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2005年9月 6日 (火)

宮沢りえの絵

昨日、というよりも時刻の上では今日だが、宮沢りえのBSハイビジョン特集ドキュメントを見た。

女優の素顔を切り取るというよりも、一人の画家の一瞬を切り取ったようなドキュメントだった。もっと言えば、女優と呼ばれている仕事もこなす画家らしきもの。きれいな顔をしている評価の定まらない画家。画家という職業自体の意味を問い返す力を持った、しかし本人はあまりにももろく弱い。「絵を描く芸のある美人」とでもいおうか。

メディチ家あってのミケランジェロ、谷町あっての芸能人、スポーツ選手だって、Qちゃん(マラソンの高橋尚子)だって、毎日70キロをひたすら走る生活をアメリカに家を買って始めているという。そのお金はスポンサーから出ているはずだ。北京五輪では消えた女子ソフトボールの選手たちは、今Qちゃんと同じように毎日練習をしているけれど、その意味は違う。「がんばれニッポン」とかいうCMに女子ソフトの選手が出ることはないだろう。絵だって、どんな移り気な谷町(パトロン)に支えられ、捨てられるかわかったものではない。「医師ガシェの肖像」を当時約114億で落札した大昭和製紙の会長は、「死んだら自分と一緒に名画も燃やしてくれ」という程度の絵画に対する理解力である。日本で人気のローランサンやビュッフェは、本国フランスでは。殆ど通俗画家であったりする。宮沢りえの使う高価そうな絵の具。問題はしかし絵に向かう心の風景だといいたいかのようなドキュメントである。絵は技術力よりも、描く動機を起こさせるパッションなのだ、とでもいいたそうである。ドキュメントに限らず、宮沢りえを写すスカメラは、映画でさえ、いつもそうなのである。

じゃあ、何があったのか。母親との確執、恋人との確執、マスコミとの確執、世間との確執。芸能人とはなんなのか。

吉永小百合が広島で詩を朗読する。ダイアナ王妃が、マザー・テレサが、みな、「世界が平和でありますように」というあいまいでもあり、究極でもあるかのようなお題目のしもべとして手伝うかのような行為者として、そのきれいな顔をさらす。

宮沢りえは、なぜ絵を描くのか。

彼女の絵がうまいのかどうか、オレにはわからない。いや、その他ピカソでも、ゴッホでも、その見方というものを、文字的に読んで知ってはいるが、それに従うことが出来るほどにオレは従順ではなく、しかし、自らその創作の動機や意図を探るほどには興味を持たずに生きてきたことも事実である。

芸能人はなぜ絵を描くのか。工藤静香が10年連続二科展入選とか、芸能人だから、昨今の文学賞のように、話題性も含めて選ばれているのではないかとも思うが、工藤静香の父勘七さんも静香の勧めで絵筆を執り、入選というから、少なからず、絵に対する才能が遺伝子としてあったのかも知れぬ。

青島幸男なども入選している。しかし芸能と、絵とは近いのかも知れぬ。八代亜紀、奥田瑛二、五月みどり、朝比奈マリア、片岡鶴太郎、ジミー大西、北野武など、知っているだけでも随分といる。

榎木孝明の絵は、郵便局のはがきに使用されていた。島田紳助は「松紳」という番組で、自分のアクリル画を公開していたが、オレもあそれを見たいと思い、あちこち問い合わせたが、番組内だけの「個展」であった。なぜアクリルなのかといえば、やはり売れっ子の島田は忙しいために2~3時間で必ず出来上がる小さなサイズのアクリル画を選んだといっている。牧伸二もアクリル画をやっている。富士山が得意だ。富士山といえば、山本集をオレは思い出すが、結局、オレの見る目も、誰が描いたのかということに惑わされている。「結婚の相手を決めるとき、人の意見だけで決める人がいないように、絵も自分の目で、自分の考えで、先入観をなくして見ろ」という須田寿の言葉がある画、いつまで経っても、一番出来そうで出来ない。

映画を見るにしても、人それぞれの意見があるという人がいるが、主観などというものはそうそう簡単に獲得できるものではあるまい。自分の考えを客観的にも見た上で、吐く言葉が主観である。客観的に見ることのない「表現」というものはない。客観性のない意見は動物の威嚇行為に等しく、いわば暴力であり、刃物であり、そのことが、今ある人類滅亡の加速度を増している。したがって、いかに客観的な表現者たらんとするかは、滅びへの道をいかに減じていくかに結びついている。ただただ粘り強くこういった言葉を伝えていくとすれば、たとえば絵画を、無防備に、無差別に、無認識に、感動するわけにも行かず、先入観はなくしてみるにしても、悪の含まない善がないように、汚れた記憶のない美はない、とそう思って宮沢の絵をも見たい。

黒澤明監督がもともとは画家志望だった話は有名である。ジーン・ハックマンも俳優志望となる前に美術学校に通っていた。アンソニー・クイン、ピーター・フォークも通った学校だ。ジーンは、俳優となってからも絵を描き、売ったりもしている。奥さんは、ピアニストで、無骨にも見える巨漢の意外な一面だ。

そして宮沢りえ、なぜ絵を描くのか。倉本聰とか、その道に優れた人物が、宮沢りえの絵を含めた生き方に共感する人は多い。オヤジ殺しともいわれる宮沢りえ。

地頭と子供には勝てぬともいうが、黒澤明は山田洋次との対談で、<手馴れた俳優がつまらない芝居を考えてくるのは本当に腹が立ちますけれども、少年がこう自分の身体で表現できることを考えてきたり、閃いたりしてる。ふっとそれを見せてくれると、なんだかお礼がいいたくなりますね。>と語っている。

これに対して山田洋次は、<キャメラのぞいてるとね。子供見ていると全然飽きないね。絶えずいい格好してるの。じい意識があんまりないからね。>

その山田は自らの監督作品で宮沢を抜擢し、女優開眼を遂げさせた。

彼女が、演技し、絵を描くのは未だになぞである。

殆ど絵筆を使わずに、手に絵の具を付けて、直に書く。なんだかよくわからない絵だ。現代アートなのか、子供の閃きなのか、少なくとも手馴れた画家の前衛を目指すものとは違う。描いている姿を見ていると飽きない。ただそれだけである。いいのか悪いのかわからない。からだが細い。病的である。芸能の世界の中の住人の病のようだ。その業を背負っているようでもある。細木数子がMIEに、「あんた、傲慢なんだから結婚できないよ。芸能人としてしかもう生きられないよ」と言ったように、宮沢も、どんなに殊勝にしていても、ある種傲慢で、それは黒澤のいう「子供」を既に獲得しているその才能の傲慢さである。それが絵を描くことで、(見ている凡人に)さらに嫉妬心を増させてもいる。

言葉で書くよりも、絵で表現するほうが早いし、よく伝わる、ともそのドキュメントの中で語っていた。そうなのだろう。だけど、先入観が邪魔をしてなのか、オレがその絵を見ても、あなたの気持ちはなんなのか、わかりにくい。

オレが身近に絵を描いている人を知っているのは、田舎に居た近所のおばさんである。たぶん、都会の女学校かどこかを卒業して、本来ならもっと広い世界で、さまざまな高尚な趣味を味わって生きていくのがひとつのありうる道だったのかも知れぬが、意に沿うかたちじゃなく、こんなオレの住む田舎町に嫁いで来たのだろうと、オレは勝手に想像していた。優雅な趣味を持ち、しかし、満たされるわけでもなく、かごの中の鳥のように、農村風景を見つめて、それを描いた。彼女ぐらいである、あんな村で、絵を描くなどという「奇妙な行動」をしていたのは。

オレは当時、子供でありながら、どこかませていて、世界に興味があった。世界ってなんだといえば、まずは隣町であり、その先であり、海を越えての世界である。

しかし、それを伝えてくれる大人は、あの田舎ではそうはいない。メジャーリーグに興味を持っても、「ジョー・ディマジオって知ってる? 」「ああ柔道のか」「それはヘーシンクだろう」ってな具合で、なんだかよくわかりゃあしない。

そんな中で、よく何でも知っているおばさんで、都会風なスタイルを持ってもいた。アン・マーグレットに似ていた。将棋を指しにいった。彼女は絵を描き、そしてたまにオレの様なませた子供を相手に、将棋をさし、世界を伝えてくれたのだ。

彼女はのち、村に出来た「国松登ギャラリー」という美術館の仕事をする様になった。もちろんバブルで作ったはいいが、そこを任せられる人材が彼女よりほかにいなかったからだ。ああ、少しは報われたのかなあ。人が大して来るわけでもないギャラリーに、しかし毎日通い、絵の中で生活する。それは、人生の後半に訪れた、ちょっとした夢の実現ではなかったか。

それが去年、彼女のうわさを聞いた。

「かわいそうだよねえ」。どうしたというのだ。いや、すっかりボケてしまったと言うのだ。

オレの知る限りの絵を描く人というイメージは、彼女でしかない。

つまらない言葉や講釈をたれるより前に、ボケてしまった。

何が幸せなのか。オレは絵を描きたいとは思わないが、芸能人でなくとも、村に嫁いだ都会の粋な人も、絵を描く。宮沢りえもまた描く。不思議である。

だけど、つまらない朗読をする女には、宮沢りえにはなってほしくはない。

絵を描いていてほしい。

多分、そういう客観を引き受けた主体が、「子供」ながらに表現者として存在するのであろう。観るものは、そこに圧倒されるのみである。

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コメント

宮沢りえさんが絵を描いている、と今日知って、ネットで検索をかけたところ、こちらにたどり着きました。
読んでるうちに北風氏の文に吸い込まれました。
主観のお話が気になったので今から須田寿さんのことを調べてみようと思います。
一年以上前の日記にコメントしてしまい、すみませんでした!

投稿: マツアツ | 2006年9月21日 (木) 19時22分

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