も重ねて、映画の世界からも遠ざかっていて、そしてこんな「体をさらす」仕事に復帰したのかが、(心までどこか曝すような)その理由というか心象風景というか、聞いてみたいと思った。なぜなのか。そのことはあまりにも気になった。

東宝の試写室は、今は新築ビルにあって、松竹や特に東映と比べると随分と立派な感じがする。オレはどこの試写室であろうといつも一番前に座る。皆たいてい座る位置というのは決まっていて、一番前が好きなのは、おすぎとか、マークもそうだ。それどよく一緒になるのが松田政男(評論家)で、今日も『奇妙なサーカス』で二人だけ一番前にいた。

見終わって「どうでした」と声をかけようと思うが速いか、字幕が上がりきる前に松田さんはさっさと席を立っていった。多分、オレに聞かれるのがやばいと思ったのか、ということはあまり面白くなかったということか。「天下国家を論じていない」とか何とか不満を述べるのを自ら阻止しようと思ったのか。オレが詮索してもしようがない。しかし試写室を出るときに不満を述べてはいけないというような不文律があり、オレはいつも述べているから、嫌がられている。

かつて、『ぴあフィルムフェスティバル』で上映作品についてあれこれ語っていたら、その出品監督のお母さんがそのオレの意見を会場で耳にしていて、それが主催者である「ぴあ」に伝わり、鑑賞を拒否されたことがあった。

だけど、面白くないという意見に対しては聞く耳を持たないで、大衆娯楽ともいわれているものが、どうやって前に進む気でいるのであろうか。特殊な信者だけに向けての宗教ならば、それでいい。

園子温は、その域をもうとっくにでていると思う。少々の罵詈雑言には耐えうる。それでもなお『地獄』を見て、見比べてのこの不足感。

あぶなく、自分のゆるさを忘れて、屁をひねりそうになってしまった。

マークを紹介してくれたのはアレックス・ツァールデンという人だ。今、ドイツでこのblogを(毎日かどうかは知らないが)読んでくれているはずだ。

やあ、アレックス。昨日、マークにあったよ。

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2005年9月23日 (金)

札幌南高

今年も札幌地区予選を勝ち上がり、札幌南高は来春のセンバツの対象となる秋の北海道大会へと駒を進めた。

北海道だけは全国でも唯一の予選の予選をする。つまり二段階の戦いをする。

その第一段階を勝ち上がったと言うわけだ。

札幌南は、最近強さ以外でも話題を集めた駒大苫小牧高校のある北海道で、甲子園出場を3度果たしている高校である。

母校の話なので、関係ない人は読まないほうが良い。

あまり面白くは読めないはずだ。

「一高」といったら東大のことで、「一中」といったら日比谷高校のことである。

それは東京(かつて東京府、今は東京都)の話で、「一中(旧制一中)」と言うものはもちろん全国に存在する。

希望ヶ丘(神奈川)旭丘(愛知)岐阜(岐阜)藤島(福井)洛北(京都)神戸(兵庫)郡山(奈良)桐蔭(和歌山)岡山朝日(岡山)国泰寺(広島)追手前(高知)城南(徳島)上野丘(大分)濟々黌(熊本)などであり、北海道における一中は、札幌一中(現・札幌南)のことである。

ちなみに札幌二中が札幌西、旭川中が旭川東で、小樽中が小樽潮陵、岩見沢中が岩見沢東、釧路中が釧路湖陵、帯広中が帯広柏葉、函館中が函館中部、北見中が北見北斗、網走中が網走南ヶ丘と、それぞれ名門と言われている。

以下は、札幌南高出身者で知っている人を列挙したものだ。

出身者で、興味ある人のために、と言うか自分もほかに知りたいので書いたわけで、それ以外の人は眺めたところで面白くないだろう。

あ行

荒井さとし(衆院議員)荒巻義雄(戦記物SF作家)有江幹男(元北大学長)有馬純(ダウラギリ登山隊隊長)池上重弘(静岡文化芸術大助教授)石井信(スポーツライター)石井庸子(元NHKアナ)石川裕啓(ドイツ・オペラ歌手)石橋冠(演出家)板垣武四(元札幌市長)伊藤義郎(伊藤組会長・IOC副会長)伊藤隆一(美術家)岩田聡(任天堂社長)海野治夫(ヤクザ)宇和野貴史(プロレスラー)岡俊雄(映画・オーディオ評論)岡鹿之助(画家)奥田良三(テナー歌手)

か行

カジノ(映画監督)片岡正人(読売新聞)金谷年展(慶応大大学院助教授・国土審議会専門委員)鎌田哲哉(評論家)川越守(作曲家)栗谷川平五郎(スキー・レイクプラシッド五輪代表)久保守(画家)黑田一秀(元旭川医大学長)小西康陽(ピチカート5)児島仁(元NTT会長)

さ行

佐々保雄(元日本山岳会会長)佐藤貢(雪印乳業初代会長)佐藤敏夫(元北海道弁護士会連合会理事長)島野功緒(放送評論家)、清水健宇(朝日新聞論説委員)下田晶久(前旭川医大学長)執行昇(スプリンター)白崎義彦(NHKアナ)新保幸太郎(元札幌医大学長)曽田雄志(コンサドーレ札幌)

た行

高市佳明(NHKアナ)高倉新一郎(北海道史)竹島一彦(公正取引委員長)匠秀夫(美術評論家)辰野裕一(作家)俵野第四郎(画家)地崎宇三郎(元衆院議員)堂垣内尚弘(元道知事)苫米地義三(元衆院議員内閣官房長官)

な行

中西章一(テレビキャスター)中原悌二郎(彫刻家)西村晃(「水戸黄門」)西部邁(元東大教授・評論家)中谷一郎(『水戸黄門』風車の弥七)能勢之彦(カナダ・クリーブランド人工臓器センター所長)

は行

パラダイス山元(音楽)広瀬量平(作曲家)福山卓爾(全国みそ・しょうゆ組合会会長)藤村操(華厳の滝で自殺)堀淳一(エッセイスト)

ま行

三岸好太郎(画家)三田村周三(俳優)湊正雄(地質学)三原順(漫画家)三宅和助(元シンガポール大使)宮崎亮(医師・開発途上国で医療活動)村上茂利(元衆議院議長)森田美由紀(NHKアナ)

や行

梁田卓(作曲家「どんぐりコロコロ」)山崎武夫(元日本医師会会長)吉田信(北海道医師会会長)

ら・わ行

若山弦蔵(俳優・ショーン・コネリーの声)和田寿郎(日本初の心臓移植手術)渡辺淳一(作家「阿寒に果つ」)渡辺みなみ(ケーキの本)

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2005年9月11日 (日)

浅草

起きてすぐ髪を切って(もらって)、さっさと選挙の投票を済ませ、午前中に浅草に出た。

映画を見る予定だったが、気が変わって、歩くことにした。なんだか天気がよく晴れていて、人が沢山浅草の町を埋めて、久しぶりに活気付かせていたからだ。さらに気が乗って、ようしと、上野まで歩くことにした。

こうやって気が変わるのは、オレの昔からの性分だ。映画を前もって決めていて、行く途中で気が変わって、「違う映画にしようか」とか、旅行も、香港だったはずが、急にイタリアに変更したり(結局香港へは一度も行っていない)、かなり気分しだいなのである。妻は、そういうオレの態度をとても嫌がるのだ。たかが食べ物でさえ、天ぷらと決めていたのを、寿司にするとかでさえ融通が利かない。それほどにオレとは真逆に「決まりきった」ルールを外し難い性質らしい。

オレがどうしてこれほどに、いきなりの予定変更に耐えうるのか、或いはあまり気にしないのか。それは多分、小学6年の時、自宅が火事になって、かなりのものを失ったからであろう。失ったといっても焼けたわけではない。薬品交じりの消火のための水が、かぶさったわけで、物体は存在するのだが使い物にならず、特に紙製のものは、ノートであれ、本であれ、焼け残っているのに開かない。悲しい。

そして、それまでのオレといえば、コレクションの王様であったわけだ。切手、古銭、紙幣、コイン、マッチ、パンフレット、ポスターといった序の口モノから始まって、昆虫採集も押し花採集も岩石採集までしていた。やくみつるの様な髪の毛やトイレットペーパーにまでは至らないが、みうらじゅんの様なグラビア関係までは手を出している。

それらが、一瞬にして灰、ではなく、濡れねずみになってしまったのだ。

そりゃあ、悔しかった。調べものをしたノート十数冊も、表紙のよどんだ文字だけが残っていて、何を書いているのか、さっぱり判読できない。自分の頭にまで水が溜まった気がした。中身はもちろん開かない。

そういえば、ガンで入院中に、水の溜まったばあさんと親しくなったことがある。女子病棟と男子の病棟は違うのだが、踊り場で、毎度顔を合わせ、息子の自慢を散々聞かされていたわけである。その挙句、一緒に入院中のオレを、いつの間にか見舞いに来た誰かの夫と認識して、「それじゃあ、だんなさん。奥さんお大事に」って去っていった。おいおいおい、今までのオレをなんだと思っていたんだ。ビックリしたよ。水は溜まりたくないと思ったよ。

しかし消火の水で一度は御破産になりながらもまた、性懲りもせずに、くだらないものを集めるのが、習性という奴であろう。

それだけ凝るわりには、気が変わるのもまた速い。しょっちゅう気が変わるからこそ、いつまでも凝りが持続するのだと我ながら思う。

さあ、上野まで歩こう、そしてそのあと秋葉原まで歩こう。このぐらいの距離は何度も経験済みだ。新宿から上野まで深夜で2時間ちょっとで歩いたこともある。銀座から船橋までとか、新宿から調布までとか、長距離も結構経験している。

大阪時代も、札幌時代もとにかく、町という町を歩いた。ローマでも歩いた。コロッセオからバチカンまでも歩いた。どうってことはない。ベニスでも迷って迷って、小さな島を一周した。ロスでは、黒人街にまで入っていってしまった。

まあ、とにかく歩くわけだ。歩いて調子を整える。ところが上野と浅草の中間あたりで、いきなりの豪雨。なんだよ。これでまた投票率が落ちるではないか。また予定を変更して木場にいる友人にでも会おうか。そんなことを考えながら、しかし一日浅草を歩くことにした。

アーケードやウインズに雨宿りをするおっさんたちが、たむろしている。なんだかすえた匂いで、さっきまで屋台からはみ出してもつの煮込みにビールを食らっていた連中だ。映画館も減ってるし、店もどんどん様変わりして、ウインズとか国営の元締めだけが幅を聞かせている。髙山登久太郎というヤクザの名門(会津小鉄会)親分が、暴対法に抗議して「俺たちは暴力団ではない」と裁判闘争に入ったとき、国がギャンブルの元締めをすれば、何のとがめだてもなく、わしらがやれば、あかん言うのはどないなことですたい、ってどこの京都弁か分けわかんなくなったけど、要するに、「しのぎ」を都合のいいグループが独占するのはおかしくはないか? 痛いところをついていた。

高山は在日韓国朝鮮人(以下在日朝鮮人とする)でもあったが、男女であれ、出身地であれ、障害のある無しであれ、必ず、恵まれたものと、条件の悪いもの(極端な場合、選挙権や受験資格、入居資格がないとか)とが居て、「正統」というもの(たとえば中央競馬会でも、相撲協会でも、そのグループ入りするのは難しい)から遠いものほどバカをみる。「暴力団」にされてしまう。

レイ・チャールズが緑内障を悪化させて失明するのも、貧困のせいである。クラレンス・カーターでも誰でも黒人が障害を負いやすい環境にあるからであり、スポーツや音楽で秀でた才能を発揮するのも、出て行く場が限られているからだ。「てんぼう」といわれた野口英世は、手をやけどしてしまうが、張本勲もまた不自由な手が原因で左打ちなわけである。

その張本は在日朝鮮人でにっぽんプロ野球史上最高安打数を誇っているが、最高勝利数400の金田正一も在日朝鮮人で、左投手では世界一である。世界の本塁打王・王貞治は台湾、大相撲の大鵬、空手の大山倍達、プロレスの力道山、頂点に君臨するものの多くが、マイノリティーから立ち上がってきている。

沖縄や北海道、青森出身のボクサー、在日朝鮮人その他混血の多い芸能人、ビデオ屋だって、焼肉やパチンコ屋さんと同じく、在日のオーナーが当初は半分以上を占めていた。

もし、同じ条件を与えるならば、みな、オリンピックのメダルも、首相も大統領も、優性遺伝の法則にのっとられると、恐れていることは確かである。だからうまい言葉で、法律で、だましだまし、白豪主義やら、小作農主義を貫くのである。「黒くぬれ」と歌ったストーンズもまた脅威だったのだ。

しかし、その狭い隙間でもなお逞しく生きていくものもいれば、たいていは自然淘汰で消えていく運命のものが多い。

浅草には、足を引きずるものが多い、手のないものも見る。車椅子もある意味で行きやすい町だ。たとえスロープやエレベーターが、しっかりと備わっていても、すぐそばを迷惑そうに若い連中が白目をむき出しながら通り過ぎていく町になど行きたくはないであろう。だからこそ、それほどに設備が備わっても居ないのに、浅草にはそういう人が来る。来るし、また住んでもいる。オレも足を引きずっているわけではないが、心は引きずっているからなのか、いきやすい。この浅草にも通ぶって、ブランドに身を固めた安っぽい男が、高い店に「どじょう」なんかを食いに来る。それはそれで、勝手にしろ。

で、オレは、そんな町でもぶらぶらと一日をつぶすことが出来るのだ。別に競馬をやるわけでなし、映画も見ないのに、なんとなく見て飽きない。たとえば古銭、コインの店。新宿でも銀座でも、今はデパートの特設展示がなければ、常設していない。そんな店があること自体、そういう趣味の人が、近くに住んでいるわけである。別に東京中のそういう趣味のメッカというわけではないのだから。古銭、コインを見るだけで心が弾むオレ。

駄菓子屋。手作りの和菓子屋。東京タワーに西郷さんがくっついてる温度計みたいな特殊なお土産がまた好きである。店内に流れるなんか気恥ずかしいビートルズ。時にもう勘弁してほしいシャカタク。怪しげなドナ・サマー。そういう雰囲気が好きである。

大阪で、新世界にいつも映画を見に行っていた。時に飛田にまで足を伸ばす。いろんなおっさんと知り合ったのだが、「兄ちゃん、その年齢でこんなところ、おったらあかん」。

そういわれて、しかし今、さらにこの歳で浅草にいる。

今月の24日に、荒井晴彦ナイトという催しが浅草東宝である。荒井晴彦とは、もっとも浅草に似合わない男で、そんな男の企画した映画がオールナイトで上映されるのだ。浅草東宝には、新世界東映と同じく、或いは尼ケ崎東宝と同じく、吹田映劇と同じく、オールナイトで今でもオレはよくいく。

かつて、ビデオのダビング会社にいた。そこで斜め前にいた同僚は、アダルトの製作会社を興し、はじめはどうやって首をつるか悩むほどの絶望的な毎日だったが、一発大逆転、新宿にフィリピンパブを持つまでになった。その後は知らない。ダビング会社で隣に座っていた男は、映画が好きで何でもいいからといって入社してきて、これもさっさと辞め、あるとき、浅草東宝にオールナイトを観に行ったら、もぎりをしていた。「あれ」「へへ」。頭をかいていた。

そんな連中の町に、荒井晴彦は合わない。

♪すえたにおいする、赤茶けたこの町~というショーケンの歌があるが、小便と酒とタバコと汗のにおいである。いい匂いのわけがない。

オレは、帰りに腹がへって、カツ丼を食べて帰った。

うまかったが、客がいなかった。「まだ今日9人だよ」と店長らしき男が、客(オレのこと)の目の前で、レジを叩いてその紙をバイトの女に見せていた。

正確には、オレのほかに、ヤクザの兄ちゃんが二人いた。なんでヤクザかって、それは、オレが足立区時代に散々見慣れた光景だったからだ。たぶん親分が一人で持ってる小さな組で、片腕的な若い男が一人住み込みでいて、その他は愚連隊を5~6人通わせている。水商売の一軒も持っていない。たこ焼きの屋台2つぐらいだ。その愚連隊のうちの二人が、毎度、ビール2本ぐらいで粘っているのだ。羽振りがいい時は、女連れでパチンコか、競馬をして、それでもやはり同じ店に来るというパターンではないか。こういう店だから繁盛しないのだ。とはいえ、今の時代、ほかにも結局暴対法の様な法という法で、がんじがらめで、チンピラも、安い店も、浮かばれない。そういう店でしか食べられないオレも、そういうとばっちりに合いながら食う羽目になる。だが味はいい。雨宿りしている時に、この近くに住んでいるであろうおっさんに、うまい店どっか知ってるかと聞いたのだ。

うまいけど、チンピラうるせえよ。

カツ丼といえば、本来オレは今食べているのが不思議なのだ。実は、胃を取る手術の前日、・・・・・・・・・。もうこの辺で、書くのをやめておこう。

日記だと思って読み始めたら、短編小説かいな? となっちゃあ、忙しい人はいい迷惑である。

要するに、浅草にいって、カツ丼を食べてきた。というだけの話である。うるさく書くと、長くなる。今日はこの辺でやめたろかい、って池乃めだかで締めときますわ。

早速選挙速報を見よう。

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2005年9月 6日 (火)

宮沢りえの絵

昨日、というよりも時刻の上では今日だが、宮沢りえのBSハイビジョン特集ドキュメントを見た。

女優の素顔を切り取るというよりも、一人の画家の一瞬を切り取ったようなドキュメントだった。もっと言えば、女優と呼ばれている仕事もこなす画家らしきもの。きれいな顔をしている評価の定まらない画家。画家という職業自体の意味を問い返す力を持った、しかし本人はあまりにももろく弱い。「絵を描く芸のある美人」とでもいおうか。

メディチ家あってのミケランジェロ、谷町あっての芸能人、スポーツ選手だって、Qちゃん(マラソンの高橋尚子)だって、毎日70キロをひたすら走る生活をアメリカに家を買って始めているという。そのお金はスポンサーから出ているはずだ。北京五輪では消えた女子ソフトボールの選手たちは、今Qちゃんと同じように毎日練習をしているけれど、その意味は違う。「がんばれニッポン」とかいうCMに女子ソフトの選手が出ることはないだろう。絵だって、どんな移り気な谷町(パトロン)に支えられ、捨てられるかわかったものではない。「医師ガシェの肖像」を当時約114億で落札した大昭和製紙の会長は、「死んだら自分と一緒に名画も燃やしてくれ」という程度の絵画に対する理解力である。日本で人気のローランサンやビュッフェは、本国フランスでは。殆ど通俗画家であったりする。宮沢りえの使う高価そうな絵の具。問題はしかし絵に向かう心の風景だといいたいかのようなドキュメントである。絵は技術力よりも、描く動機を起こさせるパッションなのだ、とでもいいたそうである。ドキュメントに限らず、宮沢りえを写すスカメラは、映画でさえ、いつもそうなのである。

じゃあ、何があったのか。母親との確執、恋人との確執、マスコミとの確執、世間との確執。芸能人とはなんなのか。

吉永小百合が広島で詩を朗読する。ダイアナ王妃が、マザー・テレサが、みな、「世界が平和でありますように」というあいまいでもあり、究極でもあるかのようなお題目のしもべとして手伝うかのような行為者として、そのきれいな顔をさらす。

宮沢りえは、なぜ絵を描くのか。

彼女の絵がうまいのかどうか、オレにはわからない。いや、その他ピカソでも、ゴッホでも、その見方というものを、文字的に読んで知ってはいるが、それに従うことが出来るほどにオレは従順ではなく、しかし、自らその創作の動機や意図を探るほどには興味を持たずに生きてきたことも事実である。

芸能人はなぜ絵を描くのか。工藤静香が10年連続二科展入選とか、芸能人だから、昨今の文学賞のように、話題性も含めて選ばれているのではないかとも思うが、工藤静香の父勘七さんも静香の勧めで絵筆を執り、入選というから、少なからず、絵に対する才能が遺伝子としてあったのかも知れぬ。

青島幸男なども入選している。しかし芸能と、絵とは近いのかも知れぬ。八代亜紀、奥田瑛二、五月みどり、朝比奈マリア、片岡鶴太郎、ジミー大西、北野武など、知っているだけでも随分といる。

榎木孝明の絵は、郵便局のはがきに使用されていた。島田紳助は「松紳」という番組で、自分のアクリル画を公開していたが、オレもあそれを見たいと思い、あちこち問い合わせたが、番組内だけの「個展」であった。なぜアクリルなのかといえば、やはり売れっ子の島田は忙しいために2~3時間で必ず出来上がる小さなサイズのアクリル画を選んだといっている。牧伸二もアクリル画をやっている。富士山が得意だ。富士山といえば、山本集をオレは思い出すが、結局、オレの見る目も、誰が描いたのかということに惑わされている。「結婚の相手を決めるとき、人の意見だけで決める人がいないように、絵も自分の目で、自分の考えで、先入観をなくして見ろ」という須田寿の言葉がある画、いつまで経っても、一番出来そうで出来ない。

映画を見るにしても、人それぞれの意見があるという人がいるが、主観などというものはそうそう簡単に獲得できるものではあるまい。自分の考えを客観的にも見た上で、吐く言葉が主観である。客観的に見ることのない「表現」というものはない。客観性のない意見は動物の威嚇行為に等しく、いわば暴力であり、刃物であり、そのことが、今ある人類滅亡の加速度を増している。したがって、いかに客観的な表現者たらんとするかは、滅びへの道をいかに減じていくかに結びついている。ただただ粘り強くこういった言葉を伝えていくとすれば、たとえば絵画を、無防備に、無差別に、無認識に、感動するわけにも行かず、先入観はなくしてみるにしても、悪の含まない善がないように、汚れた記憶のない美はない、とそう思って宮沢の絵をも見たい。

黒澤明監督がもともとは画家志望だった話は有名である。ジーン・ハックマンも俳優志望となる前に美術学校に通っていた。アンソニー・クイン、ピーター・フォークも通った学校だ。ジーンは、俳優となってからも絵を描き、売ったりもしている。奥さんは、ピアニストで、無骨にも見える巨漢の意外な一面だ。

そして宮沢りえ、なぜ絵を描くのか。倉本聰とか、その道に優れた人物が、宮沢りえの絵を含めた生き方に共感する人は多い。オヤジ殺しともいわれる宮沢りえ。

地頭と子供には勝てぬともいうが、黒澤明は山田洋次との対談で、<手馴れた俳優がつまらない芝居を考えてくるのは本当に腹が立ちますけれども、少年がこう自分の身体で表現できることを考えてきたり、閃いたりしてる。ふっとそれを見せてくれると、なんだかお礼がいいたくなりますね。>と語っている。

これに対して山田洋次は、<キャメラのぞいてるとね。子供見ていると全然飽きないね。絶えずいい格好してるの。じい意識があんまりないからね。>

その山田は自らの監督作品で宮沢を抜擢し、女優開眼を遂げさせた。

彼女が、演技し、絵を描くのは未だになぞである。

殆ど絵筆を使わずに、手に絵の具を付けて、直に書く。なんだかよくわからない絵だ。現代アートなのか、子供の閃きなのか、少なくとも手馴れた画家の前衛を目指すものとは違う。描いている姿を見ていると飽きない。ただそれだけである。いいのか悪いのかわからない。からだが細い。病的である。芸能の世界の中の住人の病のようだ。その業を背負っているようでもある。細木数子がMIEに、「あんた、傲慢なんだから結婚できないよ。芸能人としてしかもう生きられないよ」と言ったように、宮沢も、どんなに殊勝にしていても、ある種傲慢で、それは黒澤のいう「子供」を既に獲得しているその才能の傲慢さである。それが絵を描くことで、(見ている凡人に)さらに嫉妬心を増させてもいる。

言葉で書くよりも、絵で表現するほうが早いし、よく伝わる、ともそのドキュメントの中で語っていた。そうなのだろう。だけど、先入観が邪魔をしてなのか、オレがその絵を見ても、あなたの気持ちはなんなのか、わかりにくい。

オレが身近に絵を描いている人を知っているのは、田舎に居た近所のおばさんである。たぶん、都会の女学校かどこかを卒業して、本来ならもっと広い世界で、さまざまな高尚な趣味を味わって生きていくのがひとつのありうる道だったのかも知れぬが、意に沿うかたちじゃなく、こんなオレの住む田舎町に嫁いで来たのだろうと、オレは勝手に想像していた。優雅な趣味を持ち、しかし、満たされるわけでもなく、かごの中の鳥のように、農村風景を見つめて、それを描いた。彼女ぐらいである、あんな村で、絵を描くなどという「奇妙な行動」をしていたのは。

オレは当時、子供でありながら、どこかませていて、世界に興味があった。世界ってなんだといえば、まずは隣町であり、その先であり、海を越えての世界である。

しかし、それを伝えてくれる大人は、あの田舎ではそうはいない。メジャーリーグに興味を持っても、「ジョー・ディマジオって知ってる? 」「ああ柔道のか」「それはヘーシンクだろう」ってな具合で、なんだかよくわかりゃあしない。

そんな中で、よく何でも知っているおばさんで、都会風なスタイルを持ってもいた。アン・マーグレットに似ていた。将棋を指しにいった。彼女は絵を描き、そしてたまにオレの様なませた子供を相手に、将棋をさし、世界を伝えてくれたのだ。

彼女はのち、村に出来た「国松登ギャラリー」という美術館の仕事をする様になった。もちろんバブルで作ったはいいが、そこを任せられる人材が彼女よりほかにいなかったからだ。ああ、少しは報われたのかなあ。人が大して来るわけでもないギャラリーに、しかし毎日通い、絵の中で生活する。それは、人生の後半に訪れた、ちょっとした夢の実現ではなかったか。

それが去年、彼女のうわさを聞いた。

「かわいそうだよねえ」。どうしたというのだ。いや、すっかりボケてしまったと言うのだ。

オレの知る限りの絵を描く人というイメージは、彼女でしかない。

つまらない言葉や講釈をたれるより前に、ボケてしまった。

何が幸せなのか。オレは絵を描きたいとは思わないが、芸能人でなくとも、村に嫁いだ都会の粋な人も、絵を描く。宮沢りえもまた描く。不思議である。

だけど、つまらない朗読をする女には、宮沢りえにはなってほしくはない。

絵を描いていてほしい。

多分、そういう客観を引き受けた主体が、「子供」ながらに表現者として存在するのであろう。観るものは、そこに圧倒されるのみである。

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2005年9月 1日 (木)

左利き・その1

昨日、ボブ・ディランについて書いている時から気になってはいたのだが、なんとはなしに保留にして、このbiogを書き終え、深夜、「浜ちゃんと!」という番組を見ていたら、気になっていたことが息を吹き返した。そこにはもちろん番組メインの浜田雅功がいるのだが、(その番組での)相棒の木村祐一と、お笑いファンでもあるゲストの甲斐よしひろがさらに出ていたのだ。どうってことはない取り合わせに見えるのだが、木村も甲斐も左利きである。ついでに浜田の(ダウンタウンの)相方の松本仁志も左利きである、ボブ・ディランで気になっていたことというのは、実は左利きのことであった。

昨日話題に上ったアート・ガーファンクルも左利きで、相棒のポール・サイモンも左利きだ。(ついでにピンクレディーのミーとケイは、二人とも左利きだ)ボブ・ディランは、映画『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』の音楽を担当し、自らもビリーの手下の役で出ているが、ビリー・ザ・キッド自体が左利きとして有名である。『左ききの拳銃』としてアーサー・ペン監督によってリアルに映画化されたといわれているが、演じたポール・ニューマンは、右利きの俳優である。1880年に撮られた写真で、ビリーは左腰に銃を下げていることから、左利きの定説となったが、鉄板写真のため反転して写っていて実際は右利きであるという説もある。一方『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』で主演を演じたクリス・クリストファーソンは、左利きだったような記憶なのだが、どうだろうか。クリスもミュージシャンで、『ビリー・ザ・キッド』には、ブッカーTも出演している。

さて右利きのポール・ニューマンだが、左利きのロバート・レッドフォードと競演して、最後に二人で小屋を出るシーンで終わるのが、『明日に向かって撃て!』だ。有名なそのシーンは、右にポール、左にロバートで、お互い両手に2丁拳銃を持ってはいるが、二人とも利き腕を生かして、両者が外側に銃を構えながら、飛び出していく。そのラストシーンのコントラストの強烈さは、レッドフォードの左利きが功を奏している。

右利きの二人の主人公がポスターなどで銃を構えると、たいてい右側はいいが、左側の男は、明らかに左向きになって顔が隠れる。ポスターの配置としてはいいのだが、左の俳優は割を食うことになる。

もしポールの代わりにスティーブ・マックイーンだったら、これもダブル左で変だ。ポールとスティーブは、『タワーリング・インフェルノ』で競演し、そのことがワーナーブラザースと20世FOXとの本来ありえない共同製作という初夢を実現させた。右と左でOKだった。

『明日に向かって撃て!』はあのあと、ニューシネマの傑作であるゆえ、『俺たちに明日はない』とか、『真夜中のカーボーイ』『イージー・ライダー』『バニシング・ポイント』などみたいに二人は死ぬのであろうことを暗示しているように見えるが、確か史実では、二人とも生き残って、その後も逃げ切って銀行襲撃などを繰り返す。

20世紀に入っての銀行強盗デリンジャーも何度も映画化されているが、左利きである。ほかにボストンの絞殺魔テサルボや切り裂きジャックといった有名な犯罪者たちもまた左利きである。

しかし一般には、残虐というよりも(もし犯罪ならば)猟奇嗜好というか、左利きの人はむしろ芸術や数学、ファッション、形や色に秀でた才能を持ったイメージがある。

オレがはじめて左利きの人を見たのは、小学校のころに家の前に引っ越してきた父の友人の奥さんである。お菓子や料理作りの名人で、包丁を持つ手が左だったのでよく覚えている。その後はしかし、これでもかというくらいに、オレの周りには左利きの人ばかりがよくよく現れることになる。会社の同僚、このblogを読んでくれているのか、もうすぐ閉店する西川口のビデオ屋さんとか、ビデオ屋でのお客さん、本の編集者、あまりにもあまりにも多いので、ビックリした。多くはやせた人ばかりだから、左利きは「やせて神経質な人」という勝手なイメージが持ちつつあったころに、とんでもないずぼらなデブの左利きも現れて、わけがわからなくなった。だが大まかに考えられる傾向は、押しが弱くて、自らトップに立とうとはしない。周囲から推されて登ることはあっても、自ら仕掛けて登るタイプではないのだ。控え目というか、優しく弱弱しくもある。オレの出会った限りでの印象でしかないから、当てにはならない。

フォード、レーガン、クリントン、ジョージ・ブッシュと左利きの大統領が結構いるのも事実だ。決して弱弱しいとはいえない。

まあ、デザイナーや美容師同様に、両性具有的と言ってもいい。これは、デザイナーや振付師や美容師、音楽家などにおかまっぽい人が多いのと似ていて、多分、美に対するバランス感覚が優れているためだと思う。

トーマス・アークハートという言語学者は、世界共通言語を作ろうとしたし、上下感覚を惑わせるエッシャーの絵(『滝』とか『上昇と下降』とか)も、右が優位の社会を皮肉る力がある。ダ・ビンチ、ミケランヒェロ、ラファエロと、イタリアの巨匠芸術家たちがことごとく左利きであるとの説明を、イタリア旅行中に、イタリア人ガイドから聞かされたが、そのガイド自身が左利きであると自慢していた。スペインのピカソも左利きだ。

最近知り合って、今まで以上に好きになった俳優の松田優もまた左利きで、彼は『獅子の血脈』などで松方弘樹の片腕役をとても域のあった感じで演じるのだが、それは松方が左利きであることにも関係があるとオレは勝手に見ている。

かつて山城新伍が、東映で、若山富三郎に可愛がられるのであるが、同じ左利きだったからではないかと、山城自身の本の中に書いてあった。松田優がそもそもデビューすることになったのは、小林旭初監督作品での主演であり、彼を無理やり抜擢した小林旭自身が確か左利きであったと思う。

実は(オレの)妻も昔は左利きで、右に直したというが、手を組んだり左の記憶は残っている。妻の母がやはり左利きで、字を書くなどは右に変えたそうだが包丁は左で持つ。

オレ自身、腕は右利きだが、目が左目利きで、こういうのを「交差利き」と言うそうだが、まあ、それである。

テレビ東京の「別れたら好きな人」という連続ドラマでは、嫁と姑の役に、斉藤由貴と山本陽子が出ていて、ともに左利きで、立ち居振る舞いがおもしろかった。

テレ朝の「弟」では、石原慎太郎役となった二人が、一生懸命左利きを演じていた

現役最高力士の朝青龍も左利きだが、柏鵬時代といわれた大鵬と柏戸の両横綱とも左利きであった。双葉山もそうだ。

スポーツでは、特に野球が左打者が多いが、多くは右投げ左打ちで、左打者のほうが、1塁に近いとか、右投手の球を見やすいなどの理由で有利と思われ、子供の頃に変えられている場合が多い。イチロー、松井秀喜、掛布雅之、別に書いても書かなくてもいいんだけど、枚挙に暇がない。メジャーのりっキー・ヘンダーソンは左投げ右打ちという、それこそヘンダーソンな選手だ。世界の本塁打王、王貞治は、左投げ左打ち、ベーブ・ルースもルー・ゲーリックも左・左である。

サッカーのペレ、テニスだとボルグの右利きに対して、コナーズ、マッケンローの左利きが挑むという図式で、女子は両利きのナブラチロワが、無敵。伊達公子も左利きだが、ラケットは右で打っている。

左利きは難読症に罹りやすいともいわれている。フィッツジェラルドやバージニア・ウルフなどが苦しんだ経験を持つ。ジョージ・マイケルもその一人で、そのコンプレックスを肉体的な魅力の男に替えていったと自ら語っている。左利きのブルース・ウィリスも子供の頃軽い難読症だったという。同じく左利きのトム・クルーズは、今でも脚本を字で読んで覚えるのではなく、耳で聞いて覚えるのだという。

ほかにビートルズのポールとリンゴが左利きである。

だからどうだってわけじゃないが、今日はこんなところで。

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2005年8月15日 (月)

8月15日

今日8月15日の第1試合は、9対6で、日大三高がリードしての9回、追い詰められた前橋商は、守備は3失策と乱れたもののガムシャラに負けまいとした姿勢は、最後まで現れた。

2死1・3塁となっての3番加藤、ここまで甲子園での2試合を通じてもノーヒット。

1ストライク2ボール後のストライクを見逃す。解説が「消極的なってはいけません」との一言。オレも四球狙いの見逃しだと思った。しかし加藤は、このチームで最も怖い打者であるようにオレの目には映った。地方大会でも当たっていないようだったが、四球の数が9と飛びぬけていて、選球眼というより警戒されていた節がある。今大会もマークされていた。そしてこの最後の打席こそ打ちたかったはずだ。なの消極的に見逃す。あれっ、おかしい。ところが次の内角にえぐってきた直球をジャストミートしての3塁線。惜しくもファールであったが、鋭く捕らえる打撃センスには、投手も、やはりそれなりの打者なのだと改めて思い知らされたはずだ。そして次の外角球をしっかりと見逃しての2-3。

最後は打ちたいところを、きっちり見逃して四球を選び、満塁にして4番につなぐという仕事を果たす。いい粘りであった、この粘りは生きるのではないか。そう思った。そう思わせるものがあった。4番は必死になって外角球に食らいついた。センター前にポトンと落ちて、まずは2者が帰る。2死で走者一斉に走り出すから、センターがファンブルすれば同点もありだな。そう思った。アッ。試合終了だ。しっかりと前進してきたセンターのグラブの先に収まっていた。頭を抱えて崩れる打者走者の4番森田。

いいゲームだった。強打の日大三を本当に追い詰めていた。

群馬県は投手を中心として、負けないための一歩一歩を疎かにしない、たくましいチームをいつも作ってくる。

今回もそんな印象をさらに植え付けて去っていく。

長崎の清峰もいいチームだけれど、この前橋も印象に残るチームであった。漫画「H2」や「陽あたり良好!」「みゆき」などの野球漫画でお馴染みあだち充が、この高校の卒業生だという。テレビアニメ化された「タッチ」の主題歌は、いまや各校の応援ソングとして代表的な1曲だ。あだちの爽やかな読後感が、この高校というか群馬の高校野球が背景として、あるように思う。浪人時代にオレはあだち充の漫画を集めていた。実家に帰ったら、中学生の弟がしっかりとオレ以上にあだちの漫画を持っていて、なんだか弟に追いつかれたような気がした。甲子園は、出る者も目指す者も観る者までをも、青春の登竜門として、追いつき追い越され、最後はだんだんと諦めて人生を終える、そういう過程を、一番最初の初期衝動を、彼らの必死のプレーの中に見つけることで、自分の現在までの実人生分を走馬灯のように快速駆け抜けていく。

それも若い身空の身体を酷使して、くそ暑い8月に大阪(正確には兵庫県)で、戦没者追悼を挟んで、行われる。

この第二試合の途中に正午となり、黙祷が行われた。

昨日、田原聡一朗の「戦後60年は間違っていたか」という特別番組があって、西部邁と筑紫哲也が、あることで意見をいにして侃々諤々、喧々囂々となっていた。倉本聰の本では、いつも「けんけんがくがく」と書いてあるが、そうではない。

西部は、「命が一番大切」とか何とか言って、戦後民主主義は、結局は自由のはき違えと、無気力と少子化やニートを生み出すことにしかなっていない、といい。自分の命よりも大事なもの(たとえば国家)のために、命を掛けて生きるということのほうが大切だ、というような物言いであった。一方、筑紫は、それは危険である、結局は「戦争をしない」という事しかないではないか、と。姜尚中も同様の意見であった。姜尚中は、その夜のNHKでも上坂冬子が発言する靖国参拝小泉GOGOの意見に対して、今はやめておくべきだ、と。

『アイランド』という映画では、人間が、自分の臓器移植やその他の保険として自分の体のコピー(クローン人間)を作り保存(というより専門機関で生活させておく)する。

もちろん大統領や億万長者、映画スターにアメフトのスタープレイヤーたちがその「お客さん」である。結局は、奴隷を従えて人生を過ごすスタイルから、コピー(とその会社で働く人間)を従えてのライフスタイルへと変貌させているのが未来社会だという。といってもそのサービスを享受できるのは、限られた人である、それは今だって同じだ。中東の石油をむさぼって、どこかのタコを採りすぎてタコ焼きの具に困っている国。どこかの木を伐採して割り箸にするが、その国では彼は戦争が起こっている。血液製剤のすごい%を頂いていて、吸血鬼といわれていた国。日本のことだ。コピーとは言わぬまでも、十分に、誰かの上に胡坐をかいて生きている。『アイランド』の予告編のまえに映画館ではCMが流れる。総理府だ。骨髄バンクが200万人分(だと思った)不足しています。

人間は、生きるためならば、他の人間を犠牲にしてでも生きる、という教訓。こんな隠れたテーマがあっては、たとえ小さなハッピーエンドが現れても、なかなか今の時代ヒットする映画ではない。面白くて、ハリウッド得意の食傷気味のアクションシーンが盛りだくさんで、起承転結がしっかりしている。それでも館内はガラガラだった。

今朝の社説(朝日新聞)でも、戦後60年にちなんで、財政赤字、少子高齢化、社会のひずみを挙げて、勇ましさの功と罪、アジア村で生きる術、というサブタイトルで、この日本に求められるものを展望していた。

さて、戦後のこのめちゃくちゃを助長したのは、確かに西部邁の言うように、「自由」であればなんでもOKという風潮で、果ては、コピー人間を作ってでも生き延びる人間に何の制限もなく、一体どんな未来があるのだ! という意見には一理ある。

松井孝典(理学博士)の本を読んでも、人類とは、生き延びる方法よりも、死の危険が迫っても「己の存在の意味を知る」という方向に賭けてしまうということが出てくる。たとえば人間圏を作って生きるというのも(宇宙を認識するという意味においては正しいが)生き延びる選択としては危険(500万人以上ですでに地球上では人間が生きるのに可能な人口を超える)で、松井は「文明のパラドックス」と読んでいるのだが、人間というのは、それでもやる。

だから、己を掛けてでも、そういう方向への歯止めを掛けろ! と西部は言っているようなのだが、その裏づけとしての体がないので、聞いていられない。(筑紫には、肉体派を既に諦めている悲しみが漂っていて、西部の口だけの勇ましさは、かえって浮き彫りだ)

戦争のイメージとして、オレにはこんな光景が浮かぶ。高校野球に出てくるような頑健で若いからだが、戦場へ生かされ、そのための理屈を、頭の良い、よぼよぼで体を使うことをついぞせずに人生を終えていく者たちが、クーラーの利いたサロンで、タバコや酒を相も変わらず年取ってまで嗜好しながら考え、押し付けて、満足する。戦場での痛みを共有できないにもかかわらず、そして自分の子孫や親戚は除外させようとしながら、体を使い汗を流し命を掛ける道を説く。

アニマル浜口も、発言がくだらなくても、そのパフォーマンスを疎かに出来ないのは、その体を見れば、普段相当に(たとえばバーベルなら120ぐらいは挙げるのではないか)体を酷使し、苛め抜いて、それを人間の生命活動の当たり前として受け入れて生きていることが、想像できるからである。それは作家であっても、椎名誠とか、橋本治とか、その言に耳を傾ける気になるのは、体を鍛えている風であるからだ。

ロックと文学の相性がいいのも、口達者というよりは、体が弱いという点であろう。

一方Ⅴシネマとヤクザの相性がいいのも、体を元手に勝負しているからだろう。

男は闘う。小泉純一郎や石原慎太郎なら、家で腕立てぐらいはしているかもしれない。

しかし、西部はどうやらその気配が見えない。それでいて勇ましいことを言う。高野孟が、「潔さ」と「命がけ」が小泉ファンにかっこよく映っている、といっていた。

その裏づけというか、まあ、西部の様なヌラリヒョンの身体ではない。

そんなことを考えながら、姜尚中も(昔、野球少年だったらしいが)なかなかいい体をしているな、と見た。

明日でベスト8が決まり、組み合わせも決まる。

埼玉栄と聖光学院でコメントが来たので嬉しいです。

高校野球ネタばっかりなので、そろそろ変えようかと思っていましたが、最終日(決勝戦)までは触れていこうと思います。

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2005年8月 4日 (木)

情熱と冷静のあいだ

タイトル(情熱と冷静のあいだ)をみて、辻仁成と江國香織の名を浮かべた人もいるかも知れぬが、向こうは、『冷静と情熱のあいだ』である。しかもオレに言わせれば、そこには情熱のかけらも感じられず、『冷と静のあいだ』ぐらいにしか映らない。以下はそんな話である。

最近、『姑獲鳥の夏』そして『妖怪大戦争』と連続して関連映画が公開されて、京極夏彦という人をテレビや雑誌で目にすることが多い。

この名前からして、(北海道の)京極町の出身ではないか、と思った(京都の京極が思い浮かぶほどの感覚がオレにはない。念のため)。

もうすぐ始まる夏の全国高校野球大会に昨夏の覇者で、三年連続出場は、ご存知駒大苫小牧高校である。主将の林選手は、昨年も二年生で登場し、サイクルヒットを放った優勝の立役者だ。彼の出身中学が京極中学である。

実はオレの生まれた村は真狩村(だからオレの出身中学は真狩中学)といって、山(羊蹄山)の反対側にあるのが京極町なのだ。

京極夏彦はミステリー作家だからなのか、あまり素性を明かさない。神秘性を保ちつつもメディアに登場して売っていこうというスタイルが、成功しているともいえる。もちろん作品そのものが面白くもあるのだろうけれど、読んでいないにもかかわらず、オレはこの人間のほうが面白いように感じる。

もともと地元の人から、「京極夏彦は倶知安高校出身だ」という話も聞いていた。倶知安村から分かれた東倶知安村が現在の京極町である。小林多喜二に「東倶知安行」という小説があるが、東倶知安とは現在の京極のことである。とすれば、なるほど、京極という地名をそこで高校時代に知ったということなのか。

朝倉大介というピンク映画の有名な大プロデューサーがいる。詳しくは書かないが、この人のプロデュースした映画の批評をしたことが元で、オレは今年知り合うことになった。意気投合というか、いっぺんに好きになった。

この人は小樽の出身である。そこは父や伯母さんたちが昔過ごした町であること、弟も住んでいたこと、今でも従兄弟(しかも京極町出身)が住んでいること、などからして、さらには自分も幼少期に毎週(映画を観に)通った町でもあったので、親近感がはじめから沸いた。ちょうどそのころ出した(オレの)本の宣伝に奔走してくれたのが、同じく小樽出身の映画監督小沼勝氏の友人で、やはり小樽の人であった。

その批評した映画がまた北海道が舞台であり、監督も北海道出身、まあこの辺でやめておこう。実は、オレの家(真狩村の)の隣の人で、昔から親しかったオジサンが朝倉大介と深い因縁があり、朝倉氏は、最近小樽に帰ったときに、ついでに真狩村にも寄ったといううわさをまた聞いた。まあまあ、この話もここで止めておく。で、朝倉氏の高校時代の同級生が、「京極夏彦って知ってる?」って聞くから、「もちろん」と応え、「あれ、あたしの息子なのよ」。というわけで、京極夏彦が小樽出身ということまでは何となくわかった。

随分と遠回りをしたが、この京極夏彦を見ていて、冷と静のあいだを、まともに見せられているような気がしたのだ。

NHK「スタジオパーク」でも日テレ「爆笑問題」でも、京極は、文章は単なる文字にすぎませんから。そこに意味や主張や訴えなどを込めようとは露ほども思っていません。と答えていた。

昔、松任谷由実という人の歌が随分とヒットし続けていたが、彼女は、代々続く下駄屋の娘である。同じ下駄屋でも、下町(足立区)の田中好子の実家とはちょっと違う「お嬢さん」というわけだ。だから『20歳の原点』の高野悦子的なカルチャーショックは多少体験したとしても、あとは絵空事を歌っていたわけだ。近くの喫茶店にいって、同時代の若者たちの会話に耳を傾けてはメモをして、という涙ぐましい努力で歌詞を書いていたと言う話は、本人も売りにしているし、有名である。

松任谷が、矢沢永吉と海辺で語る珍しい映像を見たことがある。これをみると、実体験もなく情報収集をして必死に富を稼いで生き延びる彼女ではあっても、「少女」というキーワードが、日本の高度成長の男たちの悪しき産物である悲劇を思えば、微笑ましくもあった。矢沢にもまた、愛しき情熱がほとばしっていた。

それはいいのだけれど、角田光代という作家がいる。これも京極同様に直木賞作家であるが、彼女は、まさに地元の商店街しか知らぬ、作家の「松任谷」なのである。山田詠美とか柳美里とか実体験をグロテスクに見せる作家が流行った時代を思えば、その逆行なのかも知れぬが、この角田のぬるい涙(NHKの番組で痴呆を抱える老人の短いドキュメントを見て角田は泣いていた)もまた、グロテスクを超えて気持ちが悪かった。

角田の様なオタク作家と、京極夏彦は違うけれども、しかし、どうも(読んでもいないのに思うのだが)一方は巷をつぎはぎし、一方は文献(データ)をつぎはぎし、原稿の上に文字を、冷静に落としているように感じるのである。

ここでオレの文章について少し書く。

たとえばこんな風に評されている。

「血を言葉にして吐き続ける」

「魂が貫かれミクロからマクロまでがゴチャッと詰め込まれたエネルギーの塊」

「限りなく愛を歌った情熱街道まっしぐら」

「『ヌエ的ファシズム』(辺見庸)の変幻の正体を血を這うような目線でじわじわとあぶり出すような文章」

『映画芸術』という雑誌には、東京拘置所にいる元・日本赤軍の和光晴生がこう書いている。若松孝二が、もし文章を書くとなったら谷岡雅樹になるだろう。「いまどき珍しい全編パトスに貫かれた本だ」と古い友人から差し入れされて読んだのだという。

そんなオレが、である。

今もてはやされているのが、緻密に分析し、文字を並べて、全くオレとは真逆の冷静な人たちであり、一方でオレ以上に熱くなっている旧い男たちの世界に関わりあって、何かもう、身を引き裂かれんばかりなのである。

昨日はそんな熱い男の一人から電話があり、熱唱1時間、その話が、もう泣けて、笑えて、考えさせられた。

電話の主は、武蔵拳というⅤシネマ界きっての最も今売り出し中の俳優である。

先日、彼を「なみだ目の帝王」とタイトルをつけ、彼のインタビュー記事をまとめたのだが、彼は当初、その「涙目」に難色を示していた。もっと格好良くして欲しいというのだと思うが、今この時代に、それこそ任侠だの男気だの、全く逆風が吹いているkとに、彼はまだ(まともには)気づいていない。いくつもの雑誌にVシネマの特集をお願いして断わられ、その雑誌がじゃあ、(Vシネマの代わりに)何を特集しているのか見たら、そこには京極夏彦氏が登場していた。

そんな状態で、武蔵拳よ、せめて「涙目」でその逆風の中で耐えて哀しい目をしている、現状をまともにオタク連中にぶつけてやろうではないか、本物の凄みを爆発させてやろうじゃないか。そんな意味も込めていたのである。

それは彼もわかってくれて、「なみだ目」で解決したのだが、ほかにも熱い言葉を吐いていた。

彼が主演のシリーズで、彼の兄弟分が武蔵拳(組長の役)の前に立ちはだかって弁慶の仁王立ち宜しく、銃弾を浴びて死ぬ。そのシーンが気に入らないというのだ。まるで武蔵が、アホみたいにただ後ろから(銃弾を浴びる)兄弟分を見ているだけで、何もしていないように見えるのが、役柄に合わないといって、監督に撮り直しをお願いしているというのだ。

確かにそうだろう。動いて、激しく演技をすれば、立場も気持ちも成り立つだろう。しかし、耐え切ることが勝負ではないか。高倉健なんて演技は全然うまくなくても、そういうところで我慢して「ただ立ってみている」ということに関しては、それこそ世界一賭けていた男ではなかったか。そこに皆しびれたのではなかったか。何もしない無様な時間をどう凌ぎきるか。

前に俳優の本田博太郎氏と話していた時、三島由紀夫の演技に感動した話をしてくれた。三島が湯飲みを持ったまま、手が震えていたというのだ。普通の役者ならうまいこと、手持ち無沙汰になるのをごまかすためにタバコをふかしたり、何かほかの動作で埋めたりするのだけれど、三島は(他の演技に)逃げずにただじっと湯飲みを持っていたというのだ。その手が震えている。それを見ると、いつも泣ける。そう言っていた。

なんと言うか、武蔵拳のこだわっていることが「情熱」の中では、痛いほどにわかる。そして今、ヤクザ映画のおかれている位置、京極や角田が売れて、『妖怪大戦争』がもてはやされている今この時代に、何を錯誤したような問題で狂っているのか、という面もまたある。

そしてそれがまた「なみだ目」なのだ。

武蔵拳の時代が未だやってこないことへの苛立ちは、オレにだってある。

かえって、熱情に賭けていかざるを得ない男たちが今、確かにいるのである。

そんな電話の受話器を置いて、フーッとため息を漏らしながら、オレもどうしようかなあ。

そんなことを考えたのである。

情熱と冷静のあいだ。

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