早実ー関西
今大会は、いつのまにか未知の攻撃力が試されているかのようなセーフティーリードの全くない異常で危険な大会となった。
気負いも衒いもなく、どんな点差でも、中軸打者を中心に思いのまま振りぬき、どんどんと早いカウントから細かい作戦もなく好球必打して畳み掛け、点をこれでもかと突き刺し込んでくる。
そもそも、最速150キロ投手と重量打線を率いての優勝候補の最筆頭であった駒大苫小牧の不祥事による出場辞退で、甲子園の地図は激変して始まった。
主役不在の大会といわれ、「打倒駒大苫小牧」の大目標が消えてしまい、かえって肩の力が抜け、それが途中からニューヒーローを名乗り出るかのようなものすごい展開となった。
今日も雨の中、四試合、全く目が放せないが、それにしても昨日の延長15回引き分けゲーム(早実-関西)だ。
まずは第1試合から波乱含みであった。強打の智弁学園(奈良県)が、逆に強打でひっくり返された。
第2試合こそがものすごかった。横浜(神奈川県)を相手に初出場の八重山商工(沖縄県)は先制され7-0となる。しかも守備の乱れも出て、そこに漬け込まれた一方的な試合展開だ。
ところが1点1点返すというよりは、これまた堂々と振りぬき、これでもかと一人一人まともに打ち返して、襲い掛かっていく。破壊力抜群の打線は7-6と一点差まで追い詰め、9階裏は2死2・3塁で鋭い打球がショートに飛ぶ。非常に堂にでもなるような微妙な当たりを、最後は横浜の攻守がしのいだ。
そして第3試合である。
早実(東京都)というチームは、ユニフォームも変わらず、昔の高校野球の目標(文武両道とか健全な精神とかいったもの)として掲げるイメージそのままの「よさ」が現れた選手たちを送り込んできたように見える。気持ちの強い投手を中心として、よく鍛えられた守りと、確実に点に結びつける攻撃力とで、よくまとまったチームだ。活にしても荒っぽくなく、負けるにしても最後まで期待させるまさに甲子園ならではの人気のチームだ。
そして関西(岡山県)は、駒大苫小牧に秋の神宮大会決勝で敗れた、ある意味では2次的に仮想優勝候補とも言える、実際に王者の風格の漂う怖いチームだ。
優勝を狙える両チームが、古きよき時代の名残ある名門と、新しい波の強豪との一騎打ちの試合とも言える。
そしてこれまた乱打戦となった。
関西の3・4番。左打者の上田、右打者の安井は、すザマじい打者だ。特に170センチと小柄ながら、長打力をいかにも秘めた構えの安井は、昔のパリーグの四番打者(半球の長池、近鉄の土井、投影の大杉といったそれぞれのわが道を行く打法)みたいな変則フォームで構える男だ。
9回裏に無死1・2塁となってこの3・4番を迎える。点差は3点。
打ち気満々の3番上田は、この日、七回に追撃の、そしてチームの目を覚ますにふさわしい2点本塁打を打っている。闘志むき出しの真っ黒い顔で、整然とした気持ちで抑えていく早実のエースさいとうに対して恐怖充分だ。
これに死球を与えた。さあ、無死満塁で四番安井だ。
怖い怖い。外角高めの甘い球を逃さず思い切り叩く。打球は右中間の一番深いところにぐんぐん伸びる。入った。そう思った。
逆転満塁(つり銭無し)サヨナラホームラン。いや、しかし、あと少し距離が足りず、走者一掃の同点3塁打にとどまった。
早実は満塁策をとる。動転の9回裏無死満塁絶体絶命。ところが後ろに抜けそうな投手ゴロを落ち着いて裁きゲッツーで次打者を三振、何とか踏ん張り切り抜けた。
駒大苫小牧の消えた激戦の甲子園は、戦国の様相を呈してきた。
大会のはじめは投手戦で始まった。愛知形成が逆転サヨナラ勝ちした9回表のセカンドのトンネルから、にわかに打棒が騒がしくなった。あのトンネルが火をつけた攻撃力全盛の大会は、大阪湾を炎上させて、とてつもないことになって来ている。
ノーガードの打ち合いを、選手個人の力をイ遺憾なく発揮して伸び伸びとやっている。
それがただの乱打戦とならずに、見応えを持ちこたえさせてくれているのは、守備力もまた徹底してきっちりしているからだ。エラーが殆どない。
特に、高校野球特有の、いかにも緊張でエラーしてしまい、その後の悲しいゲーム展開というのが、まだない。エラーで自滅していくチーム。均衡が破れると途端に一転して惨めな一方的展開となる。それがない。
中軸打者を中心とした強打の打線の振りぬいた打球がとにかくいい大会だ。
友情とはなんだろうか。『ゴッドファーザー』という映画で、マフィアのボスであるドン・コルレオーネが、私が君に何をして、君が何をしてくれるかだ。という意味の言葉を吐くが、これをただギブ・アンド・テイクと誤解して、持ちつ持たれつの癒着と解釈する人がいるが、それは良くわかっていない。
友人とは「親しい他人」のことではなく、むしろ「親しくない自分」だとは、哲学者たちの語ってきた一つの説だ。
自分(或いはもうひとりの自分とも言うべき大切な存在)に対してならば、その相手に対して道具として扱うような、家畜としてみなすような、“利用”のしかたはしない。
付き合うこと、そのこと自体が目的化する。
しかし、「あなたのためなら一生を捧げます」とかなんとか言ってみても、ぺこぺことしている割には、心中では「道具として利用いてやれ」といったもので、家畜とみなしているようなもので、それはお互い様で、そんな縛りの元、壮烈な打撃戦が展開できるか、どうか。
あなたより何より、ただの「自分」が見え隠れする。
人間は自由に友情をはぐまなければならない。
いい試合だったと、相手と抱き合うのは、「勝つ」という目的の上では敵でありながら、その敵対関係が終わって、一緒によくやったと言い合う仲間のことではない。
確実に敵のまま、たたえあって、抱き合うのである。
悔しさのまま抱き合うのである。
日本がキューバを下したWBCの決勝戦。その後のイチローの態度。
そして高校野球。
少しは頭を働かせて、試合を見る。


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