2006年6月18日 (日)

札幌で。あるいは小樽。

どうもありがとうございました。

といっても、いきなりこのページを見た人は、何のことかわかりません。

それは、札幌でのことであり、まあ、ぴんと来た人に届いてくれると、ありがたく、ホント、感激屋としてのオレは泣いています。ベッドの上じゃないけれど。

札幌での少々以上の憎まれ口、ご勘弁を。

こういうときに限って、たまの3日間家を開けただけで、メールと郵便物が山のように(というと大げさなので小山のように)たまっていました。ゲラのチェック、原稿依頼、女子野球の資料、質問の回答、トラブル、その他その他。

ところが、実は、昨日、それどころではなく、気が動転し大変な事態に陥っていました。

小樽の駅で電車に飛び乗ろうとして、デジカメのないことに気付いたのです。

あっ。

たった今、車(小樽市内を観光していた)を降りるまで写真を撮っていたわけであるから、まさに今さっき、汽車の券(小樽~新千歳空港)を買ったあの券売機の隣に置き忘れたに違いない。発車直前の汽車に飛び乗ったのを急遽、ダッシュで飛び降りた。

発車バイ。いや、啖呵バイ。なんだっけ。

「すいません」

大きな声を出して、階段を駆け下り、改札口に戻り、駅員に事情を話して、券売機の前に行く。

だけどなかった。

盗まれた。

こんな経験は、珍しくない。実にくだらないし、そして頭の中が猛烈な勢いで回転していく。後悔の念。妻にまた怒られる。恐妻家のオレ。

そもそもが、ダッシュで汽車に飛び乗ったのは、飛行機の時間にギリギリであるからだ。マズイ。そのことも空港に電話して、遅れる旨を伝えねばならない。それよりも、さっきまで乗っていた車の主。すなわちオレを案内してくれたK氏に、もしかして車内に置き忘れたかどうかの電話を入れてみよう。K氏とその息子さん夫婦に時間のない中をぐるぐると小樽見物させていただきお世話になった。いや、家の女房にまずは、「またやっちゃった」と連絡しなければ。それよりも、何処で失くしたか状況を思い出そう。

そんなことを考えているうちに、まあ、行動がおかしくなる。

小学校二年生のときに、貰ったお年玉を二万五千円トイレに忘れてきた事がある。

今でもその時の自分に対するふがいなさと悔しさを覚えてはいるけれど、それを打ち消すほどに、定期や財布は、妻と結婚するまでずっと紛失を繰り返す人生だった。

何故執着がないのか。いや、執着はもちろんある。

障害者が、健常者と同じように出来ない事を自ら悔いている本を読んだ事があるけれど、心境が似ている。障害といえば障害であるし、抜け作タヌキであることは確かで、その事を責められても非常に困るのである。

駆け足の早い人が鈍足の人を責める。計算の早い人が、遅い人について、どうして遅いのかというようなものだ。どうしようもない。白人に肌の色が白いといっているようなものだ。オレにとっては、なかなか直らない。

『自転車泥棒』という映画を何度も観ている。それが好きなのは、あの盗まれて呆然とするシーンが好きだからである。金もなく、職を探し、やっとありついた職に必要な自転車を手に入れて息子と大喜びしながら乗っていた自転車。

それを盗むのかよ。

『佐藤錦』というさくらんぼが大量に盗まれた事件があった。

金を盗む、商品を盗むというのよりも、更にたちが悪いのは、手を掛けて作った直接の作り手の気持ちは、のちのち流通させる人以上に、自分の子供のように可愛いという事だ。

死んだ子の歳を数えるというけれど、聞くだけでいやな事件だ。

八百屋の店頭から盗むよりもずっと罪は深い。

まして実際の人間を失う事を考えると、何か、盗むという行為について、もっと常日頃から話題にして、意識させなければ、その他の事も含めて生きづらくなる。

盗んだほうは、何も考えていない。殺した人間が、被害者さえ死んでいなければ、自分は殺人犯にはならなかった、考えている人が、かなりの数いる事は、多くの手記などを読んで知っているし、その程度に人間というものが、期待に反して道徳的でもないことをオレは知っているつもりだ。

でもさあ。

カメラ。

今のオレにとっては、金額としても痛すぎる。

ああ。どうやってその分を取り替えそうか。でも人生はそうはなっていない事は、これまでの経験でよく知っているではないか。

自転車を俺も六回盗まれて、結局は今、もうその最後の盗難から数えて五年になるが、自転車を使わない生活をしている。家から最寄の駅まで歩いて三十五分。妻は自転車を使っているが、オレは常にテクテクと歩く。そういう便利さを憎んで噛み締めながら生活していた。

だから今回も、かつての裕福な同級生たちとデジカメを振り回して、何をオレは満足げに浮かれていたのか。そんなことを考えながら便利で危険な社会に無理やり話をすり替えながら、それでも自分の特異な性格とそれに導かれるであろう行動様式を恨んだ。

携帯電話も持っていない。車に乗るのもやめた。

新宿から電車が無ければ、翌朝まで歩く。丁度北千住には着く。

タバコもやめたし、だいたいの事は我慢できる。

それでも自由でいたい。

何か制御がずれるというか、人間の全体像としてしっくり来ていないのかもしれない。

前日も旧友との話で、オレがテトリスを二十六時間寝ずに連続したという話をしたら、驚いてはいたが、本当はこういう自分をどうしていいか、困ってもいる。

ギリシャのエーゲ海クルーズで、カメラを盗まれたことがある。その時のオレは冷静で、どうしたかといえば、次の島に下りて、そこでカメラ屋を探し、すぐに買った。何が冷静かといって、ツアーでの行程中だったので、一緒に行った観光の人たち(日本人)に対して私についての要らぬ心配をかけたくないというおかしな思いやりが働いて、添乗員には話はしたものの、同行の人たちには漏れないようにと配慮した。

それが冷静というより、イッタイ何を本質として考えているのか、行動が実はおかしくなるという事を言いたかった。

カメラに関してはまだまだいやな思い出がある。網走を妻と観光中のことだ。カメラを落として壊してしまった。

理由は明白だ。これはあてつけでも難癖でもない。

この日、部長から電話連絡するように言われていた。

当時の私は、会社勤めをしていて、夏の休暇をとって北海道めぐりをしていた。部長は、ただ一人出勤し、嫌がらせとも思える「社内連絡」を特に営業社員には課していた。

オレは、生返事で休暇をとったものの、もちろんそんな電話を北海道くんだりから入れるつもりはない。ないけれども気になる。いつもポケベルを持たされていたが、自主的にきっていた。だからそういう普段の態度も含めて、このときとばかりに、北海道からの定時連絡を迫って、内心ほくそえんでいたのではないか。それを思うと、ただ電話を入れないというのでは、翌日出勤してその非を責められるだけだ。それでは面白くない。じゃあどうするか。もちろん電話を入れずに何かギャフンと言わせて、なおかつそういう連絡を今後入れにくくさせる方法はないものか。にもかかわらず、いや~な気持ちが頭の中を渦巻きながら、虚ろにシャッターを押し続けていたのだ。

ふざけやがって。

北海道人は、執着がないという話を、K氏と盛り上がっていたオレ。

倉本聰などは、本州からやってきて、利権から何から根こそぎ奪う脂っこい奴だ。北海道の作家と付き合いの深いK氏は、小桧山博について、「あいつは珍しく北海道のくせに脂っこい」といっていた。つまりは、下品で、嫌な奴だ! といってるのだけれど、オレも本州に住んで少しは脂っこくなったかと思っていたら、その矢先にこのザマだ。

チクショウ、全部まとめて、どうかしてくれようか。

結局妻にも空港にも何処にも連絡を入れる事も出来ずに、千歳空港に着いたら、18時30分出発が、18時20分ごろ汽車が駅に到着。まずいよね。

走ったし、慌てた。

当然こういうときに限って、発券、身体検査に手間取る。

なぜか警報音はなる。仲からカッターナイフが出てくる。これは、オレにとってはホチキスやボールペンなどと一緒にいつも持ち歩いている必携品だ。羽田空港からのときはオ咎メ無しだったのに、どういうことよ。人相も悪いし、直前に走りこんできて、カッターが出てきて、おまけに身体検査で音がなれば、怪しまれるのは仕方ない。物は放棄して、18時30分をオーバーしている飛行機に向かってまたしても飛び乗った。

羽田についてからがまたおかしい。

「北海道に着いた」と勘違いして、空港前にバスに飛び乗って、。札幌行きますよね???と聞いたら、運転手が津田沼行きだといった。

あれ、ここはどこよ。

京成バスだった。

小樽駅で買った「筋子」のおにぎりを食べようと見たら、これが「ツナマヨ」とかいてある。

まあ、これ以上、書いても仕方がない。

帰ってきて、メールをあけたら、トラブルのメールもある上に、パソコン自体がトラブルだ。なんか知らんけど、通じない状態だ。おかしい。メンテナンスなのか。そういう場合は、事前に予告してくれよ。いや、今のオレの精神状態では、よくわからない。

「電話したけど何で出なかった?」と妻に聞いたら、家にずっといたけど、電話なんてなっていない、とのこと。

そういえば着信音の回数が違っていた。間違ってかけていたのだろう。

何とかに刃物というけれど、谷岡に文明だね。

実は、ここまで何とか書くことが出来ているのは、K氏から連絡が入ったからだ。

車に忘れていたという。

まだ確認はしていないけれど、カメラの代金だけなら、取り返しはつかないにしても、代用は聞くだろう。だけど撮った写真については、そうではない。盗んでいる事自体犯罪者であるから、何に使われるかは分からない。一緒に写っている人に迷惑がかかる。こういう場合、何か不運が重なれば、その被害についてもめたりする事も考えられる。

それ以上にやはり、『自転車泥棒』を思い出すのである。

盗んだ奴はイッタイどういう気持ちで、やっているのだろう、もちろんろくな奴でもなく、相手の痛み悲しみなど知らぬ存ぜぬだろうけれど、一応は全く知らぬ人々の写真が写っている。それを無造作に、それこそデジタル操作して、「消去」する。

どんな気持ちだ。

そして何を消すのか。思い出か、歴史か、虚栄の残像か。

だけど駅員さんが、こういっていた。

「でも盗っていく人いないと思うんだけどな」

少し救われた。

そうだ。

自分だってそういう(物のなくならない)田舎町で育ってきたのに、いつの間にか、物を忘れりゃあ、そこで取る奴がいる、という考えに占拠されていた。

小樽の人口は十五万人を切っている。丸井今井もつぶれた。既にニューギンザも大國屋も消えていて、デパートはゼロになった。

年寄りばかりで高齢都市の何かのランキングで全国四位だと、K氏は言っていた。年寄りがうるさいから若者が町を出て行くという。それも京都の様な粋な味や伝統があるわけでもないのに、ただただうるさいという。

小樽商大の生徒は八割が留年ではないかという。しかも時給六百円のアルバイトを奪い合いながら留年しているという。駄目だ、こりゃあ。

だけど、他人の物を取るような街ではないという自負。

カメラの紛失が札幌だったならば、多分駅員は、

仕方がないねえ、などとオレに諦めるよう「都会的な」むしろ忘れるあんたの不注意だという目を向けられていたであろう。

小樽がいいね。

とはいえ、車内でポール・ウエラーを掛けていたK氏の息子さん夫婦も札幌の住まいだという。

オレはどう生活をしようか。

そんな呑気な夢想の場合じゃありません。今から原稿(「ヤクザと女とⅤシネマ」という題での依頼)に取り掛からなくてはなりません。

では。

さっぽろでのこと感謝します。本当にありがとうございました。

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2005年9月21日 (水)

北海道出身タレント

Ⅴシネマの原稿を書いていたのだが、変なことが気になって調べているうちに嵌まり込んでしまった。

Vシネマは初期のころから、芸能界の中で他のジャンル以上に子息がデビューする場でもある。たまたま哀川翔主演の『デコトラの鷲』のロケを取材に行ったら、仁科克基という俳優がいて、彼は松方弘樹と仁科亜希子の息子であった。千葉真一と野際陽子の娘である中瀬樹里も『武闘派仁義完結篇』に出ていた。

西岡徳馬は、実子の西岡竜一郎を自らの主演Vシネマに起用している。岡崎礼には父の岡崎二朗が、曾根英樹には父の曽根晴美が、目黒大樹には父の松方弘樹が、それぞれ脇役として見守っていた。菅原文太も亡くなった息子の菅原加織作品に登場しているし、『首領への道』シリーズに現れた本田大輔も父の本田博太郎の助演を受けている。

『修羅場の侠たち~実録・河内十人斬り』という作品は、本宮泰風を主演にして、実兄の原田龍二が競演している。

『修羅場の侠たち~実録・朋友会』という作品で、小沢和義という俳優が主演なのだが、その実兄である小沢仁志は、このVシネマの企画もしていて、自らが脇を固めている。この作品には、山本大も出演していて、同じ事務所のボスである中野英雄も共演する。中野は自ら企画し主演もした『実録名古屋やくざ戦争』シリーズでは実子の中野武尊もVシネマデビューさせる。

ここで、中野英雄の事務所(今や森下千里の大ブレイクで忙しい)をHPで調べてみた。前に中野英雄の取材でお邪魔したこともある。大西麻恵といういい女優さんがいて、この人についてはその主演映画『1リットルの涙』を偶然オレはべた褒めして新聞に書いたことがあり、中野氏の事務所(バグジー)を訪れた時に、大西麻恵も所属していることを知り驚いた。

ところで、この「バグジー」に荒木恵と久米田彩いうタレントさんがいて、いずれも札幌市出身と履歴にはある。さらに森望美が登別市出身で、佐伯俊が苫小牧市と、何だか北海道出身が随分といるのでさらに今驚いているのである。

昔から北海道出身のタレントを調べてはいるのだが、ここで、以下、羅列し、ほかにいれば、のち付け足していこうと思う。

あ行

青木謙知、朝加真由美、阿知波悟美、アップダウン、安倍麻美、安倍なつみ、荒川強啓、石山隆彦、伊藤清美、伊吹吾郎、岩崎加根子、岩崎紘昌、岩本恭生、江川有未、江良潤、大沢逸美、大沢舞子、大島宇三郎、大城美和、大橋純子、岡崎未来、沖本富美代&沖本美智代、小野寺昭、

か行

春日八郎、加藤浩次(極楽とんぼ)、金井夕子、奏谷ひろみ、叶和貴子、川合千春、川瀬陽太、川原田樹、ガンビーノ小林、キートン山田、菊池均也、北島三郎、木之元亮、木元教子、GLAY、熊川哲也、黒沼弘己、香寿たつき、小林さやか、小林正寛、小日向文世、こまどり姉妹、古村ヒロ、

さ行

斉藤陽一郎、冴木杏奈、坂口良子、櫻庭博道、佐藤礼貴、沢木順、沢田亜矢子、三遊亭夢之助、宍戸美和公、篠原勝之、正司照江、菅原卓磨、砂原良徳(電気グルーヴ),すまけい、左右田一平、

た行

平淑恵、タカ&トシ,高倉陵(三拍子)、高橋恵子、武田真治、田中裕子、玉置浩二、伝法谷敦志、十勝花子、外山高士、豊岡豊、

な行

中島みゆき、中原理恵、西尾祐里、西沢利明、信田昌之、

は行

長谷川初範、原千晶、パラダイス山元、飛田恵里、平田裕香、広田レオナ、藤崎奈々子、藤田瞳子、平成ノブシコブシ、宝積有香、ポール牧、細川たかし、

ま行

前田忠明、牧村三枝子、増沢望、松村和子、松山千春、三浦哲郎、三浦智佳、御木平介、三貴将史、水谷豊、三田村周三、三井智映子、MODOKI、宮川泰、宮本信子、室田日出男、モリマン、森若香織、

や行

矢部美穂、山崎満、山田吾一、湯浅美和子、YUKI、吉田美和(ドリカム)、

ら行

ららさくら、

わ行

輪島功一

<映画監督>(テレビ、Vシネマも含む)

合月勇、あがた森魚、秋山勝仁、石井岩太郎、石橋冠、石山昭信、金谷稔、葛西治、カジノ、片岡修二、加藤文彦、鎌田義孝、工藤栄一、熊切和嘉、小沼勝、小林正樹、佐々木浩之、佐々木正則、佐分利信、柴田吉太郎、菅原比呂志、鈴井貴之、相米慎二、田尻裕司、田中光敏、辻仁成(東京生まれの函館育ち)、長沢郁朗、永野靖忠、野上正義、林栄樹、東山充裕、藤本幸久(*三重生れ)、細山喜代松、松生秀二、水野洽、森永憲彦〈佐賀生れ北大映研〉安彦良和、山崎幹夫〈東京生れ北大映研〉山田勇男、山本謙一郎、吉雄孝紀、吉田ルイ子、米田彰、

<シナリオライター>(テレビ、ラジオも含む)

明石典子、旭丘光志、朝倉賢、亜槍文代、石森史郎、伊藤桂子、いとうこうしろう、海原卓、小川智子、奥山貞行、小瀧光郎、尾西兼一、加藤学生、川内康範、菊地寛、北英祥、木原くみこ、合田一道、合田陽、佐藤哲、佐藤有紀、清水曙美、北林稔、小南武郎、鈴木佳満、田上雄、ちゃき克彰、津田幸於、富田義朗、鳥海尽三、永井浩、長野京子、野田高梧、野村智美、橋本祐志、八田尚之、藤井邦夫、古市カオル、大和屋竺、吉田哲郎、村岡光、脇哲(*高知生れ)、渡辺善則、

<撮影監督>

漆崎博克、奥村祐治、柿田勇、斉藤幸一、佐々木原保志、高田昭、田畑圭輔、田中勇二、中原正浩、浜田毅、碧川道夫、三好和宏、横川清司

<製作>

佐藤啓子(朝倉大介)、富山加津江、神田直彦、東條あきら、能登節夫、水ノ江滝子、横堀加寿夫

<映画音楽>

あがた森魚、伊福部昭、佐藤勝、ダン池田、玉置浩二、万城目正、宮川泰、森田公一、八洲秀章

<美術>

秋森直美、川崎軍二、河村寅次郎、宮森繁、横山豊

<映画評論家>岡俊雄、塩田時敏、品田雄吉、ダーティー工藤、田中真澄、福島里美、

<Vシネアスト>谷岡雅樹

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2005年9月 7日 (水)

雨のニューオ(ー)リンズ

今日、ラッパーのカニエ・ウエストが、「政府は黒人を撃ってもかまわないのか」と生放送でニューオーリンズ災害救助の批判をした。

9・11のテロを見て、ハリウッド映画を見ているようだ、と多くの人が言った。

当時、たまたまある飲み会で居合わせた(映画評論家の)寺脇研は、「僕には、その意味がさっぱりわからない。アメリカ映画を全然見ていないから」といっていたが、これはカマトトである。一時期までの寺脇研は、公開される日本映画を全部観るというのがひとつの売りであり、その後もほぼ日本映画はほぼ観切っていたわけであり、そういう中にあって、アメリカ映画で何が行われているかをわからないというのはおかしいのである。

「自然とは歴史の記録された古文書で、存在するということは過去の現象を語っているということだ」(宇宙学者・松井孝典)

つまり、人類の存在の意味そのものが、宇宙の歴史を解読する行為であるというわけだ。映画もまた、自国の歴史を読み解こうとする試みであり、不安と警告を映像化したものが、現実と一致したところで何の不思議もない。

ニューオーリンズのハリケーン災害で、食糧支援や救助にやってきたヘリコプターに対して、住民の中の荒くれ者というかギャングが、銃で撃ったという報道を聞いた。政府の対応の遅れに対する反発の表明なのか、それとも、一部の人間自体がもはや戦時体制に入っているのか。

この状況は、1週間経っても悪化するばかりで、町から水を引かせるには3ヶ月かかるとか、ニューオーリンズの町ごと別の場所に新たに建設した方がいいとか、さまざまな憶測を生んでいるし、刻一刻と被害も進行中だ。この一部始終から、オレは『ゾンビ(Down of the Dead)』(77)という映画を思い出した。この映画はリメイクされたが、なんとも悪意でもってそうしたかのように、スケールが小さくなっていた。わざとそうしたのかもしれない。最初の作品では、自由をさえぎられたものの戦いが拡散して、世界中に広がる可能性が見え隠れしていた。その匂いをあえて消したのではないか。

アメリカの歴史は、アメリカ映画の中に如実に現れている。西部劇でのインディアン狩り、宇宙人との遭遇ばかりではない。ゴッドファーザーでも、インディ・ジョーンズでも、ジョーズでも、過去たどってきた自らの道を検証しようとしている。弁明しようとしている。反省しようとしている。そして現在の欺瞞も描くし、誇りのつもりで恥も露わにするし、未来の不安も描く。

人を殺して、土地を奪い、どう統治していくかが、ずっと命題としてあったわけだ。

この間、細木数子の番組を見ていたら、細木は、借金というものは、返そうとしていればいい。逃げようとするから、くだらない顛末に陥る。殺し屋にも狙われる。自己破産などせずに、逃げもせず、返すといって、普通に生きていれば、何とかなる、と。細木自身10億円を返したという。

まあ、額の問題ではない。返せない額だってある。それでも態度としては、それしかないはずだ。手塚治虫も、映画の失敗で虫プロは多額の負債をかかえ、多数の借金取りが現れたときに、金の工面で奔走などはしなかった。社屋に手塚自身が、いて、ひたすら借金取りを目の前にしながら漫画を描いていた。「これで返す以外にないのだ。これこそが、あなたたちにとっても一番手っ取り早い方法ではないか」。そう言って、書いて返すのを待て、と言い張った。

「積木くずし」でも、子供が暴れても、ちょっと刺されるぐらいで死にはしない。下手にやりあうから死ぬことになる、といっている。「夜回り先生」も同じことを言っている。自分を生き続けるしか道はないのだ。

山本一力もまた巨額の借金の中、これしかない、といって書いた。大西巨人は子供の学費が足りなくなって、生活保護を受けながらも(売れるかどうかも分からぬ大作を)書き続けた。

サバイバルである。いつからか、どこかに勤めて、サラリーをもらうという方法しか思い浮かばない人間が増えて、勝つとか負けるとか、そこから落ち零れると、ニートだ、フリーターだ、とあまりにも釈迦の手のひらの上のダンスをし続ける。

そうではないのだ。どうやってその道を生きるかだけなのだ。

その意味では、生きるのは戦争であるといってもいい。

ルバング島のジャングルで、戦後も29年戦い続けた小野田寛郎は、その間、233回も地元フィリピン軍の討伐隊に踏み込まれた。フィリピン政府からすると、日本の敗残兵が、生き残って地元住民に悪さをしているから捕獲しよう、逆らえば銃殺という構えであったろう。しかし小野田少尉から見ると、戦時下での戦闘である。勿論何人かは手をかけている。そうしないと生きているわけが無いし、そうすることで生きてきた。そこには迷いはない。

770兆円の借金があるからといって、別に逃げることもなく、えらそうにふんぞり返っている国もある。

ニューオーリンズがどんな状況か詳しくは分からない。しかし、州兵がイラク戦争に取られている。イラクも州も、どう統治しようか、シーア派がいて、スンニ派がいて、クリオール黒人がいて、アイルランド移民がいてと、そこでの統治者は一人一人の人間の顔を思い浮かべてはいない。

手元にあるのは、各国要覧(二宮書店)の2001年度版であるが、ニューオーリンズは、全米で人口第21番目の都市となっている。

しかし、「Ⅴ」というレンタルビデオ草創期に大ヒットしたテレビシリーズがあるが、そこに登場するUFOは、世界の50都市の空の上に現れる。アメリカは6都市で、ニューヨーク、シカゴ、ロスなどに混じって、この21番目の都市、ニューオーリンズもまたⅤのマザーシップ軍団に狙われた6都市の中に含まれているのである。つまりは、主要な都市であるのだ。1840年代にはアメリカ第2の都市であった。

『雨のニューオリンズ』(注:ニューオーリンズではない)という映画は、65年のシドニー・ポラック監督作品であり、アメリカン・ニュー・シネマに加えられることは無いけれど、しかし、同時代的にではなく、後追い的にしか見ることの出来なかったオレにとっては、多少熱狂から外れた冷静な見方が出来ていると思う。そして、どうにもニューシネマの匂いが既にそこかしこに立ち込めている。日本での公開は69年の5月で、コッポラも脚本に参加していて、監督のポラックは勿論、主演もレッドフォードで、とあまりにもニューシネマの要件は満たしている。日本では公開が遅れたため、前年にすでに『俺たちに明日はない』『ある戦慄』レッドフォードの次の作品である『裸足で散歩』『卒業』『2001年宇宙の旅』『暴力脱獄』、69年に入っても1月に『ローズマリーの赤ちゃん』と、ニューシネマは立て続けに公開済みであり、その中の一篇として受け取られていたに違いないのである。

その最大の理由が、ドラマの途中、ナタリーとレッドフォードの二人は駆け落ちをするシーンから、自由への飛翔と彷徨を見せるからだ。突然風景が変わる。情緒的でもなく切羽詰ってもいず、しかしフワッと列車に飛び乗る。

多くのリズム&ブルースやゴスペルなどを解釈し、ビートルズやストーンズなどがロックミュージックというものを発展させてきた。その中でもマディ・ウォーターズやチャック・ベリーなど、大げさで華のある題材が好まれた。ニューオーリンズの代表的なファッツ・ドミノなどのゆるいリズムは、敬遠されたというか、泥臭く黒光りしていくだけであった。

その理由を考えた時、やはり、脱出しようという危ない願望が、中に含まれていて、扱いにくかったのではなかったか。ニューオーリンズへ向かうということは、ゾンビであり、新しい秩序であり、戦いの第一歩ではなかったか。

そして日本でもそれは始まるのではないか。

富の分配システムを考え直さない限り、そこそこに吹き黙った本来の心地よいリズムが、ダンスとなって、グルーヴとなって、飛び出してくるはずだ。

たとえば東海大地震後の地域共同体のあり方を、今考えられるか。既得権益者が、その過去の記録を主張する。怪我人の元の状態、株価の元の状態までをも主張する。コンピュータが誤作動し、記録を失い、そのとき誰が秩序を立ち上げるのか。そこに流れる歌は、リズムは、一体どんなものか。オレンジレンジか、石橋蓮司か、そいつは今のところ見えていない。

実は変な考察を用意していたのだが、今日はこの辺でやめておく。

もうすぐ日本も選挙ではある。

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