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2005年9月30日 (金)

ヤクザ映画の主演俳優とは

知り合いで、よく働くおじさんがいた。しかしまあ、馬鹿正直で、どちらかといえば単細胞で、仕事量の割には、それに見合う待遇や地位も得ていなかったように、子供ながらオレには思えた。

その人の奥さんと、訳知り風の奥さんがよく話しをしていた。

訳知り風は、その奥さんに「人間って、人に使われて何ぼというタイプと、人を使う側でよく力を発揮するタイプと、二通りあって、あなたのだんなさんは、使われて得をするという最高の人だと思うわ」

そんな話を耳にした。

過去の歴史の中で、幾度となくこういうまやかしというか、理不尽な納得、収まりの悪い関係、不平等がずっと続いてきたはずで、そのことに対して、未だに抗わない人間がいるから、その歴史は、多少ははみ出す人間がいてもなお存続する。

そのはみ出す人間の一部がヤクザであったりする。そこにあこがれられる要素がある。もちろん暴力で生命財産を脅かす存在としてだけなら、そのヤクザは、憧れの対象から外れる。理不尽に対する最後の爆発は、もし少しでも「使われて何ぼ」などという説教がまやかしだと思うならば、認めねばならぬ。

これはヤクザ映画の一つの論理としてあるはずだ、とオレは今でも思っている。

しかしだ、最近ヤクザ映画が見られることなく廃れているのは、「使われて何ぼ」という理屈を認めているやつのほうが圧倒的だということではないのか。

主演が1000万のギャラを取って、それに準ずるかなりないい部類の脇役でも、取っ払いの20万円という場合が、Vシネマにおいてはよくあることだ。

いつの間にか出来上がった仕組みだが、それを是とする社会に抗うことなく、御無理御尤もと従っているのは自分もおこぼれを頂いている奴のはずである。20万円のほうは、「使われて得するタイプなんだから」などとわかったようなお説教を垂れられて、一方、主演への甘い評価は棚上げされる。

ある俳優が、年齢のためか、ちょっとした風向きのせいか、主演級から脇に回ってくれという状態になった。別の若い俳優を今売り出したいという意向のためだ。

それに対して、「その意向に従って、今のできる限りの中で、チャンスを待って、しっかりと脇を固めることが、大事だと思う」なんていわれて、気持ちがいいのだろうか。

そこで抗うのがヤクザであり、そこに快哉を叫んでいた時代があったのに、それすらも許されないのであろうか。

「使われて何ぼ」なんてウソだ。ふざけるんじゃねえよ。

オレは、オレだけは、たとえ、いろんなことを言う奴がいても、そう簡単には信じない。出来ればヤクザで死んでいく。一度心がヤクザになったものは、そう簡単には足を洗えない。

ウナギ屋で、お焼き屋で、餃子屋で、必ず、今だけ辛抱しろという奴がいた。実際辛抱して最も会社に尽くした挙句、真っ先にリストラされた奴も見た。神津島というところからでてきていた大好きな、そして「使われて何ぼ」なんぞを吹き込まれて苦々しい顔をしていたおじさんだ。

或いは、解ったようなことを言って、「テイク・イット・イージー」なんて下らねえ言語使って、てめえが先にいなくなってやがんの。

既に偉い奴は、何がしかのものを持っているなんて、そういう見方はくだらない。かつて誰かが決めた価値にしたがっているだけだ。自分の目で見ろよ。たとえば、オレは映画に関してならば、多少の好き嫌いの差はあれど、そのよさとひどさについて、知っているつもりだ。その中で、明らかにその差が激しいにもかかわらず、逆転した評価が名のある映画祭とかコンテストでまかり通っているのも知っている。

それを無批判に支持し、よしと追随するから、はじめに評価を決めた馬鹿は、安心して馬鹿を繰り返し、(間違って)選ばれたものまでが、その権威となる。

王様は裸だ、とはいえず、「さすが王様」と言うだけなのだ。

王様だから仕方がない。王様に逆らっても仕方がない。王様だから・・・。

バカじゃねえか。なにが王様だ。

オレは違う、王様は裸で、醜い体で、無駄にカネを取っていて、金に見合う存在でもなければ、金を分配する発想もなく、しかしながらその固定はがんじがらめで、だったらヤクザになりきるしかない。

だがヤクザ映画というものが、一体その理屈にどれだけ準じていたであろうか。添い寝していたであろうか。手前ら自身が、がんじがらめの「さすが王様」のピラミッドを形成していたのではなかったか。

全くの脇役が、俺を主役に使って映画を撮ってくれ!と直談判に行き、よっしゃとカネを出すプロデューサーがいて、それが既存の1000万で削られていた製作費を掘り返して、息を吹き返すということが、ウソでも構図としてのヤクザ映画誕生物語として、なければならない。たとえ幻想でも、それを作ることが出来ないから、観客が離れていく。

割り振られて、使われて何ぼじゃ、夢がない。

昔の「しゃべり場」で。

(小川というアメフトの全日本に選ばれたデブと、渋谷という自分に自信のなさそうなダサい男)

渋谷「俺と小川君とじゃ、どっちがかっこいい?」
バカ女「渋谷くん!」
渋谷「だよね(笑)」

渋谷「小川君と俺がばっと目の前に出てきました。さあ、どっちに目がいく?」
ブス女「渋谷くん!」
渋谷「だよね(笑)」

フルちんで、「だよね」もねえだろ。

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2005年9月29日 (木)

やあ、アレックス。

昨日は東京フィルメックスで、マーク・シリング(『ジャパン・タイムズ』記者)に会った。

ちょうど今発売中の雑誌に、彼の著書から引用させていただいていたのでビックリした。

大のヤクザ映画ファンであり、その著書(ジャパニーズ・ギャングスター・フィルムガイド)では、菅原文太から哀川翔にいたるまで(本当は高倉健の取材も当初から東映にお願いしていたが、実現しなかった)インタビューも載っており、日本語訳が待たれる本だ。

その彼に、武蔵拳という当代きってのヤクザ映画スターを知っているか? ときいたら知らないという。早速最近オレが書いている記事をあれやこれやと渡して帰ってきたが、フィルメックスでは、中川信夫の『地獄』が上映され、結局、居残ってみたのは、オレとマークとあと10数人だけだった。

『地獄』は、同じタイトルで、その後も神代辰巳、石井輝男監督により作られたが、いずれもオレは大好きである。どれも日本人的な悪行(ウソ、談合、隠蔽、秘匿、詐称、そして一方それがバレないとなれば、そこで首輪を放たれた野生動物の様な邪気なの無さ)を熱心に問い返している。

フィルメックスの前に、『奇妙なサーカス』という園子温の新作を見てきた。これが面白かった。見終わって帰りのエレベーターで、「どうも登場人物に最後まで乗れなかった」ともらす若い男二人がいたが、オレも別に乗れたわけではないが、面白く見ることが出来た。話の内容と映像に力があるのとで最期まであきさせられなかったのだろう。

園子温監督作品は、とにかくずっとオレには合わないなと思ってみてきた。小手先の技術というか、発想というか、決して高級ではなく、かといって安っぽくはない。そこが厭だった。チープで徹底的にパンクなら、たとえば高原秀和の様な作品なら、オレは熱狂することが出来るけれど、園子温には、どこか気取っていて、その気取りに見合う中途半端な高級感も漂っていて、それが厭だった。

それが『夢の中へ』を見てぶっ飛んだ。やってるじゃねえの。パンクするほど安っぽくは出来ないけれど、けどそこに垣間見える高級感も決して厭じゃなかった。

多分突然変異であって、『夢の中へ』一作だけが“レナードの朝”として残っていくのだろうなと思っていた。またいつもの嫌いな園子温が現れるのだろう。そう思って観に行ったのである。ところがビックリぎっちょんちょん。またしても面白かった。

こうなってくると逆に、金のかかっていないチープなところが気になってくる。張りぼてで、もう少し重厚にやってくれとさえ思う。『地獄』をその後に見たせいで、『奇妙なサーカス』の印象がまるで何も残っていない。もったいない。

昔の映画(『地獄』は60年)は、とにかく贅沢だったなあ、つくずくと思う。

2日前に腐ったものを食べた。いや前日の夜に作った炊き込みご飯が、翌日の夕方にはもう「あめて」いた。あめるというのは北海道弁で食べ物が腐ることを言うのだが、それでもオレはまあ大丈夫と、食べたのだ。もともと胃が丈夫でその胃を酷使しすぎて胃がんになったわけで、さらに手術で全部の胃を取ってしまったゆえ、今、その胃の替わりをしているのは、下から切って繋げている空腸である。

その空腸をまた酷使し続けているのである。はっきりいって下った。腹がゆるいのである。勢いよく屁を垂れようものなら、中から実(み)が飛び出してきそうなゆるみである。

「屁をひって尻すぼめ」という一句があるが、その句を考えた人は、多分、ウンコをはみ出した経験者ではなかったか。そうでなければ、意味がよくわからない。

松本人志は「尻つぼめ」という言葉をよく使っているが、「すぼめ」が正しい。

そんな腹の状態で見たものだから、余計に疲れてしまった。寝不足もあいまって、手術後、体は鍛えているつもりだが、急速な「疲れ」に対しては異常に弱くなってしまった。

「奇妙なサーカス」は、宮崎ますみの復帰作で、それは全編脱ぎまくってもいるのだが、どうして結婚もして(海外で幸せに暮らしているような報道を目にしたことがあるけど)年齢も重ねて、映画の世界からも遠ざかっていて、そしてこんな「体をさらす」仕事に復帰したのかが、(心までどこか曝すような)その理由というか心象風景というか、聞いてみたいと思った。なぜなのか。そのことはあまりにも気になった。

東宝の試写室は、今は新築ビルにあって、松竹や特に東映と比べると随分と立派な感じがする。オレはどこの試写室であろうといつも一番前に座る。皆たいてい座る位置というのは決まっていて、一番前が好きなのは、おすぎとか、マークもそうだ。それどよく一緒になるのが松田政男(評論家)で、今日も『奇妙なサーカス』で二人だけ一番前にいた。

見終わって「どうでした」と声をかけようと思うが速いか、字幕が上がりきる前に松田さんはさっさと席を立っていった。多分、オレに聞かれるのがやばいと思ったのか、ということはあまり面白くなかったということか。「天下国家を論じていない」とか何とか不満を述べるのを自ら阻止しようと思ったのか。オレが詮索してもしようがない。しかし試写室を出るときに不満を述べてはいけないというような不文律があり、オレはいつも述べているから、嫌がられている。

かつて、『ぴあフィルムフェスティバル』で上映作品についてあれこれ語っていたら、その出品監督のお母さんがそのオレの意見を会場で耳にしていて、それが主催者である「ぴあ」に伝わり、鑑賞を拒否されたことがあった。

だけど、面白くないという意見に対しては聞く耳を持たないで、大衆娯楽ともいわれているものが、どうやって前に進む気でいるのであろうか。特殊な信者だけに向けての宗教ならば、それでいい。

園子温は、その域をもうとっくにでていると思う。少々の罵詈雑言には耐えうる。それでもなお『地獄』を見て、見比べてのこの不足感。

あぶなく、自分のゆるさを忘れて、屁をひねりそうになってしまった。

マークを紹介してくれたのはアレックス・ツァールデンという人だ。今、ドイツでこのblogを(毎日かどうかは知らないが)読んでくれているはずだ。

やあ、アレックス。昨日、マークにあったよ。

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2005年9月26日 (月)

大衆向け映画

唐沢俊一と言う評論家が今日の朝日新聞に書評を書いていた。「ベストセラー快読」と言うコーナーである。

唐沢俊一も北海道出身(9月21日参照)である。いずれ作家、評論家は別にリストを集計したい。

唐沢の実弟は漫画家の唐沢なをき。妻も漫画家でソルボンヌK子。

その人の記事から抜粋する。

<知識人と呼ばれる人はたいてい、ベストセラーがお嫌いである。たまに読んでもまずほとんどが、「(いやいやながら)読んでみたがなにほどの内容もない。なんで大衆はこんなレベルの低いものを喜ぶのか」というようなお叱りがほとんどである。・・・しかしこれはベストセラーの本質をわかっていない言である。ベストセラーがベストセラーたり得ているのは、内容ではなく、社会の基層に蔓延した“感情”をすくいあげていることが、大抵の場合その理由だからである。>

同感である。で、唐沢俊一の場合は、限度をわきまえているから、この辺で知識人をおちょくるのを品よくとどめておくのだが、オレの場合は、一度書き始めると、もう少し、踏み込まなければ気がすまなくなってくる。

「何でお嫌いなのですか」。

それはもしかして、意外にも大衆の中に、自分が住んでいて、またその大衆から愛されたい自分もまた存在して、自分自身とベストセラーとの距離感を無理やりにでも決着しようとするという、どちらかといえば普通の人には必要のない無意味な自分探し(しかも人に聞かせ読ませる中で確かめるという)行為なのではないか。

ベストセラーの中には決してない、それに変わる「良い」ものを、では、実際に血眼になって探しているのかといえば、決してそうではない。ただただ知識人の立場や経歴を利用した付き合いや範疇での知りうる「よい」物をピックアップするだけであることが多い。それはもちろん、一般のベストセラーしか知らない人にとっては、驚かされるに充分な見せる(読ませる)技術力(筆力)は持っているから、そりゃあもし読めば、驚きもするが、その知識人の文章自体がベストセラーになることもないから、それほどには伝わらない。愚痴が適度なかたちで、害悪にもならず蔓延しているだけである。それは本当はベストセラーにならない形での生き延びる知恵でもあり、万年野党が、その存在意義を「与党に決してならないこと」と暗黙の上で唱えているのに似ている。

しかし、実際、その紹介するものがベストセラー以上に、素晴らしいとしても、そんなものは、ベストセラーでない限りは、数限りなく存在する。どんな隣の親父であっても、事細かに作家としてつぶさに見つめるならば、かけがえのない人生を送っている素晴らしい親父に違いないし、たまたま紹介されたのは、その知識人に近い位置の「隣の親父」のことである。

ベストセラーとは、そこを突き破ったもののことである。そのかけがえのないあらゆる人に要素としてあるものとは別の、実にくだらない集客能力の産物なのである。そこを目指すとするだけならは、(それは意外に単純な知識人に任せる作業ではないだけに、難しい諸行であり)空しさを味わう人生が待ち構えているけれども、結果としてそこに位置することは誰もが夢見ることでもある。そして、隣人のマイナーをピックアップする知識人とて、巷の小さいレベルでのベストセラーというものを少なからず通過したものを選んで、「これが素晴らしい」とか、「これこそ本物だ」といっているに過ぎない。

野村将希は、元は「野村真樹」の名で、70年に歌手としてデビューした俳優だ。デビュー曲の♪一度だけなら、許してあげる~とオレが歌えるのは、名前が同じ(オレは雅樹)だったから記憶に残っているのであろう。明るいブルーの背広を着て、横浜ベイスターズのエース三浦大輔みたいな顔で、女心をぎゅっとつかんで話しません!と、玉置宏が言っていたかどうか忘れたが、甘いキラースマイルをもっていた。

TBSの看板ドラマ「水戸黄門」で柘植の飛猿役をやって以来、特に時代劇でいい役をやるようになった。今のところVシネマには出ていない。というよりも、筋肉番付で、芸能人サバイバルバトルに、第1回大会から連続15回をただ一人出場し続けている男である。

50歳にしてモンスターボックス(いわゆる跳び箱)17段の自己最高記録更新を果たしているスポーツ親父でもある。

この人がなぜ、サバイバルバトルに出場するのか、といえば、ベストセラーになることからしか突破口がないからである。隣人の知識人にいまさら褒めてもらっても嬉しくはないからである。その辺の勝負は、新人賞争いのデビュー曲「一度だけなら」で散々やりつくしてきて結果は見えているからで、その結果とは売れたものが勝つだけであり、知識人のお墨付きから出て行く必要など当時もそして今現在もまた、微塵も感じないからである。

『地獄の黙示録』という映画で、マーロン・ブランドは「人を裁く心が敗北をもたらす」といっている。

「ベストセラーではなく、本当にレベルの高いものを求める」という自身の葛藤や格闘はそれはそれで構わないが、そのことでベストセラーを生み出す大衆を裁こうとすると、とんでもないしっぺ返しが待っている。

もちろんある意味ではその一部の知識人というか、見巧者を信じて、演技を続ける俳優としての心意気は必要だ。

観客なんか度外視して監督に向けてしか演技をしていないと堂々と言い放つピンク映画の俳優たち。そのピンク映画の監督もまた、ある種の新派の評論家に向けて、どう評価されるかを最も気にして撮っているという監督たち。そして、読者ではなく、その監督(やスタッフ、キャスト)に向けて、(ピンク映画館ではなく)試写で見て、良い悪いを判定するだけの評論家ども。奏させる環境が実際にあることも事実であるからだ。

しかし、くだらんよ。

なんがかんだいって、その中にあって、観客を信じて演じ、撮っているVシネマの人々は、そして野村将希の筋肉バトルでのハッスルというものは、清々しいのである。この野村を前回倒した、石丸謙二郎は、つかこうへい事務所の知られざる肉体派であるが、『阿修羅の伝説・死闘篇』というVシネマで、主演の的場浩司と最後に死闘を演じる悪役であったことなど、意外にというか当たり前に知られていないであろう。

実は、明日(時刻では今日)、『あぶない刑事』の新作の試写を見に行く。今回の『あぶない刑事』は、鳥井邦男というVシネマ出身のオレが好きな監督が初めてこのシリーズを撮る。ベストセラーを撮るわけだ。

柴田恭兵とか、浅野温子とか、ちょっと、あまり書くと気持ちのいい文章にならないのでお茶を濁すが、ベストセラーな俳優たちとの勝負を観に行く。

いくらベストセラーといっても、充分に世間に毒されたオレでさえもが、どれだけ耐えうるのか。社会の基層に蔓延した感情を、観に行こうと思う。

一度だけなら許してあげる。大して何も考えないで書いた一文であって他意はない。

柴田のアクションを、こっちはしかし、隣のおっさん(たとえばVシネマ)とちゃんと見比べるためにいく。

野村将希のハッスルよりも劣るアクションなんて、それはベストセラーではない。オレは知識人でもなんでもないから、むしろ知識人向けのそういうものであったなら、それがベストセラーのふりをしてまかり通るなら、オレは手加減しない。

知識人がベストセラーを嫌いなように、ベストセラーのふりをした知識人受けするものを、オレは徹底的に嫌いだ。

「明日の100より今日の50」と言う標語があるが、今日の「アブデカ」より、明日の「サバイバルバトル」とならなければいいが・・・。

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2005年9月25日 (日)

吉祥寺バウスシアター・爆音オールナイト

『地獄の黙示録・特別完全版』は観たのが4回目だ。今回は爆音版で、違ったことは特にいえば一つあった。キルゴアが登場するエピソードでのシーンのあいだじゅう、これまで見たときに感じた以上の臨場感があって、怖かった。戦場に放り込まれたような疑似体験を感じされられているような感覚は、これまでの普通音盤では感じられなかった。

『ブラックホーク・ダウン』も『プライベート・ライアン』も鳴り物入りで公開されて、我先に見に行ったけれど、とても自分が兵士になったような体感は実際なかった。

しかし、爆音版『地獄』は、キルゴアの登場シーン全体が、まるで戦場にいる気持ちの悪さ、厭な気持ち、吐き気をもよおさせるものであった。

それも映画の一つの目的だったろう。戦争を味わわせて嫌いにさせるとか何とかよりも、これが戦争なのだ、さあ考えろ、さあどう思う、という、好きよりも嫌いよりも狂っていく人間と言うものを思い知れ、これが人間だ、歯止めが利かず、バカ万歳、戦争万歳、死も万歳、愛なき世界、にもかかわらず愛に満ち溢れた言葉で簡単に飾り立てることが出来る世界。アメリカという国が、先頭を切って人類の悪行に手を染め、欺瞞と悔恨と恬然とを体感し、そのつけを映画もろとも受け止めようと言うこれまた愚行をやはり先頭を切ってやる。たとえば日本で、この場所で、どうやってみていればいいのか。月にロケットが飛び、気象さえも操作しようとし、だけど、人類自らは益々追い込まれ、追い詰められ、進歩しているはずが、全然よくなっていない。

戦争も文明の一つで、作品としての文明の最高最大に発表の場であり、このことに人間が熱狂し、取り憑かれぬ筈はなく、擬似的に戒めとして、戦争映画を作るのもまた愚行であると、自覚しつつ、そういう(人類として、その最前線で露悪的になるアメリカ人としての)自分をも画面に曝す。

さあ観ろ。これが戦争だ、これが人間の起こす戦争だ。これが人間の最も人間たる姿の一つなのだ。

そういう画を作ろうと思っても作れない。時間をじっくりかけて、馬鹿だ気違いだと言われて、なお自らも狂気に取り憑かれた中で出来上がる。

昨日からずっと寝ていないので、この辺でやめる。

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2005年9月24日 (土)

グライド・イン・ブルー

タイトルを見て、なんだ、あの映画の話かと思った人は、アメリカン・ニュー・シネマに通じているのだろう。

でも、今日ここで書くのは、その映画の話というわけでもない。若い者は無軌道だという話をしたいのだ。

『グライド・イン・ブルー』は、七三年に「シカゴ」というバンドのプロデューサーのジェームズ・ウィリアム・ガルシオが、唯一監督したニュー・シネマの一本だ。『夕陽に向かって走れ』のエイブラハム・ポロンスキーとか、『いちご白書』のスチュアート・ハグマンとか、『バニシングポイント』のリチャード・C・サラフィアンとか、ニューシネマで燃え尽きてしまった監督は多いが、ジェームズの場合は、映画はこれ一本で結構と思ったのであろう。よく出来ているとも言えるし、本人はこんなものなのかと言う感じもあったろう、そんな作品だ。

もちろん『イージー・ライダー』がなければ、この映画はなかったはずだ。

つまり、なぜこの映画を思い出したのかと言えば、今日の夜、『イージー・ライダー』を観に行くからだ。吉祥寺バウスシアターで「爆音オールナイト」という上映をやるのだ。

『イージー・ライダー』の中で、若くて長髪でロックと麻薬とセックスにイカれて生意気なバイク野郎が、銃で撃ちぬかれ死んでいく。確か南部のあのニューオーリンズではなかったか。

「あの」と言うのは今洪水で、今日にもハリケーン「リタ」の猛威にさらされつつあると言うよりも、『レイ』(九月9・10日のblog参照)の映画のロケが行われたニューオーリンズだ。そしてレイが有罪を受けたインディアナポリスは、KKKの発祥地で、マイク・タイソンもレイプの有罪判決を受けた土地だ。

一方そのドラッグでヒッピーで無軌道な若者たちにひいきめな警官が、最後にその若者に殺されるのが『グライド・イン・ブルー』だ。

ニューシネマは、大人たちの説く「従順によって手に入れられる安全な未来像」に対して徹底的にアンチ、アンチ、アンチで行く若者が、それぞれの理屈で登場する。

自民党の馬鹿ヤロウ、NHKのくそ食らえ、巨人の間抜けオーナー、権威の胡散臭さ、伝統とブランドの恥知らずなほどの自己内省のなさ、持てるものの持たざるものへの耐えがたき眼差し。それらに対してのアンチ、アンチ、アンチなのである。

しかし、壊すまではいいけれど、その形がイメージできない。

と言うのは年を取った人たちで、若い者は体力が有り余っているから、そのイメージがあらかじめ出来ていなくとも、何でもできるわけだ。

で、オレも年をとったなあ、と思ったのが、今日のNHK教育「真剣10代しゃべり場」を見てのことだ。

「のぶみ」というよく言えばナイーブ、悪く言えば、まあ、やめとこう。そういう名前の絵本作家が「元10代」ということで「人生の先輩」としてアドバイスだかなんだか、説教をしに登場した。

これまで「しゃべり場」には、先輩としてはちょっとなあ、と言うタイプが二通りあって、そのうちの一つは、自身の経歴か経験で自信を持っていて、高みから押し付けようとするタイプである。その最たる例が立川談志で、若者から人気がないためにてめえがそっぽを向いて子供が駄々をこねるように「(俺様を立ててくれない番組なんぞ)面白くない」と席を立ってしまった。ここまでひどくはないにしてもアグネス・チャン、飯島愛、倉田真由美、鈴木紗理奈、井筒和幸、地井武男など、年齢に関係なく、押し付けたがリヤは言葉巧みに自分の範疇右内で番組と意見を収めようとしてくるわけだ。

もう一つの「ちょっとなあ」は、下手に出て、「自分は大した者ではないんだけど」(だったら番組に出てこなければいいものを、大した者ではないのだけれども少々は大した者であることは言わずもがなだろう!馬ッ鹿野郎!みたいな態度で、そこにでているわけで、大したものが言うようなことを)と、やはり押し付けてくるのだ。

このタイプのほうがたちが悪く、河瀬直美、香山リカ、大槻ケンヂ、ふかわりょう、リリー・フランキー、松田美由紀などで、節度ある風なぶんだけたちが悪い。

本当に真摯で気持ちがよかったのは、飯野健治、石田衣良、糸井重里、猪瀬直樹、オール巨人、岡田斗司夫、小錦、崔洋一、高橋源一郎、高村薫、長倉洋海、野口健、森達也、山本晋也、千原浩史などである。多分「賭ける」ものを番組内で見つけてしまう能力があるのであろう。それはカメラの前の誰かに見せるものよりも、自身に帰ってくる、内なる問いに対する答えであって、そこが相手にも響くのである。

そして最高の「元10代」だといえる厳しさとやさしさが感じられるのが、平田オリザだ。

まあそれはいいとして、最悪な元10代の「のぶみ」である。最悪といってもまだ27歳だから、10代みたいなもので、世間で売れて、少々浮かれて、そして10代を前に先輩として一言講釈を垂れたくなるのは仕方がないことなのかもしれない。

しかし、今日のテーマは、安定した職業(公務員や大企業の社員)に付くことを目指そうと早くから割り切るタイプと、スポーツや芸能など選ばれた人が目指すような世界への夢を持ち続けることとの、後者への不安や危険を説いたもので、これまでの「しゃべり場」でも何度もあったテーマだ。

そしていつも意見が分かれて、夢を追いかける美しさ、安定路線の堅実さ、しかしそれほどに安定なものは実際には存在しないと言う混ぜっ返し、しかしだからといって夢もまた現実的な醜い力に左右される世界だと言う話、その中であるものはそれでも夢を選び、あるものは安定を選ぶと言う結末。そしてそう口にしたからといって、必ずしもその通り縄ケではなく、口先とは裏腹に、夢よ夢よと嘯いて安定路線まっしぐらもいれば、安定安定と口ずさみながら夢の中をさまよう奴もまたいる。

で、今日の場合は、皆が皆、提案者に対して、夢を見ることの素晴らしさをむ根拠に力説するばかりなのだ。

番組の直後に、かつて放送された同じメンバーによる逆のテーマの回がかいつまんで放送された。そこでは、夢を追いかけるといっている提案者に対して、この場でさっきの放送で「夢」を説いていた連中が、一斉に「夢よりも足元を見ろ!」と力説しているのだ。

もちろんその回もオレは見ているし、その回だけではなく、今期のメンバーは、天邪鬼と言うか、何を主張したいのか、その場相手をねじ伏せていい気になりたいやつが多い。

そんな空気も読むことが出来ずに、毎度おなじみの提案者に対する一斉砲火を見て、多数派に付いたほうが得策とでも考えたのか、「のぶみ」は、いきなりなきながら、「これだけみんなが、あなたのために声を大にして助言してくれているのに、あなたは今チャンスじゃないか。聴く耳を持ってもいいではないか」

と、てめえの聴く耳を棚に上げて、妙な涙を見せていた。

バカか。27歳。

その「のぶみ」とは何者なのか。HPをのぞいてみた。

そこには「のぶみ」の日記があり、その冒頭に「のぶみ」のプロフィールもある。

以下が、その文そのままである。

<絵本作家のぶみS53・4・4生まれ
1999年からNHKおかあさんといっしょのすいはんきくんや
れいぞーこくんのでる『ぼくのともだち』で大ブレイク。
2002年までやり、2002年から、『ガギグゲゴーゴーギンガくん』を放送開始。2005年までONAIRこの二本のアニメでのぶみは、7年間、毎日、テレビで放送する。
2005年からNHKおかあさんといっしょの歌で『おしりフリフリ』『パパパ』を放送。
とくに『おしりフリフリ』は、NHKおかあさんといっしょで今日本一人気のある子供の歌として、有名。雑誌の調べによると10歳未満の日本人は、のぶみの作品を見たことない人は、いないらしい。絵本は、50冊以上出版、発表作品は、500作、現在、『ほっぺ』(学研)で連載中。(以下略)>
それで、ビックリしたのは、のぶみ自身が自分のでた「しゃべり場」を見て、もう書き込んでいるのだ。

0:25分に番組が終わって、0:42分の書き込みである。

<いま真剣10代しゃべり場にでている自分をみた。良かった、(*^ ・^)ノ⌒☆なんか前のスペシャル版の真剣10代しゃべり場にでたときより、自分のいいたいことがいえてたような気がする。しゃべり場という作品になってたんじゃないだろうか。
しかし、あれだけいろんなひとにでるよっていったのに、だれからも携帯に電話がこないのは、悲しい。(・_・;)(以下略)>
まあ、こういう人物である。

あまりこの人について書いても、なんというか「カーペンターズの音楽は健全でつまらない」と言うようなもので、だからどうだと言う感じであるのはわかっている。たとえばカーペンターズの二人がテレビに出て、視聴者のお悩み相談なんかしたとしたら、それこそおざなりの回答をするだけで、それをどうこう言ってもしょうがない。リチャードは睡眠薬で苦しみ、カレンは拒食症で死ぬと言う過酷な日々をたどりながら、その生の現実を丸ごと見せる事は決してなく、みんなつらいんだから頑張りましょう」なんて笑顔を見せるはずだ。多分。

一方そこまでのすさみ方がまだ訪れていない27歳は、なんだかわけのわからぬ演出におどらされてくさい涙の術まで発揮させられて、かわいそうでもあるけど、日記の文章を見たら、されに深刻化しそうでもある。

「爆音」でも見に来いよ。

同じ時間帯に浅草東宝では『荒井晴彦ナイト』と銘打ってそちらでもオールナイトをやる。『櫛の火』(9月22日のblog参照)などが上映だ。「のぶみ」は、そっちに行きそうだ。ダメだよ。それでは。70年代ならまだしも、今そんなことして、テレビの前で泣かれても嬉しくないよ。

こういう言い方はよくないのだろうけど、オレも絵本でも書こうかな。それも「おかあさんといっしょ」と言うタイトルの絵本を。

もちろん茶化して言っている。

かつてバンドをやっていた人のインタビューに行ったら、とにかくディナーショーが嫌いだと言っていた。それで「ライブはしないのか?」と聴いたら

『ディナーショー』と言う名のライブだったらやってもいい。

そう語った。

のぶみは日記の自己紹介にもあるとおり、NHK「おかあさんといっしょ」で、売れたと言う。そこでもオ踏みにギャラが支払われているのだろうけど、「しゃべり場」でもまた出演料は発生している。

NHKの受信料は、不正事件や打ち上げ失敗の衛星にもつぎ込まれているが、この「のぶみ」の出演やえの採用にも金が払われている。

どんなに金が有り余っているであろうローリングストーンズの「A BIGGER BAN」(9月3日のblog参照)と言うアルバムを買うときでさえ、少しはミックの懐にオレの金の一部が印税として入っていくのだろうと考えると、オレも一人のミックのファンであり、パトロンであるような気がして、いい気持ちにもなるのだが、NHKの受信料を払うことで、妙な涙マンの「のぶみ」のファンやパトロンにまではなりたくないんだよ。

そして、そのあと「さんまのまんま」を見たら鈴木亜美だ。エミネムだのビヨンセだのと、さんまが無理に鈴木に話を合わせてくれているのに、その受け答えはばか丸出しと言うか、全然面白くない。「のぶみ」と大して変わらない年齢だろうけど、本当にお前は芸を売っている人間なのか。

「オー凄い」「エーすごい」「それヤバイ」「絶対おかしい」そんな反応を見せるばかりで、お前のほうからネタをフランかい。

人気絶頂で、誰もが何でもいいから聞きたいと言う対象ならば、聞かれるままにただ答えていればいいよ。だけど今の鈴木はなんでもないだろう。しかも一度スキャンダルで消えて、その説明を充分にしないままなんとなくその場所にまた帰ってきて、いる。禊は終わったんかい。

雑誌のインタビューならば、まだやりようがある。書く中で何とかするよ。でも、包装されるものには、ばれてしまうよ。つまらない空気が映ってしまっているのだから、隠しようがないよ。

この鈴木の「注目されて当たり前」と言う「しゃべり」が、否定もされず、平気で「さんまのまんま」でも出来るのは、普段よほど、取り巻きや家族が鈴木に対して甘いのだろう。この傲慢で面白くもない態度に、(嫌々ながらであろうものも含めて)認めているのであろう。何を言っても「さすが亜美チャン」。

あんまり高みに立たせるなよ。

馬鹿でも華原朋美には天然の味がある。態度がでかくても浜崎あゆみにはカリスマ性があり、受け答えが今ひとつでも安室奈美恵は歌がうまい。矢井田瞳も鬼束ちひろも実力とともに世界を持っている。大塚愛、倖田來未、後発はみな新鮮だ。

鈴木亜美にはいったい何ガあるのか。

天然も実力も新鮮さもカリスマ性もなくて、トークもつまらない。顔だってアイドル歌手の中では綺麗な部類には入らないであろう。

全然資格を満たしていないではないか。

まあ、そんなことを考えながら、オレも歳をとったなあ、と思ったのである。

若い奴に対して、10代は良いとして、20代ぐらいになると途端に、腹が立つ。

本来は、『イージー・ライダー』であり『グライド・イン・ブルー』であったはずだ。無軌道結構、暴発御免、なんて書いたら暴走族か任侠系右翼のスローガンみたいだけれど、全くそんな気持ちであったはずだ。

だけど、その暴走が、ただ泣いたり、アホだったり、礼儀知らずで言葉足らずで・・・。

あんまり面白くないよ。

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2005年9月23日 (金)

札幌南高

今年も札幌地区予選を勝ち上がり、札幌南高は来春のセンバツの対象となる秋の北海道大会へと駒を進めた。

北海道だけは全国でも唯一の予選の予選をする。つまり二段階の戦いをする。

その第一段階を勝ち上がったと言うわけだ。

札幌南は、最近強さ以外でも話題を集めた駒大苫小牧高校のある北海道で、甲子園出場を3度果たしている高校である。

母校の話なので、関係ない人は読まないほうが良い。

あまり面白くは読めないはずだ。

「一高」といったら東大のことで、「一中」といったら日比谷高校のことである。

それは東京(かつて東京府、今は東京都)の話で、「一中(旧制一中)」と言うものはもちろん全国に存在する。

希望ヶ丘(神奈川)旭丘(愛知)岐阜(岐阜)藤島(福井)洛北(京都)神戸(兵庫)郡山(奈良)桐蔭(和歌山)岡山朝日(岡山)国泰寺(広島)追手前(高知)城南(徳島)上野丘(大分)濟々黌(熊本)などであり、北海道における一中は、札幌一中(現・札幌南)のことである。

ちなみに札幌二中が札幌西、旭川中が旭川東で、小樽中が小樽潮陵、岩見沢中が岩見沢東、釧路中が釧路湖陵、帯広中が帯広柏葉、函館中が函館中部、北見中が北見北斗、網走中が網走南ヶ丘と、それぞれ名門と言われている。

以下は、札幌南高出身者で知っている人を列挙したものだ。

出身者で、興味ある人のために、と言うか自分もほかに知りたいので書いたわけで、それ以外の人は眺めたところで面白くないだろう。

あ行

荒井さとし(衆院議員)荒巻義雄(戦記物SF作家)有江幹男(元北大学長)有馬純(ダウラギリ登山隊隊長)池上重弘(静岡文化芸術大助教授)石井信(スポーツライター)石井庸子(元NHKアナ)石川裕啓(ドイツ・オペラ歌手)石橋冠(演出家)板垣武四(元札幌市長)伊藤義郎(伊藤組会長・IOC副会長)伊藤隆一(美術家)岩田聡(任天堂社長)海野治夫(ヤクザ)宇和野貴史(プロレスラー)岡俊雄(映画・オーディオ評論)岡鹿之助(画家)奥田良三(テナー歌手)

か行

カジノ(映画監督)片岡正人(読売新聞)金谷年展(慶応大大学院助教授・国土審議会専門委員)鎌田哲哉(評論家)川越守(作曲家)栗谷川平五郎(スキー・レイクプラシッド五輪代表)久保守(画家)黑田一秀(元旭川医大学長)小西康陽(ピチカート5)児島仁(元NTT会長)

さ行

佐々保雄(元日本山岳会会長)佐藤貢(雪印乳業初代会長)佐藤敏夫(元北海道弁護士会連合会理事長)島野功緒(放送評論家)、清水健宇(朝日新聞論説委員)下田晶久(前旭川医大学長)執行昇(スプリンター)白崎義彦(NHKアナ)新保幸太郎(元札幌医大学長)曽田雄志(コンサドーレ札幌)

た行

高市佳明(NHKアナ)高倉新一郎(北海道史)竹島一彦(公正取引委員長)匠秀夫(美術評論家)辰野裕一(作家)俵野第四郎(画家)地崎宇三郎(元衆院議員)堂垣内尚弘(元道知事)苫米地義三(元衆院議員内閣官房長官)

な行

中西章一(テレビキャスター)中原悌二郎(彫刻家)西村晃(「水戸黄門」)西部邁(元東大教授・評論家)中谷一郎(『水戸黄門』風車の弥七)能勢之彦(カナダ・クリーブランド人工臓器センター所長)

は行

パラダイス山元(音楽)広瀬量平(作曲家)福山卓爾(全国みそ・しょうゆ組合会会長)藤村操(華厳の滝で自殺)堀淳一(エッセイスト)

ま行

三岸好太郎(画家)三田村周三(俳優)湊正雄(地質学)三原順(漫画家)三宅和助(元シンガポール大使)宮崎亮(医師・開発途上国で医療活動)村上茂利(元衆議院議長)森田美由紀(NHKアナ)

や行

梁田卓(作曲家「どんぐりコロコロ」)山崎武夫(元日本医師会会長)吉田信(北海道医師会会長)

ら・わ行

若山弦蔵(俳優・ショーン・コネリーの声)和田寿郎(日本初の心臓移植手術)渡辺淳一(作家「阿寒に果つ」)渡辺みなみ(ケーキの本)

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2005年9月21日 (水)

北海道出身タレント

Ⅴシネマの原稿を書いていたのだが、変なことが気になって調べているうちに嵌まり込んでしまった。

Vシネマは初期のころから、芸能界の中で他のジャンル以上に子息がデビューする場でもある。たまたま哀川翔主演の『デコトラの鷲』のロケを取材に行ったら、仁科克基という俳優がいて、彼は松方弘樹と仁科亜希子の息子であった。千葉真一と野際陽子の娘である中瀬樹里も『武闘派仁義完結篇』に出ていた。

西岡徳馬は、実子の西岡竜一郎を自らの主演Vシネマに起用している。岡崎礼には父の岡崎二朗が、曾根英樹には父の曽根晴美が、目黒大樹には父の松方弘樹が、それぞれ脇役として見守っていた。菅原文太も亡くなった息子の菅原加織作品に登場しているし、『首領への道』シリーズに現れた本田大輔も父の本田博太郎の助演を受けている。

『修羅場の侠たち~実録・河内十人斬り』という作品は、本宮泰風を主演にして、実兄の原田龍二が競演している。

『修羅場の侠たち~実録・朋友会』という作品で、小沢和義という俳優が主演なのだが、その実兄である小沢仁志は、このVシネマの企画もしていて、自らが脇を固めている。この作品には、山本大も出演していて、同じ事務所のボスである中野英雄も共演する。中野は自ら企画し主演もした『実録名古屋やくざ戦争』シリーズでは実子の中野武尊もVシネマデビューさせる。

ここで、中野英雄の事務所(今や森下千里の大ブレイクで忙しい)をHPで調べてみた。前に中野英雄の取材でお邪魔したこともある。大西麻恵といういい女優さんがいて、この人についてはその主演映画『1リットルの涙』を偶然オレはべた褒めして新聞に書いたことがあり、中野氏の事務所(バグジー)を訪れた時に、大西麻恵も所属していることを知り驚いた。

ところで、この「バグジー」に荒木恵と久米田彩いうタレントさんがいて、いずれも札幌市出身と履歴にはある。さらに森望美が登別市出身で、佐伯俊が苫小牧市と、何だか北海道出身が随分といるのでさらに今驚いているのである。

昔から北海道出身のタレントを調べてはいるのだが、ここで、以下、羅列し、ほかにいれば、のち付け足していこうと思う。

あ行

青木謙知、朝加真由美、阿知波悟美、アップダウン、安倍麻美、安倍なつみ、荒川強啓、石山隆彦、伊藤清美、伊吹吾郎、岩崎加根子、岩崎紘昌、岩本恭生、江川有未、江良潤、大沢逸美、大沢舞子、大島宇三郎、大城美和、大橋純子、岡崎未来、沖本富美代&沖本美智代、小野寺昭、

か行

春日八郎、加藤浩次(極楽とんぼ)、金井夕子、奏谷ひろみ、叶和貴子、川合千春、川瀬陽太、川原田樹、ガンビーノ小林、キートン山田、菊池均也、北島三郎、木之元亮、木元教子、GLAY、熊川哲也、黒沼弘己、香寿たつき、小林さやか、小林正寛、小日向文世、こまどり姉妹、古村ヒロ、

さ行

斉藤陽一郎、冴木杏奈、坂口良子、櫻庭博道、佐藤礼貴、沢木順、沢田亜矢子、三遊亭夢之助、宍戸美和公、篠原勝之、正司照江、菅原卓磨、砂原良徳(電気グルーヴ),すまけい、左右田一平、

た行

平淑恵、タカ&トシ,高倉陵(三拍子)、高橋恵子、武田真治、田中裕子、玉置浩二、伝法谷敦志、十勝花子、外山高士、豊岡豊、

な行

中島みゆき、中原理恵、西尾祐里、西沢利明、信田昌之、

は行

長谷川初範、原千晶、パラダイス山元、飛田恵里、平田裕香、広田レオナ、藤崎奈々子、藤田瞳子、平成ノブシコブシ、宝積有香、ポール牧、細川たかし、

ま行

前田忠明、牧村三枝子、増沢望、松村和子、松山千春、三浦哲郎、三浦智佳、御木平介、三貴将史、水谷豊、三田村周三、三井智映子、MODOKI、宮川泰、宮本信子、室田日出男、モリマン、森若香織、

や行

矢部美穂、山崎満、山田吾一、湯浅美和子、YUKI、吉田美和(ドリカム)、

ら行

ららさくら、

わ行

輪島功一

<映画監督>(テレビ、Vシネマも含む)

合月勇、あがた森魚、秋山勝仁、石井岩太郎、石橋冠、石山昭信、金谷稔、葛西治、カジノ、片岡修二、加藤文彦、鎌田義孝、工藤栄一、熊切和嘉、小沼勝、小林正樹、佐々木浩之、佐々木正則、佐分利信、柴田吉太郎、菅原比呂志、鈴井貴之、相米慎二、田尻裕司、田中光敏、辻仁成(東京生まれの函館育ち)、長沢郁朗、永野靖忠、野上正義、林栄樹、東山充裕、藤本幸久(*三重生れ)、細山喜代松、松生秀二、水野洽、森永憲彦〈佐賀生れ北大映研〉安彦良和、山崎幹夫〈東京生れ北大映研〉山田勇男、山本謙一郎、吉雄孝紀、吉田ルイ子、米田彰、

<シナリオライター>(テレビ、ラジオも含む)

明石典子、旭丘光志、朝倉賢、亜槍文代、石森史郎、伊藤桂子、いとうこうしろう、海原卓、小川智子、奥山貞行、小瀧光郎、尾西兼一、加藤学生、川内康範、菊地寛、北英祥、木原くみこ、合田一道、合田陽、佐藤哲、佐藤有紀、清水曙美、北林稔、小南武郎、鈴木佳満、田上雄、ちゃき克彰、津田幸於、富田義朗、鳥海尽三、永井浩、長野京子、野田高梧、野村智美、橋本祐志、八田尚之、藤井邦夫、古市カオル、大和屋竺、吉田哲郎、村岡光、脇哲(*高知生れ)、渡辺善則、

<撮影監督>

漆崎博克、奥村祐治、柿田勇、斉藤幸一、佐々木原保志、高田昭、田畑圭輔、田中勇二、中原正浩、浜田毅、碧川道夫、三好和宏、横川清司

<製作>

佐藤啓子(朝倉大介)、富山加津江、神田直彦、東條あきら、能登節夫、水ノ江滝子、横堀加寿夫

<映画音楽>

あがた森魚、伊福部昭、佐藤勝、ダン池田、玉置浩二、万城目正、宮川泰、森田公一、八洲秀章

<美術>

秋森直美、川崎軍二、河村寅次郎、宮森繁、横山豊

<映画評論家>岡俊雄、塩田時敏、品田雄吉、ダーティー工藤、田中真澄、福島里美、

<Vシネアスト>谷岡雅樹

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2005年9月20日 (火)

ホラー考

深夜、またテレビをつけていたら「オーラの泉」という番組が流れていた。はじめて見たが、ゲストで来ていた三原じゅん子に対し、美輪明宏と、もう一人わけのわからぬ江原啓之という占い師みたいな男が、あれこれ人生指南をする。

細木数子は、こうあるべきだという理想図を抱くまでの道のりの中に、今ある悲劇に対抗しうるかどうかかなり血みどろの格闘をしてきた跡がうかがえて、相手の心を震わすものがある。

しかし、どうもこの二人は、その他大勢の占い師と同じとは言わないが、自分の保身以上には相手の問題について考えてはいないし、だからきついことも言わずに、くだらないオチャラケで、薄っぺらいやり取りで、上っ面だけの握手を交わして、笑顔で別れるシーンを見せて終わる。

だが、美輪明宏に関していえば、あるときは、「しゃべり場」の前に、実験的に行われた子供たち相手の「大人の意見」を聞かせる番組では、他の「大人」たちを圧倒して「血染めの人生模様」を赤裸々に語って、存在感を示していた。

それがここにきて、こんな体たらくなのか、と思った。これは、何か人間というものが怖い。恐怖を感じた。

『新仁義なき戦い・謀殺』で、ヤクザ同士の虚実入り乱れる抗争の中で、夏木まりが「人間というものは、おっとろしいものやで」と、したたかな姐さん役を演じていた。

そこに近い、あのNHK「しゃべり場」前の綺麗で美しい語り口が、非常にウソっぽく見える、民放深夜番組での、あまりにも軽いノリ。

(芸や、オカマに対する認知も理解も今よりずっと少なかった時代に)化け物だといわれ続けた、美輪明宏はしかし、いまや、子供たちの前で美しくさえ見えた。その美輪が、またしても、今度は認知や理解を逆に盾にとっての、醜い欲望の満たし方(何もこんな番組でハザマのタレント相手に風格を示してみてもしょうがないではないか)している。

これは怖いと思った。

実は、ホラー映画についての論考をという原稿依頼がありました。柄じゃないなと思いながらも引き受けて、12月15日が締め切りだということで、そろそろこの場を借りて、あれこれ考え始めようと思っている。

まず、何を持って恐怖とするかについて、オレが考えるものと、ホラー映画ファンというか、映画観客というものとの差が、随分あることから考える。

昔から映画は好きで、サスペンス、スリラー、バイオレンス、ショッキング、パニック、とりわけホラーは、もし恐いものなら見せてもらおうじゃないかと、数限りなく見てきたつもりであるが、殆ど全然その期待を満たしてもらったことはない。

札幌にある札東映劇という映画館で、お盆にかならず上映される納涼映画特集で、たまたま小学1年生のころ見た『牡丹燈籠』と『四谷怪談・お岩の亡霊』と『吸血鬼ゴケミドロ』の三本立ては、今でも怖かった記憶として覚えている。しかし三本とも二十歳を過ぎてから何度か見直したら、これがいずれも愛の傑作であり、カルトの傑作であり、半端な欲望や日本人独特の見栄などを付いた味わい深いものであることに気づくことのほうが大であった。怖さや寒気などは微塵も感じることはなかった。

しかしこれは困った。

一体何が怖い映画なのか、わからないではないか。

『エクソシスト』『サスペリア』エトセトラ。七〇年代から九〇年代の前半までは公開されるものは全部見てきたと思うけど、映画を見て怖がるという楽しみ方は、すっかり失われてしまった。

ただ、どうしたら怖がるのかについては、考え続けてきたつもりだ。

まず怖いことといったら、他人から恨まれることであろう。悪いことをして、その咎で恨まれるのはまあ仕方がない。自業自得だ。その悪いことの理由がいくらやむにやまれぬことであったとしても相手の被害について考えると、やってはいけない行為であり、生きている限りは逆襲される恐れがいつ何どきあるか身構えていなければならず、相手が死んだとしても、その死でもって完結などしないであろうからだ。

また一方、何の謂われもなく恨まれることも怖い。たとえば誤解であったり、偶然であったり、別な人間の罠や遊びであったり、うらむ側の人間自体の問題(狂気や悪趣味)であったり、そういうものに巻き込まれることも恐怖である。そこにはエゴ、意地悪、虚飾、競争、嫉妬などの悪意が立ち込めているから、気持ちが悪い。それを演出する道具立てとしての保険や遺産、地位、名誉、抜擢などが絡んでくるから怖さも複雑だ。

それらの恐怖を突き詰めると、結局は、生命財産や平穏な生活を脅かされるということであろう。「死」が近くなるという恐怖である。

平穏をかき乱すもの、大きな音、暗闇、想定外のこと(いないはずの部屋に人の気配、物音)、生きてきた概念を超えていること(地球外生命体とか、狂人、知らない生物、物質)、不快(においや閉所)、暴力的な人間、身体的な弱点を疲れること、ヒチコック映画のように、高所恐怖症の人にとっての高さや、目の見えない人にとっての音の聞きとりにくい状況、背後、エトセトラ。

ところで怖い顔というのもまた見逃せない。美醜で言えば醜のほうである。

何が美しいかは、生活圏や時代によっても随分と違う。最近、ヘビやイグアナ、サソリ、ピラニアなどが日本のあちこちから発見されて、やはり怖がられている。

それはその「死」に至らしめるかもしれない毒性と、美醜の上での醜と捉える人が多いことからであろう。馴染みが薄ければ、親近感も持たない。

白人社会にとっての黒人は「怖い」と思われ、ひどい仕打ちをされてきた。交わっていくことによって、その壁は少しずつ低くなっていく。

皮膚の色など違わなくとも、身分制度のゆえか、くだらない洗脳と教育と認識力の差なのか、被差別部落問題も、この国にずっと続いている。もう皮膚感染などはないと証明されても、隔離の続いたハンセン氏病。

北朝鮮という国についての情報も、韓国の韓流スターの報道にくらべて、おそらくかなり一面的であろう。北朝鮮自体が情報流出を規制もしているだろうが、そのせいか、金正日という人の体型とか顔かたち、服装、髪型、いずれもダサいというイメージである。若くてきれいな女を身辺に温寝て豪邸に住み、国のことよりも自分の繁栄ばかりを考えて、うまいものを食って太っている。カッコ悪い上に、やっていることも恐ろしく犯罪的で、これでは恐怖以外に、親睦的な気持ちは抱けない。

アメリカ映画に出てくる、インディアン、テロリスト、アジア人、東側諸国の政府高官、それらは恐怖の現われでもあった。

その「ところで」いうところの顔の美醜で、ある人物をふと、テレビの番組で見てしまったのである。

それが美輪明宏だった。彼は、美しいのか、醜いのか、これはどちらにでも変わりうるなと思ってみていたのである。もちろん美しい時は怖くなどない。しかしいったん醜くなれば、これは怖い。醜くなったとき、魅力としてあった知識や複雑な感情、おおらかさ、経験、それらがみな、反動として襲ってくる。

櫻井良子が、靖国参拝や、日本の(太平洋戦争の)宣戦布告行為も仕方のないことで、南京虐殺に対する過小な見方を披露するときの姿は、やはり、かつてNNN「きょうの出来事」で見せていたニュースキャスターとしての力が、倍加して、反動として激しく襲ってくるのである。

妖怪にも見えた。『妖怪大戦争』に出ていた妖怪の誰よりも怖い顔である。

ホラーとはなんなのか。

今後も探っていく。

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2005年9月19日 (月)

阪神・今岡誠

今日は、阪神の今岡の打点記録が、(打率.283でHR27本という低めながらも)一三七打点(残り13試合)と驚異的なことから、打点について調べてみる。

今岡の個人記録としては、一五五打点を挙げて欲しいところだが、過去のプロ野球記録は、小鶴誠(松竹の3番打者)の一六一打点という輝かしい記録がある。

この年(一九五〇年)の松竹はスザマじいの一言である。松竹とは『寅さん』のあの松竹である。映画会社の持った球団としては、東映、大映、東宝といずれもパ・リーグだったのに対し、二リーグ分裂した五〇年に唯一セ・リーグに加盟する。

その初年度「松竹ロビンス」は水爆打線として恐れられ、のちのメガトン打線(六四)マシンガン打線(九九)をはるかにしのぐチーム史上はもとより、プロ野球史上かつてない今後もない、ヤンキース殺人打線も真っ青の打線を叩きつけた。

このときに一〇〇打点トリオが誕生した。一〇〇打点トリオは、85年の阪神とこの50年松竹のみ。のち〇三年にはダイエーが、史上初の一〇〇打点カルテットを記録した。

海の向こうでは、三六年のヤンキースが、152打点のルー・ゲーリックを筆頭に一〇〇打点が1シーズンに五人出ている。

一九五二年四月十日木曜夜NHKラジオで『君の名は』が、放送開始(五四年四月まで続く)された。まだテレビの登場前であり、放送が始まると風呂屋が空になった、というのは何の誇張もない話であろう。

その二年前の五〇年のことだったのである。プロ野球では、小鶴誠、岩本義行、大岡虎雄のクリンアップトリオで一二四本塁打、三九七打点(二〇〇二年日本一の読売、阿部慎之助、松井秀喜、高橋由伸で八五本、二三三打点、二〇〇三年日本一のダイエーの井口資仁、松中信彦、城島健司で九一本、三五一打点)の水爆打線といわれた破壊力により松竹ロビンスが優勝したのだ。もちろん映画会社の松竹がオーナーで、『君の名は』はこの「大松竹」が製作することになる。そしてこの特大のヒットにより、東銀座の松竹本社ビル(九八年には百七十億円で売却)が建つことになるのである。

その五〇年のパ・リーグの覇者「毎日オリオンズ」もまたミサイル打線と名をはせたが、その中心打者別当薫はパの打点王で一〇五打点。あまりにも低いというか平凡な打点である。一方、松竹のクリンナップトリオは和製ディマジオこと三番小鶴誠が一六一、四番岩本義行が一二七、五番大岡虎雄が一〇九と、いずれもがパの打点王・別当を上回り史上初の百打点トリオであった。日活が再開され、松竹の監督たちがドンドンと日活へ引き抜かれていった五四年を最後に、球団経営から身を引き、翌五五年から「大洋ホエールズ」に吸収される。現在の「横浜ベイスターズ」の前身である。

ところで、今岡と金本を合わせて、あの王貞治、長島茂雄コンビのもつ二四四打点を超えたことも話題になっている(現在二五三打点)。

しかしこれも、調べてみると以下の通りで、まだまだ上の記録がある。

1、50年松竹ロビンス水爆打線288(3番小鶴161、4番岩本127)。

2、49年阪神ダイナマイト打線268(4番藤村142、3番別当126)。

3,01年近鉄いてまえ打線263(4番中村132、3番ローズ131)。

4,05年阪神253(9/18日終了時点)(3番今岡137、4番金本116)。

同,50年巨人253(3番青田134、4番川上119)。

6、99年横浜マシンガン打線245(4番ローズ153、3番鈴木尚92)。

同、01年ダイエー・ダイハード打線245(4番小久保123、5番松中122)。

8、68年巨人244V9打線(4番長島125、3番王119)。

9、03年ダイエー242(4番松中123、5番城島119)。

同、85年阪神新ダイナマイト打線242(3番バース134、4番掛布108)。

チームのシーズン打点記録でいえば、50年松竹ロビンス(水爆打線)が1位で825打点(137試合)。2位は03年のダイエー・ホークスで794打点(140試合)、3位は80年の近鉄で764打点(130試合)、それらに比べると予想では七二〇打点(146試合)ぐらいで見劣りするが、それだけに今年の阪神の四番五番への比重の高さがうかがえる。

メジャーリーグでは、155打点以上となると、29回(15人)。160打点以上は、19回(11人)。現役選手では、99年マニー・ラミレス(当時インディアンズ)の165打点を筆頭にサミー・ソーサが2回(160と158打点)とホアン・ゴンザレス(157打点)の3人のみが155打点以上を記録。

一九三〇年にメジャー記録の191打点を打ち立てたハック・ウィルソンは、その年、当時のナ・リーグ記録となる56本塁打で二冠を獲得したが、翌年から下降線をたどり、野球殿堂入りは果たしたが、通算244HR(通産安打1461本)の中途半端な選手となって散っていった。酒が好きで、数々の暴れ方をして、ちょうど三〇年の九月二十五日よりロジャース・ホーンスビー(三冠王2度獲得の通産2930安打)が兼任監督となり、厳しい態度で迫られて、かつ三〇年の大活躍によって手にした金で、アルコール中毒への道まっしぐらとなり、三四年引退、四八年に洪水に巻き込まれ死亡したということだ。

1、小鶴誠(松竹50)161打点。

2、ローズ(横浜99)153打点。

3、藤村富美男(大阪50)146打点

4、今岡誠(阪神05*残り13試合)137打点。

5、西沢道夫(中日50)135打点。

6、バース(阪神85)青田昇(巨人50)134打点。

しかし今年の阪神の優勝に関しては、今岡の打点と赤星の盗塁を除いては、記録的には面白くない。ほかにはJFKとSHEの話題ぐらいしかない。なんにしても楽天が交流戦でも鍵をにぎっていて、今年のプロ野球を面白くしたことは確かである。一場が負け続けているのも、禊ぎをしているみたいでいい。

ちなみに、コンビでの本塁打記録も集計してみた。

1、01年近鉄101本(3番ローズ55本、4番中村46本)。

2、85年阪神94本(3番バース54本、4番掛布40本)。

3、50年松竹90本(3番小鶴51本、4番岩本39本)。

4、02年近鉄88本(3番ローズ46本、4番中村42本)。

同、02年西武88本(4番カブレラ55本、5番和田一浩33本)。

同、01年西武88本(4番カブレラ49本、5番マクレーン39本)。

同、68年巨人88本(3番王49本、4番長島39本)。

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2005年9月18日 (日)

『女王の教室』『逆鱗組七人衆』二つの「仰げば尊し」

卒業シーズンでもないのに、「仰げば尊し」という歌を1日に2回も聴いた。

しかしその二つは対照的で、考えさせられた。

ひとつは『女王の教室』というテレビドラマである。

初回視聴率が14,7%(ビデオリサーチ調べ。以下も同じ)と、低めなスタートだったにもかかわらず、最終回直前は19,7%と、月9の「スローダンス」(初回は22,5%で最終回は,8%)を抜き去った。昨日の最終回は90分スペシャルで、20%を越えたのではないか。

当初、日本テレビでは、「女王の教室」と「おとなの夏休み」という二つの女優主演のドラマがスタートし、番宣で、それぞれの主演、天海祐希と寺島しのぶがともに「**は日テレ!」と快活に叫んでいたが、寺島のほうは、朝日新聞でもエッセイやズームアップで取り上げてもらっていたにもかかわらず、その人気の無さが、ばれてしまった。

「おとなの夏休み」は、今シーズン(7月期のドラマ)中の最低の(23時台のドラマ「はるか17」よりも低い)平均視聴率6,99%を記録し、早々とキャッチフレーズは、「『女王の教室』は日テレ!」のみになってしまった。

さて、その最終回は、天海祐希演じる「嫌われ」先生が、逆に生徒からの信頼を集めて終わるのである。少し前の「ニュース23」で筑紫哲也が、海外の教育と日本のそれとを比べて、近年、日本では特に大人をバカにする風潮が強まって、子ども自身にとってもよくないと嘆いていた。そこでのフィリップは「恩師」であった。ずばり、この言葉を耳にしなくなった、と。そしてその恩師を敬う歌詞の「仰げば尊し」もまた歌われなくなった、と。

筑紫の番組は、ちなみに日テレではない。

天海祐希演じる「あくつ・まや」という教師は、現実社会の厳しさと、でたらめさな大人社会を、徹底的に冷たく突き放しながら教え込む。それは、黒い装束で、神波史男脚本の傑作『女囚さそり』シリーズの梶芽衣子を思わせる。タランティーノが、このドラマを見たら熱狂していたのではないか。梶は、女という存在が、一般社会でも刑務所の中でも、劣等に扱われ、不当にさげすまれる悲しみ怒りを怨念へとたぎらせて、復讐する。

その行動体系に一本流れる「陵辱」の記憶。

天海にも管理教育、しいては日本の押し付けの幸福論に対するいかんともしがたい怨念がたぎっていたように見えた。『男はつらいよ』シリーズの原作監督山田洋次が、寅さんを持ち出すことで徹底的に管理教育を嫌い、反逆していたように、天海は、衣装でもまた「黒く塗れ」を最後まで実践し、エンディングテーマで踊っていたシーンをラストに見せるのかと思いきや、それも無く、教室へともどっていった。

「なぜ勉強をしなくてはいけないのか」と子供たちに問われ、「しなくてはいけないものではありません。する必要のあるものだけがするのです。その必要を回避すれば、そういう人生も結構です」といった調子だ。

「なぜ、人を殺してはいけないのか」。

「人には誰にも、かけがえのない人生があるからです」。

その教師が、教育委員会からつるし上げを食い、卒業式への欠席を命じられる。

しかし式場ではなく、教室にやってきた「先生」の情報を耳にした生徒たちは、押しかけ、先生からの卒業証書がほしいと泣き、歌うのである。遠く忘れられていた恩師の歌「仰げば尊し」を。

一方は、劇場公開されている映画で『逆鱗組7人衆』という、いわゆるVシネマの世界である。今、日本の映画というのは三層構造になっていて、ちょっと説明すると、以下のようになっている。

これは、今発売中のある新聞にオレが書いているものからの抜粋である。

<プロ野球改革元年の今年、パ・リーグでは、明らかに3つの世界に色分けされたかたちで、戦い方が展開されている。ひとつはソフトバンクとロッテが、早々にプレーオフ権の3位以内確保というマジックナンバーを点灯させて、1位争いをしている。ひとつはその2強に次ぐ3番目という位置を狙いに、オリックス、西武、日本ハムがしのぎを削っている。ひとつは、どこを狙うわけでもない楽天が最下位一人旅を続けている。「2強3弱1ナシ」とも囁かれている。これはまるで今の日本映画界のように見える。

『妖怪大戦争』だ、『亡国のイージス』だ、と映画の看板である「大作」をとにかく作らされる。「この映画って、面白い映画って事で、いいんだよね」「誰かが褒めてたよ」「じゃあ、良いってことだよね」。まあ、そんな友だちの和みたいな「いい映画なんだ」の和が広がっていく。製作側も「こういう大ヒットする映画がいい映画なんだ! わかったか」と監督にハッパをかける。「はい、わかりました」。(大きな映画を目指して監督になった)監督だとしても、これが幸せな結末なのかは、わかったものではない。

一方無数の、かつてなら自主映画としか呼びようのなかったような「小さな映画群」。一般大衆という幻想はそこには何もなく、個別の分・衆というか、もっと細分化されたそれぞれのグループに向けて、自己存在の追求だったり、いまどきの漫才で扱うような、「これって、よくあることだよね」という小さな体験の確認だったり、まあ、プレーオフの3位狙いなのか、初めから多くの人間に向けて「見てもらいたい」という気構えはない。

さらに、シネコンの建設ラッシュでスクリーンが増えたにもかかわらず、そこですら掛けてもらえない一人旅の「Vシネマ」。そこでは尚、消え去ったはずの「大衆」向けに形骸化したテーマを扱って、かえって意固地なのか、甚だしい時代錯誤も随分と見られる。もう、方向があさってなのかも知れぬ。そこにオレは、いる。「なし」とされる世界。

だがなぜ無視されるのか。「大作」と「小さな映画群」しかない歪な構造を照らし返す意味もそこには含んでいて、シネマを通して、この3極構造を見直さねば、職場としての「日本の映画の現場」が瓦解していくだけではないか。しかし発表の場がない。

たとえばこの新聞もそうなのだが、劇場公開作品を公開日の前に試写で見て、時評風に書かざるを得ないスタイルが媒体の作り手と読者の間の了解としてどうしてもある。そうなると、「大作」は内容云々よりも、話題を紹介さえしてくれれば、お祭り騒ぎの片棒担ぎのお役目ご苦労であり、それに抵抗しようとすると、せいぜいが小さな映画群の中から、比較的「選民意識」の少ないグループ向けに出来ている良品とやらを見つけてきて取り上げるという、ゲリラ戦にもならないような自己満足の抵抗を繰り返すのみだ。そこからはVシネマは、作品の存在は勿論、その意義さえも抜け落ちる。しかし今、そこには悲鳴が現れている。(以下略)>

『逆鱗組7人衆』は、その悲鳴の一本というわけである。

そこでは、何の違和感もなく「仰げば尊し」が、歌われる。

内容はといえば、ヤクザがしのぎに困って、あの手この手で生きる悲哀を、特に家庭生活という一般社会への対応において、そのギャップを面白おかしく見せるものだ。はっきり言って、ギャグはすべっているし、最終的なテーマも、「堅気にあわせるつらさ」ということでしかなくて、あまり笑えない。よくヤクザ映画で使われる「任侠」的な一面、身を削ってまでの人助けなどの堅気にはない素晴らしい面を強調するという『泣かせ』もあえて廃しているようでもあるが、じゃあ、それに変わる見せ所を提示できたかといえば、押しが弱いのである。主演の武蔵拳は、もっと破天荒に、チャップリンも、エディー・マーフィーも、赤塚不二夫も、植木等もみなまとめて蹴散らすぐらいの壊れ方があってもいいはずだ。シリーズ化されるというから、この奇作が、生きていくような展開を望む。

その中でヤクザの武蔵拳は、何の衒いもなく「仰げば尊し」を歌うのである。

Vシネマのアナクロさが、あまりにも突き抜けていて、歌唱力は下手で、よくテレビのお笑いが「狙って」やる故意の下品でもない。多分、この場(Vシネマの世界)で生きる人間たちの、それでも腐らず、焦らず、精一杯の人たちのすがすがしさと、いやみのなさが、ギャグのすべりとは全く無関係に、伝わってくる。

「女王の教室」で、まや先生(天海祐希)は、「今、この場で出来ることをして生きろ」という。それはまさしく、数少ないチャンスを狙って、少しの生きる場をチョットずつでも広げていこうとする男たちの、まさにシネマの人たちではないかと被さるものを感じた。

「女王の教室」の裏番組で、NHKスペシャル「タクシードライバーは眠れない」も録画してみた。そこでは、タクシーの規制緩和が、逆に労働条件を切り詰め、タクシー運転手の生活を圧迫しているという実態を、特に大阪の実情から見つめていた。

大阪ではタクシーの事故が、この五年で二百件増えているという。慢性的な睡眠不足と、乗客の奪い合いで、起きているらしい。長い就業時間のために、自家用車兼用のタクシーも増えているという。事故の元だ。

シネマの現場も、しかし安く切り詰められ、この労働条件でよくもまあ作品が出来上がるわい!というほどに、奇跡的に作り続けられている。

ちょうど、「逆鱗組7人衆」に出ている俳優の松田優さんより電話があった。「ちょうど」というのは、彼のお父さんが、タクシーの運転であり、しかも、タクシーのメッカといわれる足立区で、オレも一時足立区に住んでいて(ビデオ屋をやっていた)、地域のタクシーの運転手さんと非常に(ビデオの)お客さんとして接し、その過酷な状況もよく知っていて、松田優という類まれな、肉体労働派というか、『ヘラクレス』『ベンハー』といった奴隷解放や蔑まれた民衆を立ち上がらせる代表にうってつけの魂と肉体を持ち合わせた役者に、ぴたり重なるところがあって、NHKが盛んに訴えているこの日本の規制緩和だ、民営化だ、ディスクロージャーだといった政策への問題点は、特に大スクリーンの映画で、松田優こそが、激しく叩きつけるべきだと、本気でオレは思っている。

先週、「EZテレビ」で、韓国のテレビドラマ事情を写していた。まさに地獄絵図で、50時間連続撮影をして、ギリギリ放映時間に間に合わせたと思ったら、人気ドラマの場合は、週に二~三回放送があって、その翌日に次回作ということで、キムチ食って、気合を入れなおして、50時間の直後になお徹夜で明日までの撮影を始めていた。

こちらの場合は、タクシー運転手の労働の過酷さとは違って、かつての日本映画の活気に似ていて、カネもチャンスも可能性もどんどんと付いてきているという理由がある。

それにしても、いい状態とはいえないのではないか。そういう中から傑作が出てくるという言い方もあるが、麻薬でハイになっている時に、ロックの傑作も生まれたという言い方に似ていて、麻薬無しの場合との差を証明できるわけではない。

映画監督の三池崇史に、ちょうど韓国で撮影してきて帰ってきたときに、インタビューしたことがあって、そのとき監督は、「日本の映画界はぬるいよ。韓国では、日本で言えば熱湯なのに、そこにみな飛び込んで、冷たいよってウソぶきながら、まだ熱くない、熱くない、って言ってやっているんだ」。

そう語っていた。

そうして出来上がった『妖怪大戦争』が、どんなものかといえば、(もちろん見させていただいたけれど)どうもオレには解らない。

そういえばあのタクシー映画の佳作『月はどっちに出ている』のルビー・モレノも、『逆鱗組7人衆』の舞台挨拶に登場した。

色々な人間模様をぶつけ合いながら、映画は出来て、転がっていく。

「あくつ・まや」がたぎらせていたように、怨念が渦まいている。

タクシー業界に限らず、Vシネマの世界に限らず、虐げられて、悲鳴をあげている現場は、益々増えている。

アメリカでは成人の黒人男性の服役率が4.5%に迫り、白人の多く住む地域で『刑務所産業』が盛んになっている、とアーサー・ビナードという詩人が新聞に書いていた。

反逆の徒・松田優の暴れまわる映画を見たい。

もちろん天海祐希、そして武蔵拳の今後にも期待する。

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2005年9月17日 (土)

不滅の男2

昨日、遠藤賢司について書いたあとから、純音楽とか純映画とか純文学とか、娯楽と芸術、作品の存在や価値について、あれこれ考えた。そこに介在する人間の趣向、主導権争い、作品へのありえもしない期待、夢想、幻想、暴力的な表現欲と、作品履歴欲と、刻まれる(印刷された紙や映像という形で残る)事への欲望。

ヤードバーズだって、たいていの日本人は、『欲望』という映画で知ることになる。それはどうでもいいか。

何が作品足りうるのか。しかしその『作品』という形をどう壊し、作っていくか。

さっきまで信也の番組を見ていたら、TBS「R30」に野沢直子、その裏番組であるテレ朝「虎の門」の司会に工藤夕貴が出ていた。どちらもアメリカ在住で、出稼ぎにやってきているのが見え見えである。そして、それをありがたがって使う日本のテレビ局もまた、アメリカという看板に甘い。

海外渡航が(1ドル360円で費用が高いとか、或いは渡航自体が制限されていて)ママならない時代の昔から、海外通を利用して、作品に取り入れ生かしたり、「世界に通用する何か」を漂わせて、(結局は世界でよりも)日本で商売をしていた日本人を多く見てきたし、それにつられる日本人が多いことも未だ事実で、しかし、海外渡航が珍しくもなくなった時代になって、なおだまされると言うか、甘い基準で、(野茂英雄や坂本龍一ならまだしも)野沢直子や工藤夕貴が、芸能人ひしめくテレビの世界に、帰郷(帰国)のついでのように番組にでる事が出来るのは、どうにも釈然としない。

じゃあ、そこでどれだけの「芸」なり、珍しい海外のお土産を見せてくれるのかといえば、(野沢直子のほうはまあまあとして)とてもじゃないが、見苦しい会話とリアクションしか見られない。

「工藤さんは今、日本でお笑いブームなのは知っていますか?」

「あっ、そうなんですか。一生懸命テレビ見て、遅れないように付いていきたいと思います」

別に付いてこなくてもいいよ。その分だけ、別なところで何か引っ張るだけのものがあるのまら、そっちをもっと磨いてくれれば、それでいいよ。

何か極めた人間が、別な弱点の部分を補うとかいう話とは違うだろう。

で、詩人という領域というか肩書きというか、生き方というか、まあ、いる。

オレの書き始めた出発点である雑誌「映画芸術」(その経緯は、『Vシネマ魂』という拙著のあとがきに書いている)に遊びにいくと、稲川方人がいて、別に呼び捨てにするほど親しくはないし、ひざを交えて話したことも一度もないのだが、昔から「詩の世界」という雑誌を買うたびによく名前を見ているので、勝手に覚えてしまって、黒澤明とか、ブッシュとか、遠藤賢司とか、そうやって呼び捨てにする程度に、まあ稲川方人なのである。

その人が詩人だということは、まあ知っていて、詩人といったら、中原中也とかランボーとか、そんなぐらいしか知らんから、これまた勝手にイメージして、神経質そうにも見えるし、貧乏そうにも見える。

その稲川が装丁をして、郡淳一郎という(この人はオレと哀川翔共著の『哀川翔鉄砲弾伝説』の編集者だ)人が校正をした『詩篇アマータイム』(思潮社)という本が手元にある。

松本圭二という詩人の作品である。しかし、大きなお世話であろうが、一体どのくらい売れ、詩で生活など出来るのだろうか。

その詩を発表しているところが、「ユリイカ」であったり、「映画芸術」であったり、「sagi times」であったり、オレが映画や音楽、文芸批評めいたものを書いた雑誌と随分重なっているから、何か近いものがあるかも知れぬと気にはなるのである。

『媒』という定期ペーパーにその『詩篇アマータイム』という書物についての松本圭二の文章が載っている。

<ほとぼりが冷めるとまた性懲りも無く詩集が造りたくなる。(中略)しかしいつまで経っても可能性の話を巡るばかりで一向に具体化しそうにない。漠然とした可能性だけを信じるために、私はテクストの生成に没入してしまった。最後には思潮社に相談することになる。第三詩集は思潮社刊。著者負担が80万円、定価2000円。部数450。そのうち300部を買い取ることになった。それらをどうすればいいのか。(以下略)>

よく「あなたも本を出しませんか」という自費出版代行会社は、著者負担があるという話は聞いていたが、詩人が本を出すのにも、売れなければ、金が要るのか。考えてみれば当たり前のことかもしれないけど、うまくやる奴は、売れなくても限りなく隙間から本を出し続けるし、また売れてしまえば何でもいいのかというくらい下品で基準の低い本もまた無数に出ていることをいまさらここでオレが言っても仕方がないか。

まあ、オレは幸い、本を全部で6冊出したけど、(自腹はもちろん切っていないし)印税もしっかりと10%いただいている。それが、見方をちょっとずらせば、幸福なことでもあるとは、そんなに笑って話せるものでもないと思うけど、まあ、そうなのかもしれぬ。

しかしその「松本圭二」をニフティで検索すると何件あるか見たら、141件あった。

工藤夕貴がさっきまで出ていた「虎の門」で、ある企画について面白いといっていた。それは、工藤がにわか勉強した過去の「虎の門」の中で伊集院光が提唱したゲームである。

ある名称を検索させて、そこにどんどん文字を加えていくと、検索に引っかかる数がへっていく。「プロ野球」と入れて、そこに「阪神」を加え「プロ野球阪神」、さらに「プロ野球阪神今岡」「プロ野球阪神今岡の打点」と、どんどん対象を狭めていくのである。

そこでの検索数はしかし、有名人の有名度ランクにもまたなっているのである。

たとえば、工藤夕貴で4950件、野沢直子で1920件、「虎の門」にレギュラーのMEGUMIで5万4900件、井筒和幸で1万700件である。

じゃあ、北風史はと入れてみると、これが44件(谷岡雅樹で144件とちょうど100うわまわっている)である。遠藤賢司で3840件。

たまたま「詩」という世界が、売るとか流通させるとかには厳しいのかもしれないが、工藤夕貴の本はどのくらい売れるのか。

『Vシネ血凬録』(河出書房新社)という本がでた時、銀座のある書店では、今売れている本というコーナーに、映画関連では、井筒和幸の『こちとら自腹じゃ』と、そのオレの『Vシネ』が並んで平置きにされていたのだが、あっという間に差をつけられてしまった。

オレの本のほうが絶対に面白い。

まあいいか。

93歳のジイサン(9月15日のblogを参照)が、「カネのものさしだけで仕事をはかるんじゃあねえ! 」と一念発起して生きているわけだ。遠藤賢司が、「ド素人はすっこんでろ」という言葉だけは使うまいとまず決意した、というように、こちとら素人で結構、需給関係の中で、くだらない基準に踊らされるのだけはやめよう。

じゃあ、どうするのか?

それはもちろん考えることからしか生まれようがない。と同時に、仕事は仕事として、この世に成立させていくしかない。

だけど詩人という言葉が、耳について離れない。

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2005年9月16日 (金)

「不滅の男・遠藤賢司」

今日、エンケン映画の試写を見てきた。

そのことについて書く。

Vシネマの現場で、エンケンさんといったら、遠藤憲一のことであって、皆ほとんど遠藤賢司については知らないので、がっかりしたことがあった。

しかし、実際はどのくらいのファンがいるというのか。トリビュート・アルバムが出るぐらいだから、凄いブームが来ていたのかもしれないが、そして、HPの「エンケン秘宝館」を見ると資料も記憶も充実していて、なにやら凄そうなのだが、オレの洞察力が間違っていなければ、著しくマイナーのままであると考えている。

大きなお世話だろうが、マイナーでなければ、あの小宇宙とスピードと、ちょっと舌打ちするような怒りの持続と、そして生半可ではない「頑なさ」は、生まれようが無いはずだからである。

それはまた、オレの事を言ってもいるのだ。

エンケンの前には、カップスも高田渡も、映画を作った。どっちもライブだけでは持たないから(一方はエディ以外は現役とはいえないし、一方も元々オールスター・キャストの中の一部でしかないから)、全篇ライブという作り方にはなっていない。

もちろんエンケンもそういう作りをすれば、もっと味も深みもハプニングも撮ることが出来ただろうけど、だけど、まだ、エンケンは知られてはいない。この歳にして知られてはいない。大きなお世話だろうが、カップスはカップスサイズに収まり、高田渡は、高田渡のサイズで、逝き切っていった。エンケンは、このサイズで語られてしまってはおしまいである。だから「次」を残すためにも、まずはライブ、それも結構中途半端なライブでなければいけなかったのである。

と、オレは思う。

熱狂的な人間はいつもどこかにいて、その人間のアンテナには引っかかる。エンケンは、そこで終わってはならない。

知り合いの映画雑誌に、「次号で、エンケンの映画を取り上げてくれないか」と、誘ってみたら、「もう少し早かったら出来たのに、残念でした。もうページ埋まっちゃいました。そこまで谷岡さんが好きだったとは知らなかった。だったら、もっと早くから用意しておいたのに」とのこと。

オレもなんというか、いつも試写をだらだらと見過ごしてしまう。必ず好きな映画に限って、最終試写まで残してしまう。これがしかしタイミングというものであり、オレは本当にエンケンさんに会いたくて、インタビューしようと思っていたのでもあるけど、一方で、エンケンさんには悪いが、オレがもし書いてしまっては、心中するような気がして、あえて、避けていた気もするのだ。

どういうことかというと、オレの文章は、完成されてはいないけど、ラモーンズみたいに最初は速さを競っていた。誰と競っていたわけでもなく、世界最速を競っていた。文豪だろうが、エロだろうが、スポーツだろうが、どの文章を読んでも、すっきりしない。遅く感じてしまうのだ。じゃあ、オレが書こう。そうしてカメラのシャッターを切るように、人の生き様を切り取っていこうと書き始めた。

そのひとつの仕事の枠内における急ぎ方は、周りにあまり似ている奴がいないとずっと思っていた。そして音楽でいえば、エンケンさんぐらいしか思いつかなかったのだ。

たとえばニール・ヤングならもっと分厚く音をかぶせてしまうけど、一人ではないから、コンビネーション、アンサンブル、コミュニティーに向かう共有感があって、しかしその前に、人間はまず一人であって、一人、道をきわめて、孤独に捨てられる様を、アンド無様を、味わわなければならず、そこでのスピード狂ぶりは、まだまだ誰も満足できないのに、次の段階にいってしまう。オレはいやだ。人がいて生きている、生かされている、というが、そりゃあそうではある。だけど、生かされるのも、許容され、認知されることから、ロボットのように生かされ、奴隷のように生かされ、死までの時間を生かされるだけなら、くそくらえだ。待てよ。待ってみろよ。まず自分で生きてみろ。

オレは胃がんで胃を全部とったけれど、胃の切除手術は、始まって、そう長い歴史ではない。しかも初期は、殆ど生存率が無いに等しく、今だって、全部を取っている奴はそうはいない。またがんに罹る年齢も早い奴ほど進行も速く、逝っちゃう奴が多い。そこで、オレは「史上最長寿の胃無しジイサン」になろうと決めている。この辺の考え方も「史上最長寿のロックンローラー」を目指すエンケンに似ている。

おこがましいが、ダブる部分は多い。

関係ない話だが、「ダブル、オッケー」と、最近のキャノンのCMに出ているシャラポワがやけに目に付く。あのモタツイタしゃべりは、頭がアホなのがばれてしまうではないか。電通か博報堂か知らないけど、悪意でもってそういう見せ方をしているのか、それともどう撮ってもアホなのか。

オレもダブルオッケーな気分で、エンケンと同じスピードで、近寄っていっては、あいつら二人ともバカだ、といわれてしまうようで、それを浅はかにも恐れていたのだ。

もちろん、この映画に関するエンケンを評するいい記事は出るとは思うけど、ただただトリビュートだの、リスペクトだの、カリスマだの、下らん横文字を並べた記事が出るのでは、何がオッケー牧場だか分かったもんじゃねえ。

昔、萩原健一のコンサートを観に行ったら、普段のテレビや映画などで見るショーケンとは違って、妙な空手や自己陶酔したスタイルを押し付ける部分もあって、オレはそこまで乗れたけれど、一緒に言った奴は、明らかに「引いて」いた。

「何か変な宗教に入ったのかしら」とか「麻薬でもやっているのだろう」とか、そういう許容量でしか世間というのは無い。それでたとえば捕まったら、「やっぱり」と。

何が「やっぱり」なのか、説明してみろよ。

などとオレが怒ったら、こいつも同じ穴の狢だと思われるわけだ。

ガンになったときも、自分で自分を褒めてあげたいじゃなくて、やっぱりって思ったよ。それは自分で思うんだからいいんだよ。人が「やっぱり」なんていったら、それこそ何が「やっぱり」なのかって問うよ。

だから、今のところ、エンケン映画についてオレが登場するのは差し控えようと思ってもいたのだ。

シャラポワの、たかがCMの15秒や30秒で、お里が知れたり馬脚が見えたりするように、人間は、ただ会えばいいって物ではない。

エンケンさんに会うには、もう少し時間が要る。タイミングか悪いということは、それだけ神の配剤だ。よかったよ。自分が何者かで無ければ、あったって、お互いが面白くも無い。「何者か」とは、有名無名とか、業績や肩書きとか、そういったことではない。テニスの技術を盗みたい(或いはグラビア写真をとりたい)人間でもなければ、シャラポワに会いたい奴など、そんなにいないはずなように、有名だからって、何者かというわけでもない。

モハメド・アリに「あなた凄いわね。ビートルズと会ったんだってね」と尋ねたら、「それが別にどうってことないんだ。丸いメガネをかけてた男以外は、大したことなかったよ」といってるわけで、ジョン以外は当時のアリにとっては、何者でもないわけだ。

東宝という映画会社の第一期ニューフェースの女優さんの知り合いがいて、当時(特に東宝争議を中心とした団結の時代)から目立つ人物ではあったのだろうけど、彼女に随分とかつての大スターや監督などに会わせてもらったことがある。今は亡き、伊藤武郎、花沢徳衛、山田典吾といった伝説の人物にも、何度も会って、かわいがってももらったのだが、実際自分が何者でもなければ、相手にとっても、やはりそんなに面白くはない。山田典吾監督は、全く現場未経験のオレを助監督で使ってくれるという嬉しすぎるお誘いも頂いたのだけれど、出来もしなければ、場所を汚すだけなのだ。岡本喜八、福田純、川本喜八郎、何回も会ったけど、ろくな質問ひとつ出来ないのだ。三船敏郎の家にも行った。一生懸命、三船の作品全部を見たところで(しかも全部なんてとても見ていない)、その時代背景や特殊な撮影所の中の事情などを知らなければ、相手にとっても下らん質問は失礼だと思う。オレの場合、身だしなみなどでは平気で礼を失することをやる人間ではあるが、的外れな質問をするとか、わかったフリをして相手を霍乱するということはしない。そういう時は、普段はおしゃべりなのだけれども、聞くだけに徹する(但し相手が好きなら)。

池部良、三橋達也、谷口千吉、小泉博、植木等、八千草薫、司葉子、随分と会わせてもらったけれど、だからなんだというだけである。

何者でもない奴が、会って、サインでももらおうというだけなのか。それは別にどんなことについてもいえるのだ。一方、大スターであっても、どうってことない奴もいる。それはみれば分かるよ。ダブルオッケーなんて言ってる奴が、凄い女に見えるかよ。

また話がそれすぎた。

エンケンは、昔から、オレにとってさえ「危ない奴」の一人としてぐらいしか、認識してはいなかった。ところが、八八年十月二十日はオレの誕生日で、テレ朝の深夜番組「プレステージ」のフォーク特集第1弾に、エンケン登場。あれ、まだ現役じゃン。

しかしこのときはそれぐらいの印象であった。梶原しげるが大好きで、まだこのころは梶原茂だったと思う(シーゲル梶原という名で怪しい英会話レコードも出している)が、プレステージを、毎日見ていた。今は国会議員の高市早苗と蓮舫のふたりに飯干(今は飯★)恵子も月曜日だったと思う。梶原の文化放送「本気でどんどん」も最終回まで聴いていた。

そして12月のプレステージにまたまたエンケンが登場するのだ。このときはエンケンとそして加奈崎芳太郎の二人が圧倒的にカッコよかった。

とにかくエンケンの「輪島の瞳」はもちろん、「ほんとだよ」にイッテしまった。

そのときのバージョン(エンケンは、ひとつとして同じバージョンでやらない、それはしかし人間である以上は当たり前なのだが、形に捕らわれている奴は、進歩を考えないから型にはめ込むわけで、結局同じアレンジで退屈そうに歌うやつが多い)は、オレが聞いた中ではライブも含めて一番よく、にもかかわらず、ゲストで聞いていたバカが、終わる直前に、まさにあと弦2回だけ弾くその直前に、拍手を入れ、はっと気づいて、拍手がやまって、2音が入ったあとに、拍手という変な音になってしまったのがとても悔しいのだけれど、一期一会、しょうがない。またあの演奏をお願いしますといったって、できないわけで、だからあれ以上の「ほんとだよ」を求めて、以後、オレは彷徨うことになったのだ。

『ゆきゆきて神軍』という映画があって、待ちきれずに初日に見にいったら、この映画、きっと上映中に警察に踏み込まれて、いきなり上映禁止になるのではないかと不安で見ていた。だからその後1週間の間にもう2回観に行った。必ず見ることが出来なくなると思い込んでいた。

エンケンが2度目にプレステージに登場した時、まさにそう思った。何か途中でCMが入る気がしてしょうがなかった。殺気もあったし、まだこんな奴がいたのか、と思った。

安藤昇が、昔のキネマ旬報のインタビューで、オレみたいな奴があんまりメディアに登場しちゃあやばいでしょう、と語っていたが、エンケンも危険印を貼られるな、とそのときは直感的に思った。

「新宿見るなら今見ておけよ」と、花園神社でやってる頃の唐十郎が言っていたように、エンケンもまさに今だ。そう思って追いかけ始めたのが、その直後からで、アンジー(というバンド)を追っかけていた妻も、エンケンを知って、すぐにオレに合流した。90年代半ば胃がんになるまで、ライブに通った。ファンクラブに入り、斉藤図書之介編集の遠藤賢司新聞「純・音・楽・も毎号とどいていた。妻と二人、大晦日をエンケン・ライブで年を越した。しかし対バンでさえもあまり人は多くなかった。大きな会場では、やらなかった。それも良かった。ライブ会場でエンケンの雑貨がバザーとして売り出されているときもあり、オレは1冊100円のガロのバックナンバーを10冊も買って帰りに難儀したりしたが、やっぱりテレビに出ても、あんまり人は来ないなあ、と思っていた。貧乏人バかリが来ているのか、バザーもあまり売れていなかった。

だけど、そのころのエンケンしか知らないけど、映画を見て、ビックリしたよ。今も全く変わらずに、感性はさらに激しく掻き立てて、技術的にはもっとすごくなって、「紹介」としては充分な映画だったよ。

みな知ったかぶりはするけど、実際ライブにいくと、オレの通っていた時期はずっと人が少なかったから、やっぱり知られているというほどに知られてはいないはずで、本当はそのオレの一番好きな「ほんとだよ」が映画の曲の中にもあれば良いわけなのだが、レイトショーでやるには、このぐらいの時間内で収めてほしいとか、劇場や配給の都合もあるのであろうし、結局規格から外れるわけにも行かず、だったら、「紹介」にとどめておこう、となったのだと思う。そして、それで充分いい。実際ライブのほうがずっといいことは合点百も承知の輔で言うけど、見たことないやつが多いわけで、その人たちへの導入部として、もうこれは仕方ない。「輪島の瞳」も、この映画を気に入った人が、ライブで確かめてくれ。それだけだ。

忌野清志郎が150万円もする自転車を盗まれて戻ってきたというが、この映画の冒頭は、イマワノと大して変わらない(いや正しく見ればずっといい顔をしている)顔のおっさんエンケンが、リサイクル屋で150円ぐらいに値切って買ってきたような自転車で武道館に現れる。何度も被写体にはなっているのに、主演映画もあるのに、その自転車シーンは硬い。だけど、いいよ。

スターリンでも、鮎川誠でも、同じようにライブ一発で映画を一本見せ切ることが出来るだろう。それは、高田渡やカップスとは違う、「実は」という説明抜きの音自体の力がいまだあるからだ。しかし、にもかかわらず、エンケンとの決定的違いは、もう「知られた」という安堵の匂いが漂っていることだ。エンケンの中には、「ただ凄い大物の一人」には決して納まりたくない、未だ主張したりない何かがある。満足できない何かがある。本当は音楽自体どうでもいい、たまたま音楽で表現している、沸き起こるエネルギーの塊、ここでペダルを踏むのをやめてしまっては、その塊が、ただの石ころと化すわけで、そうなっては、おしまいだ。

まだまだ純度が足りない。

エンケンに教えられたのは、いつでもその場で狂え!ということだ。今ここが宇宙の中心である。オレのいるこの場所が中心である。そこから感動の源を生む。作り出す。静かに静かに発想し、いつそれが起こるか分かりゃあしない。

誰だって曲を書いている瞬間がある。それが突然「ストリート・ファイティングマン」であったり、どこの誰にも不評で聴いてもらえない曲もある。

それは文章でも同じだ。大手の大媒体に書こうが、商業誌ですらなく、このただのインターネット上に乗るblogの上のたわごとであってさえ、その傑作はいつ誕生するか分からない。そう思って、その予感に身を震わせながらオレは書いている。

同じだよ。上質の紙の上であれ、ダブルオッケーなアホがふと漏らした言葉であれ、感動する奴がいればそいつにとってのかけがえのない玉なわけだ。

『早春スケッチブック』の山崎努、「8・1/2」のフェリーニ、そしてエンケン、狂えとまともにいった奴は、そうはいない。

何者でもないやつが、ただ言ったからってしょうがない。

オレも、その「狂え!」が、照準を合わせ、ぴたりと歴史を呼応する瞬間を求めて書いているのである。

だから、それまでエンケンさんには会わない。

映画のラストシーン、エンケンはありがとうと言ったあと、また会おう、と続けた。

そうなのだ。この映画、また会うためのプレステージであったのだ。

そう思って見てほしい。

そのあとは。

いうだけ野暮だ。

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2005年9月15日 (木)

93歳の歯なしジイサン

NHK「にんげんドキュメント」を見た。

殆ど毎回見逃さずに見ていたのだが、たまに見逃したものに限って面白い。今日は5月に放送された「人も長持ち、モノも長持ち~93歳・現役社長の経営術」で、見逃していた。

ポイントは、身の丈にあった生き方を、自分も、その周りも、地域も、国家においても、どう実現していくかが問われていると言うことにあった。そして求められているとも。

その1時間ぐらい前に、筑紫哲也が「ニュース23」の多事争論で、同じようなことを言っていた気がする。

自民党の小泉党首を「不真面目」としながら筑紫は、そこに吹いた今回の選挙の追い風を冷静に受け止めながら、一方の民主党の岡田党首の「生真面目」について、むしろ評価をした。これからの日本は、借金も含めてどうしたって難問山積で、不真面目でなどいられない。生真面目さのほうが求められる時代がすぐにでもやってくる。そんなまとめであった。

93歳の現役社長も、41歳で会社を興し、はじめは大企業の下請けをやっていたのだけれど、それが割に合わないというか、人間をないがしろにする考え方が、結局は自分も含めた従業員を不幸にすると判断し、独自でやっていくことにする。

「大企業は、金額と納期と図面とをポンと置いていくだけで、カネのほうが仕事よりも上と言う考え方だ。それが気に入らん。カネよりも仕事のほうが上なのに。大企業からでなくとも仕事はあるよ」

そうして大根洗い機や、ボーリングのピン洗い機を開発したりなどして、大企業では出来ない細かい仕事をしっかりと拾ってきた。その結果、46年間(と確かテレビでは言っていた)を連続黒字で今現在も進行中というわけだ。

93歳でもう、歯は無いのだが、入れ歯をするわけでもなく、歯茎でそのままかんでいる。硬い肉でも食べられる。

歯なしオヤジは、何でも無しでやっていくという発想だ。

オレも基本的には同じ考えだ。目が悪くなってもメガネをかけるのは変だと思い、オレはかけない。なぜなら太古の時代にメガネなど無かったわけで、見えにくくなった人間も、そのまま見ていたはずだ。しかし、自動車免許交付の際、「眼鏡使用など」と付帯事項を付けられるわけで、仕方なくかけている。オレの目はずっと両目とも1・5であったが、ゴルフボール(自分の周りでやっている人などいない。道端に少し表面がはげて落ちていたのを、拾ってきた)の中身を小学5年の時に、カッターで切り裂いて、そうしたら中から、ズドンと天井めがけて、消火器の粉みたいなものが一気にドラゴン花火のようにつんざいた。もちろん目で見て切っていたわけだから、天井は、オレの顔の外形を縁取ったように真っ白になった。つまりまともに目に当たったわけだ。オレの効き目は、前に「左利き・その1」で書いたように、左目で、翌日病院に行ったら、左目の視力が0.7となっていて、以後は坂道を転げるように急激に落ち、そのうち右目もつられていったのだ。

実にくだらない。それからよくなることは決してないのだ。

歯も、一時大変なことになった。奥歯の下の歯を抜いたままにしておいたら、上の歯が(重力で)下に伸びてくるという話は前々から聞いていたが、その逆は大丈夫だろうと思って、オレの場合、上の歯を抜いて、下の歯だけそのままにしておいたのだ。

ところがこれがえらいことになって、下の歯もまた上に伸びてきやがった。しかも別の上の歯に邪魔をしてかみ合わせが悪くなり、ナント顎関節症になったのだ。これはなったものにしか分からない。痛いなんてものではない。大きなあくびをした途端にあごが外れる。

きれいにハマる(つまり外れたあごを元に戻す)ときはいいが、その時間がかかるときの気の狂うほどに痛いこと、といったら言語に尽くせない。

病院で、何が一番痛いか、我慢できないかと言う談義はよくするものであるが、このあごもかなりの上位に食い込むはずだ。

石原さとみ主演の『赤い疑惑』で、白血病になった石原さとみと、同じ病院で入院する同じ病の少年が、「アレはとても痛いよねえ」と言うのが、骨髄穿刺検査である。実はオレもそれを血液の病気で入院した時にやったのだが、本当に痛い。もちろん、これを痛くも痒くもないという人を、オレは目撃してもいるから「人によりきり」ではあるのだが、しかし断言できるが、あごが外れるのは、骨髄穿刺よりも痛い。

ほかに何が痛いかは、宣伝めくが拙著「三文ガン患者」に書いてある。

自殺した野沢尚脚本の「反乱のボヤージュ」というドラマがあって、そこに出てきた刑事は、取り調べる相手が顎関節症であることを突いて、「ガハガハ笑わせて、あごはずさせてやろうか」と言うシーンがあるんだけれど、このシーンには怒りが今でもこみ上げる。多分、この痛みを野沢は分かっていない。だからこそ書けるし、その他の病気や、差別言説に対する敏感な反応も、当事者ならではの痛みがあるからだろうと思う。たかが顎関節症でさえも、あの刑事の台詞に未だに痛さを覚えているのだから。まさかその台詞の責任とって死んだわけじゃないだろうけど。

話がそれすぎたが、小さな仕事を確実にこなしていく。まるで西川きよしの選挙スローガンみたいだけれど、これが、長持ちの秘訣だったようだ。

どんどん発展していくことが前提で、いつまで経っても忙しく、誰も幸せにしないシステムを、大きな企業やチェーンやその他のグループが後戻りできないかのように巻き込んでいっている。

おかしいよ。だったら社会主義になればいいわけだ。今の独占企業は、社会主義国家の政府の部分を自分が占めて、そのわりに計画性無しに、他の零細企業や個人店、独立店などを潰していっているだけだ。

豆腐屋も八百屋も消えていく。ケーキ屋も、地元の手作りではなく、企画どおりのメーカーの決まったものしかなくなる。個性もへったくれもない。喫茶店すらドトールかスタバか、そんなのばっかりで、面白くもない。

コンビニのおにぎりなんて、工場で作っている人は、絶対に口にしない。あまりにも防腐剤やその他の薬品が振りまかれていて、毒の塊のようであることを熟知しているからだ。

昔、居酒屋のバイトをしたら、初日から面食らった。客に出して戻ってきた食べ残しのパセリを、捨てると怒られたからだ。水のたまったところにポイと置き、次の客の注文にまた乗せて運ぶ。ほかの居酒屋に行っても同じ事をやっていて、そういう店もあるという例だけれど、友達で居酒屋のバイトをしたことがある奴に聞いたら、そういう店は多いと言う。ビデオ屋でダビング物を平気で貸していた時代をオレは知っているから、人間というのは、切羽詰れば、食べ残しのトンカツだろうが、カレーだろうが、やる時はやるだろう。

手作りの感覚があると、そういう気持ちにはならないんだけれど、上からの命令で動く機械の感覚になると、行動が無機質になる。時間が来ると平気で捨てて、目標数値だけに追われて生きていたりするわけで、食べ物も、危険なものも、数合わせ、見た目合わせにしかなって行かないのだ。

バブルに乗って一時「腰の疲れない座椅子」で大もうけをした会社の社長が、しかし販売会社の倒産で、危機に瀕する。1億の負債を抱え首吊りまで考えて、そのとき93歳(当時はもっと若かっただろうが)の社長に連絡をしたのだ。歯なしオヤジは、帳簿も見ることなく、「いくら必要なのだ」。それで救われた。

そこの家族は、今は、歯なしオヤジの会社と同じように手でやる仕事でしっかりと生き延びている。最近はうれしいことがあると一家総出で餅をつく余裕も出てきた、とナレーションが入って、番組は終わった。

「腰の疲れない座椅子」でとことん儲けて、忙しくなり、放蕩もし、堕落もし、おかしくなってしまう人生よりも、もちをつく人生がそこかしこにあることのほうが、オレはいい。

ミック・ジャガーが、経済優先の世の中は、もう終わるはずだ、と随分前に言っていた。それは、イギリス社会をモデルにした話で、500年前に黒人を国内に連れてきて、黒人を受け入れる人と、未だにそれが出来ない人がいる。しかし、「受け入れる人」というのは、黒人のいなかった500年前以前の時代には、かつていなかったわけだ。

だから変わるところから変わっていかざるを得ないんだ、という言い方だった。

そうは持たない。

ゆり戻しが来るはずだ。

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2005年9月14日 (水)

カッコいいことはなんてカッコ悪いんだろう

タイトルをみて、なるほどと思った方は肩透かしを食うかもしれない。早川義夫について書くわけではない。そういえば、早川義夫は、ビートたけしがテレビに現れるだけで、その美意識の(自分との)差についていけず、すぐに電源を切るかチャンネルを回すと著書に書いてあった。ビートたけしについて、(単なる好悪ではなく)はっきりと覚悟を持って嫌いと書いた人を見たのは、ほかに、おすぎと、佐高信だけである。あとはいずれも、たけし好きな人間ばかりで、あまり面白くない。

そんなにたけしが好きなら、足立区も一緒に好きになってくれよ、とかヤクザやその他のチープな文化にも目をかけてくれよとは思うのだが、ただただ奴らは、たけしだけが例外的に好きで、オレなんかは困ってしまう。

まあ、それはいいとして、昨日「スーパーテレビ」を見ていたら、落選の翌日であるにもかかわらず堀江貴文が出ていて、相変わらず利用しているんだか利用されているんだか、微妙な切り取られ方をしていた。

自民党の党員を倍にして、それだけ(増員分)の党員費を肩代わりすれば票が買える、したがって自分が党の総裁になれる、と言う架空の話をしたところだけを放送されていたが、これだけを見れば、まるで彫りえが金で総裁のいすまでを狙っている権力の亡者でもあるかのようである。しかし別の番組では、この話を確か自民党の議員が堀江に対して言っていたのを、なるほどね、と堀江が主代加担したと言う話しであり、その聞いた話を多分披瀝しただけなのであろうが、「スーパーテレビ」は悪意なのか、無理やり、危険な印象の堀江を作っている。そもそもこの「スーパーテレビ」は、ナレーションがよくない。何がよくないといって、気持ちが入っていないのだ。浜崎あゆみのときなどは、結局迫ることが出来ずに、あしらわれてしまい、自分たち(スタッフ)の惨めささえ内省できずに、ラストの食事シーンでごまかそうとしているのまでが見え見えであった。

同じナレーション(窪田等)で、「情熱大陸」の哀川翔のときも、「哀しい川を翔ぶ」と命名した哀川翔を、早くに父を事故で失った生い立ちに結び付けて、分かったようなナレーションをかぶせていたが、心中する気もないくせに、他人の代弁なんてするなよ。

ドキュメントは、対象者に対して自分が思ったことを、遠慮をせずに、語ることでもあるが、それは、自分を語ることでもあるのだ。

アシスタントでスタジオにいた麻木久仁子は、例によって堀江に、くだらない質問をしていた。「堀江さん、広島の選挙区を回ることで、お金だけではない人の心みたいなものに触れて、堀江さん自身が何か変わった部分ってありますか」

馬ッ鹿野郎。

勿論、堀江は「何も変わっていない」と答えたが、お金と心が、相反する反物質みたいにして、磁石のNとS極みたいに反発しあうかのようなイメージは、いい加減おかしい。

カネを持っていようと、心の豊かな人もいれば、貧乏でもなお貧しい心の人は一杯いて、むしろスタジオのあなたたちのほうがお金に執着しているのではないか。と堀江に言われていたが、みているオレからしても実際そうであろう、と写った。

金に飽かせて、人を奴隷にするようなバカがいるが、そういうカッコ悪さは、堀江には感じない。カッコいいかカッコ悪いかは、直接感じることが出来るかどうかである。麻木久仁子は、人の裏を見るのには敏感であるけれども、裏にそれほど一物を隠していない人間に関しては、焦ってしまい墓穴を掘る。裏に何もないものほどかっこいいことを知らない。

流行っていったら、カッコいいもんと悪いもんが、微妙に混在していて、分からんやつは分からん。

パンクで、服やズボンを切ってチープに見せていたのを、真似する奴がいるのだけど、それが、きれいに「公式」でもあるかのように、「きる専門職」に金でも払ってやってもらっているかのように、切っていたバカが一杯いる。そうじゃないんだよ。

普段は作業着を着てオイルとスパナにまみれて、引っ掛けて切っているから切れているんで、そのままガレージで演奏しに行ったら、ペンキとほころびとで、それがシャーない俺らのスタイルよっていうただそれだけなわけで、だから、オレが昔いたダビング工場には、中卒のパンク野郎が結構いたが、もうそのGパンは、ワークショップの軍手の隣に10枚いくらで買ったような奴を、どういうつもりなんだと上司から完全にクビになる寸前の避難を浴びるぶった切り方で、ファッションと言うよりも、外を歩いていてもカッコ悪い代物で、しかしだからこそ奴らはカッコ良かった。

オレも服は破らないが、髪をずたずたに切って、それはただ単純に失敗しただけなんだけど、それこそが、下手なパンクよりもよほどパンクであった。今でも適当に刈ってるほうがファッションくさい気がする。

どこまでが許容範囲かによるよ。D・ボウイーの「ロジャー」と言うアルバムだって、わざとカッコ悪く見せているジャケットなんだけど、その意図が成功しているかは微妙で、当時のボウイーは本当にカッコ悪かったかもしれないのだ。

そのボウイーを、『戦場のメリークリスマス』に起用した監督の大島渚は、ボウイーなんてそのころまで聞いていないわけで、映画監督のくせに世界の流行に敏感とかいいながら、相当に後れてもいたわけだ。そのことは当時の大島のスタイル(貧乏人的な汚さがあった)をみれば一目瞭然で、しかし自分では当時からカッコいいと思っていたはずだ。山本寛斉に頼っている自体、もう昔の迫力はなかったわけだ。それでもオレは『戦メリ』の公開直前、札幌で会って、その大きさとカッコ良さに感激したよ。

政治家は基本的にカッコいい奴がやる。それは何故かと言えば、俳優と同じで、普段は忙しい人にとっての夢の実現者であるからだ。忙しい人というのは、険しく、せせこましく、切羽詰った顔になるわけで、そういう人には任せられない。

もちろん充分忙しい人たちではあるんだけれど、それは無駄なことで忙しい。

カリスマ主婦といわれ、夫も政治をやっている藤野真紀子という人が、担ぎ出され、散々コメンテーターなどから、いびられていた。たちえばテリー伊藤。「あんた、一体、国会で何をやろうとしてるんですか」。得意分野が、料理であるから、「食育」なんてスローガンを持ち出して、やぶへびをつつくようなことになるのだが、何とか切り抜けた。

オレは、いいと思う。充分カッコ悪くない顔をしていた。

それに堀江貴文も、古館伊知郎に詰め寄られて、「あなたも立候補してみれば分かります」と言い返し、古舘は逆切れして、「私はしませんよ」とムキになっていた。

実際、立候補して初めて人間の壁に当たる。悪意と敵意むき出しの中に放り込まれる。そもそも食であろうが、経営であろうが、人の上にたって、ルール作りから、道作りを始めようとしたら政治がついて回る。専門分野が国際政治の舛添要一だけに「資格」があるのなら、政治談議のサロンにしかならないであろう。

「食育」とは、もともとある言葉だけれど、よく政治の舞台で言ったものだ。そこに信念をかけられるのなら、やる気満々である。誰が笑えるものか。お笑い出身が転進して「福祉」を唱えるよりはずっとましだ。むしろ自分の中にあるものから発想したのだから、誰もやったことのない政治をパンクを見せてもらいたい。

ミック・ジャガーはいつもカッコいい。それは最初は「変」として現れるからである。

変なのだ。そりゃそうだ。まだファッションとして確定していない姿。評価の定まらない、未知の、わけのわかんない、不明の、はじめてみる、オリジナリティーそのもので登場するからだ。

忌野清志郎はそれを真似して見せるから、やっぱりカッコ悪い。それを上手に咀嚼し、昇華し終わったあとのものに限りカッコいい。当たり前だ。それは忌野のオリジナルとなったものだからだ。

琴線に触れる、と言うが、オレの場合は、パンク線に触れるのだ。

映画を見て、『狂い咲きサンダーロード』や『鉄砲玉の美学』がカッコいいのは誰だってわかる。だけど、『仁義なき戦い』よりも数段『その後の仁義なき戦い』にしびれ、パンク線が響き、パンク脳がブンガジャ節かき鳴らすことにはあまり気づかない。パンク線を持っている奴だけが響く。神波史男と言うバイオレンスの作家が書いているその狂気と、しがなくしみったれた切なさとが、べっとりと、カッコよく染み付いているからだ。

きれいだからってカッコいいわけじゃない。松嶋菜々子はカッコ悪い。矢田亜希子のように、覚悟を決めて「お嬢さん」を演っていればカッコいいままでいられるのだが、中途半端な反抗的態度を見せる。くだらない。もし見せたければ、それも覚悟を決めて、「お嬢さん」イメージをやめればよい。

松嶋は子供が生まれたころに、ドラマの新番組の記者会見があって、子供の話にふられたくないという態度を示していたが、ドラマにかこつけて、子供ネタを振られた時に、その記者に向かって、人差し指を向けて、「うまい!」と言ったのだ。

ばかばかしい。普段からアドリブの聞かない松嶋菜々子に、うまいとかうまくないとか判定してもらう場面ではもちろんないわけで、そう指摘することで、「タブー」なのよという無言の圧力をかけたつもりなのであろうけど、やり方が中途半端でいやらしくて、「お嬢さん」イメージを壊す毎年ながら少しの自己主張を通そうという虫のいい考えが見え隠れして、見ていて結局はカッコ悪かった。

きれいでも、カッコ悪きゃダメよ。

田中麗奈も最近はカッコ悪い、って段々オレも細木数子になってきたよ。田中麗奈も細木にしても大きなお世話であろう。

今日は、こんなところで。

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2005年9月13日 (火)

小選挙区比例代表並立制

高校野球の地方予選では、試合で代表を決めることが出来る。9イニングまでの得点によって勝敗を決定する。しかし、国会議員を選ぶには、意見は数値化できないから、厄介である。厄介であるにもかかわらず、投票で数値化し決定する。

代議制とは、国民を代表する議員が集まって政治をすることで、間接民主主義といわれる。なぜ間接かというと、国民が直接自ら政治をするわけではないからだ。間接的に代表者(政治家)を選んでその人に任せる。自分は、政治を直接はせずに、農業や工業、商業などに従事する。だから代表者については、しっかりと意見を代弁してくれるものを選びたい。そこで政治の専門家が生まれてくることになり、これはこれで、政治が専門であるゆえ、商売一辺倒だったり、スポーツ振興一辺倒だったり、福祉一辺倒だったりしないで、財産の分配も隔たりなく行われて「良い」はずだ。ところが、この専門家と、普段政治をしないで選ぶ側の人間となっているものとの間に、溝というか乖離というか、ギャップが生じてくる。つまり、「隔たりなく」行わないでほしい(つまり優遇してほしい)という奴がいるわけだ。そのギャップを埋めるため(自分の利益を誘導するため)に、広く公募される立候補者の中に紛れ込ませるのであり、ある種の利益団体の代表が出てくるのである。そして本来は「選ばれない」はずのバカの代表が、バかたちの利益を誘導するために、「選ぶ人たちはバカではない」という看板を掲げて国政の場に入場してくるのである。

国民はバカである、バカでない。という議論がある。

「バカである」というほうの意見はこうである。

バカであるから直接民主主義(国民全部での多数決)を採用しないで代議制にしている。選挙によって「選ばれていない」一般人が決定をするという(バカ万歳の)危険を回避しているのである。魔女狩りや独裁の熱狂、暴走を食い止めている。

バカでないならば、常に直接民主制にするはずだ。

しかし高等遊民的なインテリの評論家は、国民はバカであるからこそ、その選んでいる人間すら信用できない、と言う。つまり代議制さえ不十分だ、みたいなことを自らは立候補することもなく主張するのである。

しかしその意見もバカの一典型であるから、これを食い止めるためにも、むしろ不十分な代議制で、よしとオレは考える。

政治家はくだらないとか、何も代表していないから任せられない、とか混ぜっ返すだけの者は、それがインテリだろうと、インテリの口真似であろうと、選ばれることのない一般人の域を出ない以上は、相手にされない体制なわけで、その点では機能している。

高田がんが、その金にあかせて、70何回(63年の都知事選に始まり、大阪府知事、京都府知事、京都市長、名古屋市長、神戸市長、世田谷区長選など)各地の選挙に立候補し、落選を繰り返しているのも、機能しているのであろう。

もっともそのシンパに囲まれていれば、お山の大将気分で、小さな政治家足りうる気持ちなのかもしれない。

しかし問題は、高等遊民的インテリやその口真似連中は、「政治意識」や「政治教養」の点で劣るために、代議されず歯止めになることはなるが、そうではなく、立候補するのに金がない、余裕がない、しかし「政治意識」や「政治教養」はある、という人についてである。これもまた弾き飛ばしている以上、ある特定の利益団体の代理戦争にはなっていなくとも、不利益者、非利益者の代弁者には少なくともならない。立候補できるだけの自分(当選者)レベルの財産が回る仕組みは維持しようとするであろう。選ばれた人間たちの専制とは言わないが、選ばれた人間の財産レベル以上の人のためのゆるい専制にはなっているはずだ。

ところで、その選ぶ方法においても、いまだ、整備の途上なのではないかと思われる。民主主義とか、共産主義とか、社会主義とか、資本主義とか、その当てる光によって浮かび上がる像は違うけれど、本気で議論したうえで、どういう道筋を選択するのか、これは、いまだ歴史の浅い中で、どうにでもなりうるし、また、していい問題でもある。間接であろうと、選ぶ方法からして、あきらめることは何もない。

「小選挙区比例代表並立制」への移行について考えてみる。

「小選挙区」と、「比例代表」という選挙のやり方を、二つ並べているからそういうのであるが、分かりにくい。

衆議院は、はじめは、普通選挙制度導入時の定数466(当時の人口12万人に対し議員1人の割合)のままであり、一票の格差が、都市部の人口増加につれて広がったために、都市部での定員を増やし、1975年には、511人となった。野党はむしろ過疎地域の定員を減らせと言ったが、地方の農村部で強い自民党が押し切った形で増員された。

さらにリクルート問題などから、金のかかる中選挙区制をやめて、小選挙区(300人)を導入し、少数意見の反映も鑑みて「比例代表」制(11ブロック180人)をくっつけたのが現行の制度と言うわけだ。

小党乱立になりがちな比例代表と、二大政党政治になりやすい小選挙区との、中間点を選んでいると言うことになる。

ちなみに参議院はかつては252人(全国区100人,地方区152人)であったが、242人(比例代表選出議員96人、選挙区選出議員146人)に改められた。人気は6年だが3年ごとに半数ずつ改選していき、去年の参院選で242人となった(現在欠員1名)。

分かりにくいのは、(得票による)比例区での各党への当選人数の割り振り方と、小選挙区で立候補の人が比例代表名簿にも名を連ねることができると言う点である。

しかも、小選挙区での負け方が、惜敗すればするほど、敗者復活のようにして(比例での)当選する率が上がるのである。

「小選挙区」との重複立候補者は、比例名簿での上位から同じ順位に並べることができ、「小選挙区」で当選した候補者は名簿から抜けるわけであるから、残った(小選挙区で落ちた)同一順位候補者のうち「惜敗率」の高い人から当選が決まる。

この「惜敗率」と言うのは読んで字のごとく、惜しくも負けた率である。つまり小選挙区での得票数÷当選者の得票数を指す。小差で負けたほうが「より」いいというわけだ。

「小選挙区」で落選しても、善戦すれば、「比例代表」で敗者復活もできる。

これはしかし、差のない候補が何人かいたほうが、圧倒的な候補一人の地域よりも、たくさんの国会議員を生むのではないか。

また比例名簿順位の上の奴は、小選挙区での戦いは、大して意味がないのではないか。

そしてまた、一方で小選挙区な分だけドブ板振りが深刻化し、町の帝王と言うか醜い親分が選ばれやすい。

さらに人気のある個人(タレント候補など)を含む党は、比例を多数獲得しやすい。

最終的には党に回収されていく以上は、人数の奪い合いで、どう数を確保するかの作戦になっていく。

それでいて、憲法9条も、年金も、郵政も、みな党が同じなら同じ考えでなければイケないと言うのは変だ。

党の出入りをもっと多くしてもいいのではないか。或いは、各論について、まとまる団体が分かれてもいいのではないか。選挙前から党のマニュフェストを示して、それに順ずるものだけの決定がなされていく。それを望んで1票を投じているわけではない。

イエスかノーかを、立候補者で選ばせられ、その選ばれた人間が何も律儀に、またしてもイエスかノーかでの議論をしていくだけなら、幅を持たない、細かい理屈を切り捨てていく、大雑把な決定だけが進んでいく。

しかし、小沢一派や横路一派などさまざまな考え方のグループを含む民主党に票を入れにくいのは確かだ。最終的には一本にまとめた上で、(国会の論議で)闘わねばならない仕組みがあるからだ。そこでの自民党の一枚岩ってのは一体なんなのか。金持ち喧嘩せずではないのか。

高等遊民的なインテリが、腹を立てたように揶揄するだけなのは、自分が参加できないからで、代表者が、国政の場で意見を練りあうだけではなく、(つまり代表者は、代表となった途端に、選んでくれた人と断絶して、自分という代表者一人の意見を代表意見として振舞うのではなく)選んでしまった人(選挙民)がなお、選挙後もその代表者に意見を提案できる、助言しそれが生かされる、代表にはなれないがマニュフェストぐらいは作れる人のマニュフェスト的なものを取り入れる、そういう仕組みがあれば、間接とはいえ、参加した気になれるのではないか。

そうすると、国民はバカだと言わなくなる、というか言ってられないほどにインテリもまた政治的な一員となるであろう。
多くの国民も政治的になるであろう。

単なる代表者ではなく、意見を取り入れる余地が選挙後にも感じられるならば、オレは党を選ぶ比例代表制だけでいいと思っている。

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2005年9月12日 (月)

民主党・岡田克也

自民党が歴史的な大勝をし、ということは野党第一党であり(二大政党を謳っていた)民主党は歴史的な大敗(じっさいに結党以来の大後退)を喫したということだ。

朝日新聞では、<民営化論から現状維持まで幅がある党内の対立に目をつむり、政府案への「反対」だけを決めた安易さは、有権者に透けて見えた。>とある。

しかし党を超えた委員会で若手が意見交換しあう中で、お題目の「反対」とは別の意見が芽生えるのも確かで、自民党内の反自民党的要素、民主党内の反民主党的要素、そこでの党内対立に、小泉のほうがむしろ積極的に目をつむらなかったということであろう。

負けた岡田党首は、しかし小泉以上に選挙演説の数をこなし、ポスターやチラシでの顔も、疲れを見せずに、キリリという顔で踏みとどまっていた。小泉のほうが、東京選挙区のNHKでの政見放送で両肘を付いて首を少し垂れ、疲れを見せていた。

体力的にはどっちもきつい。からだの弱い奴には選挙は、戦えない

その岡田氏、開票の始まる少し前から出口調査で結果がはっきりしてくる。敗戦濃厚。もともとブスくたれた表情をするタイプが、何とか党首の顔として、決して菅直人の様な軟らかさが前に出にくいタイプながらも、必死に俺が首相をやる、との硬めの清新な表情で、持ちこたえたかのようだった。だが、負けて、ブスくたれる力も残っていなかった。

オレは、負けた人間を見るのが好きである。どうしてそうなったのかは、オレもまた、負けたからである。小学校、中学校、高校と児童会長、生徒会長に立候補し、小学、中学は、当選するものの、高校では歴史的惨敗を喫した。

そのとき、誰よりも自分が悔しく、一人泣く。その気持ちは、あとからあとから湧き上がってくる。ライブドアの堀江貴文が、広島で地元の親分である龜井に敗れても、もう選挙には懲り懲りだとは言わず、また5年後を目指すような発言を、その直後からしてしまう、させてしまう、そんな魔力が、潜んでいる。

誰に慰められようと、何を言われようと、あまりにも、ショックは大きい。

たとえば、人気商売で、俳優が抜擢され売れるとか、作家がベストセラーになるとか、それはもちろん嬉しいだろうし、売れなければ、金持ちでもない限りは生計の面でも響く、或いは窮乏するであろうし、読者や観客に支持されないショックはあるといえばあるが、別のからくりもまた大きく作用していて、人間が生きていく上での自信を根幹から揺さぶるものではない。時代の流れ、運、不運、割振り的な位置にいる人間の好き嫌い、タイミング、悪意、そんなものまで考えると、腹は立つが、オレが悪いわけでもない。

だが、選挙は、なんであろうが、オレの生きる道を閉ざす匂いを感じずにはいられないのだ。ここを無視してほかのことで成功しても、さしてオレ自身に関しては意味がない。そう思えるのである。だから堀江も拘り始めた。小泉政権でなければ登板の機会は薄いはずだ。にもかかわらず、5年後を口にする。

試合中にプレーをめぐって暴行事件を起こした阪神のコーチ、島野育夫は、首になってからも阪神の観客席では人気があって、判定で揉めるたびに、(もうコーチとしてはいない)彼の名前が挙がっていた。「島野、イケ」「島野,出てこんかい」。復帰はないなと思っていたら、星野仙一が異例の阪神抜擢で、中日時代から星野の右腕としてコーチ復帰していた島野が阪神のヘッドコーチとしてやってきたのである。こういう逆転劇もあることはあるが、堀江はしかし、誠治というよりも選挙の人間の気持ちと圧力と熱狂に目覚めてしまったのであろう。

堀江は、参議院ではなく、5年後を視野に入れて、全国的な展開よりも「地元」を口にするのである。魔力である。

オレの(高校時代の会長選挙)場合は、やはり保守層の票を取れなかった。

その高校は、大学紛争に呼応して、六八年から七一年まで、バリケード封鎖をしたりして、オレの入学した七八年には、まだその残響があって、札幌市民会館で、予餞会が行われたときに、生卵をステージに向けてぶつけ、会場がぐしゃぐしゃとなったりしていた。以後五年間使用禁止を言い渡されるのだが、そういうくだらなさに飽き飽きしていたからオレは、別の主義主張を明確にする高校のあり方を打ち出した。進学率を落としてもいいから人に尊敬される人間を作る、自らくいのない高校生活を送る。言葉にするとしゃらくさいが、本気であった。「過激であればすべて良し」という風潮が嫌だった。左翼でなければ人でなし、インテリでなければ人でなし。アホか。

Y君という親友がいた。Yとオレは、いつも試験で金を賭けていて、オレは全科目白紙で出したりもしたことがあるから、そのときは全額払う。しかし実はとにかく一回も勝ったことがなく、いつも金を払っていた。のちYは東大に入った。金を払うたび、孤立感を確かめた。この時代にあっては、「反アメリカ」であればそれで良く、しかしながら、既成の共産主義からは徹底的に分裂し、ばらばらになり、右翼も新左翼も変わらなかった。

実際、オレの通っていた高校もブルジョアでしかなかった。

北海道でタコ部屋や囚人労働が、旧財閥系や旧男爵系によって行われるのは、有利な官有物の払い下げが横行し、土地も天皇家を始めさまざまな資本家に安く渡ったからで、植民地獲得競争の内側で、下請け孫請けの世界を北海道は平気で引き受けることになった。

つまり、不在地主や特権階級が贅沢に開拓するというのも一方の姿であり、北海道開拓のお雇い外国人はほとんど全部が北部のそれもマサチューセッツ州出身であったけれども、結局、行われていたのは、南部の過酷な法的所有物としての労働体制であった。

それがゆえに、米南部のような威張り腐った政治家や資本家、そして無知を誇るような一般人が多いのも北海道人の特徴である。ブルジョワのラジカルなんて見ちゃいられネエ。

ここで鈴木宗男に票を投じた北海道人を弁護するわけではないが、松山千春については、少しは知っているので、少し書く。

それがどんな新聞かは見たことがない。「道新」の愛称で親しまれる北海道新聞(札幌)以外にも、当時は北海タイムス(札幌)はじめ、道内には沢山の新聞があった。それが地方のさらにローカルな地域の意地でもあった。道北日報(士別)紋別新聞(紋別)日刊留萌新聞(留萌)千歳民報(千歳)網走新聞(網走)苫小牧民報(苫小牧)函館新聞(函館)釧路新聞(釧路)十勝毎日新聞(帯広)室蘭民報(室蘭)。

そして足寄町の「とかち新聞」。それは、松山千春の父、明のたった一人の新聞社であった。日刊ではなかったが、千部を発行していた。ラジオが終わると、その父の魂の結晶を手伝いに帰っていた。ただそれだけだ。そうせずにはいられなかった。

鈴木宗男。足寄高校の松山千春の八年先輩の男。この代議士にも、そうせずにはいられなかった松山千春。ただそれだけだ。鈴木は、自民党では、最も金を集める男として重宝されていた。しかし地元選挙区(五人区)では、トップの中川一郎に大きく水を開けられ、いつも落選ギリギリの薄氷を踏んでいた。中川と違って、顔がよくない。しかも東京の匂いがぷんぷんする中川と比べて、地元密着で、事実田舎臭い。同じ選挙区の、北村直人にも、武部勤(小泉純一郎の片腕として現在自民党幹事長)にも毎度負けていた。小選挙区比例代表となったときも、同じ自民党ゆえ中川、武部とは別れるものの、北村は、新進党で同じ区での戦いとなり、結局鈴木は敗れることになる。何とか比例代表によって生き残ったのだ。

北海道は、多くは食い詰めてやってきた開拓民の子孫だが、一方では、屯田兵だの開拓使だの、政商や財閥系列の、「植える」側の人間の子孫もまたいる。

キャリアとノンキャリアという言葉があるが、東京から文化を、中央政府からお金を、どうやって持ってくるかという問題に直面したとき、必然、「植える」側の末裔は、パイプが太く、やることもスマートで、彼らキャリアを、つい代表にしてしまう。「北の国から」でも、「石原裕次郎記念館」でも何でも道民は有難がる。不在住民の舛添要一さえ、道知事になりかねなかった。オレもまた、つい都会の匂いにあこがれ、自分に卑屈になってしまう。

一方、アメリカでの公民権運動のごとく、左翼の強い土地ともなる。

西部邁(評論家)の「寓喩としての人生」(徳間書店)には、自らの高校生時代を回想し、こうある。

<北海道は戦前の農民運動の流れがあり、また戦後の炭鉱や国鉄における労働争議の影響もあって左傾していた。現在もだらしなく薄められているとはいえ、北海道は「サヨク」の牙城であるらしい。そういう土地柄であるから、一九五〇年代前半の札幌には左翼が倒壊したり腐敗したりするときに特有の、暗く濁った雰囲気が漂っていたのではないか>

西部も実はオレと同じ高校である。札幌南高は、一九〇八年「札幌一中同盟休校事件」という騒ぎで生徒のストライキにより校長が辞職し、愛媛県から札幌農学校出身の山田幸太郎校長を連れてくることで収束し、その後も六〇年安保、六九年全共闘運動への呼応などバリケードを張っての立てこもりが伝統的に行われている。七〇年八月八日には政治活動をめぐって生徒が大量処分された。東大で矢内原忠雄や南原繁らが、「内村(鑑三)から神、新渡戸(稲造)から人間を学んだ」として、「札幌農学校の子」と称しファシズム抵抗の共同戦線を張ったように、三十年間赴任した山田幸太郎の魂が、けたたましく理想を吹き上げたプチブル高校である。西部は東大へ進み、教養学部で六〇年安保時の自治会委員長となるが、のち大衆への苦々しい嫌悪をスローガンにして、新左翼から新保守へという転身を果たす。

北海道は二律背反の左翼を引き受ける大地でもあった。

そうして、このラジカル主義を打破せんがために、オレは、生徒会長選に出たのである。

一学年四百五十人だから、千三百五十人の全校生徒がいた。対抗馬は前会長であり、タダのガリ勉だった。いや、そのはずであった。

のち、オレの浪人中に、在校時は一度も口を聞いたことのないこの「会長」と、映画館で出くわした。大学の映研に入っていた。そして、のち、この男が「じゃがたら」というバンドに加入することになるとは、その時のオレは夢にも考えなかった。

結局、何票だったか、実は、もう忘れてしまった。

恐ろしく少ない票だったことは、ハッキリしている。水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」か、何かそのぐらいの数字だった。「人生はワンツー・パンチ」ったって、現実をまともに受け止めるには厳しかった。

松山千春は、「いつか年金(北海道厚生年金会館)を一杯にする」と生前の恩師・竹田健二に誓い、八二年、真駒内アイスアリーナで、五万人動員の記録を打ち立てる。

オレは投票箱を一杯にするといって、「じゃがたら」のほうを一杯にしてしまった。

「じゃがたら」は、オレが登場したとき、「あんな奴には任せてられない」と言って、再び現れたのだ。オレの責任者は、その「じゃがたら」の前回の責任者でもある。

あの日、決戦の日のあの日、「じゃがたら」はこう言った。(こういった情勢の中で)「一票を投じるべき人物、それは誰でしょうか」

そのとき、声が上がった。「タニオカ(ワシの本名)だーッ!」

親友のYだった。

とんだ茶番劇だと、みな笑ったが、Yの声をシュプレヒコールで掻き消した連中に、一体何が分かるというのか。

そう思った。

Yは、卒業式に金属バットを校長に渡すというパフォーマンスをしていたが、学校に対してその時のオレはもう、パフォーマンスで関わるのすら、ウンザリしていた。

あの日、選挙で負けたあの日、本当は随分と悔しかった。自分の中の欲望の大きさを知った。

「オールナイト・ニッポン」は、いつものようにエンディング「大空と大地の中で」がかかっていた。
歌を歌っていた。いつまでもいつまでも歌っていた。七〇年代の気分をギリギリと引き摺りながら。

それは今も変わらないのかもしれない。

負けることで、友情とはいかないが、同じ戦った相手に奇矯な果実というか、芳香を覚えるのも事実だ。

選挙で負ける人間の顔を見る。負けに不思議の負けなし。それは分かっている。負けたものには必ず説明の付く理由がある。不思議な負け方などない。それだけにつらい。

売れないつらさとか、人に認められないつらさとか、仕事で失敗するつらさとは全然別のつらさ。

いまだ思い出すのである。

民主党代表・岡田克也。

「もう(敗戦の弁は)いいでしょう。ほかに(選挙や辞任のことで質問は)何かありますか。じゃあ」。

厳しい表情すら保てずに車に乗り込んでいった。

そして一人泣く。

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2005年9月11日 (日)

浅草

起きてすぐ髪を切って(もらって)、さっさと選挙の投票を済ませ、午前中に浅草に出た。

映画を見る予定だったが、気が変わって、歩くことにした。なんだか天気がよく晴れていて、人が沢山浅草の町を埋めて、久しぶりに活気付かせていたからだ。さらに気が乗って、ようしと、上野まで歩くことにした。

こうやって気が変わるのは、オレの昔からの性分だ。映画を前もって決めていて、行く途中で気が変わって、「違う映画にしようか」とか、旅行も、香港だったはずが、急にイタリアに変更したり(結局香港へは一度も行っていない)、かなり気分しだいなのである。妻は、そういうオレの態度をとても嫌がるのだ。たかが食べ物でさえ、天ぷらと決めていたのを、寿司にするとかでさえ融通が利かない。それほどにオレとは真逆に「決まりきった」ルールを外し難い性質らしい。

オレがどうしてこれほどに、いきなりの予定変更に耐えうるのか、或いはあまり気にしないのか。それは多分、小学6年の時、自宅が火事になって、かなりのものを失ったからであろう。失ったといっても焼けたわけではない。薬品交じりの消火のための水が、かぶさったわけで、物体は存在するのだが使い物にならず、特に紙製のものは、ノートであれ、本であれ、焼け残っているのに開かない。悲しい。

そして、それまでのオレといえば、コレクションの王様であったわけだ。切手、古銭、紙幣、コイン、マッチ、パンフレット、ポスターといった序の口モノから始まって、昆虫採集も押し花採集も岩石採集までしていた。やくみつるの様な髪の毛やトイレットペーパーにまでは至らないが、みうらじゅんの様なグラビア関係までは手を出している。

それらが、一瞬にして灰、ではなく、濡れねずみになってしまったのだ。

そりゃあ、悔しかった。調べものをしたノート十数冊も、表紙のよどんだ文字だけが残っていて、何を書いているのか、さっぱり判読できない。自分の頭にまで水が溜まった気がした。中身はもちろん開かない。

そういえば、ガンで入院中に、水の溜まったばあさんと親しくなったことがある。女子病棟と男子の病棟は違うのだが、踊り場で、毎度顔を合わせ、息子の自慢を散々聞かされていたわけである。その挙句、一緒に入院中のオレを、いつの間にか見舞いに来た誰かの夫と認識して、「それじゃあ、だんなさん。奥さんお大事に」って去っていった。おいおいおい、今までのオレをなんだと思っていたんだ。ビックリしたよ。水は溜まりたくないと思ったよ。

しかし消火の水で一度は御破産になりながらもまた、性懲りもせずに、くだらないものを集めるのが、習性という奴であろう。

それだけ凝るわりには、気が変わるのもまた速い。しょっちゅう気が変わるからこそ、いつまでも凝りが持続するのだと我ながら思う。

さあ、上野まで歩こう、そしてそのあと秋葉原まで歩こう。このぐらいの距離は何度も経験済みだ。新宿から上野まで深夜で2時間ちょっとで歩いたこともある。銀座から船橋までとか、新宿から調布までとか、長距離も結構経験している。

大阪時代も、札幌時代もとにかく、町という町を歩いた。ローマでも歩いた。コロッセオからバチカンまでも歩いた。どうってことはない。ベニスでも迷って迷って、小さな島を一周した。ロスでは、黒人街にまで入っていってしまった。

まあ、とにかく歩くわけだ。歩いて調子を整える。ところが上野と浅草の中間あたりで、いきなりの豪雨。なんだよ。これでまた投票率が落ちるではないか。また予定を変更して木場にいる友人にでも会おうか。そんなことを考えながら、しかし一日浅草を歩くことにした。

アーケードやウインズに雨宿りをするおっさんたちが、たむろしている。なんだかすえた匂いで、さっきまで屋台からはみ出してもつの煮込みにビールを食らっていた連中だ。映画館も減ってるし、店もどんどん様変わりして、ウインズとか国営の元締めだけが幅を聞かせている。髙山登久太郎というヤクザの名門(会津小鉄会)親分が、暴対法に抗議して「俺たちは暴力団ではない」と裁判闘争に入ったとき、国がギャンブルの元締めをすれば、何のとがめだてもなく、わしらがやれば、あかん言うのはどないなことですたい、ってどこの京都弁か分けわかんなくなったけど、要するに、「しのぎ」を都合のいいグループが独占するのはおかしくはないか? 痛いところをついていた。

高山は在日韓国朝鮮人(以下在日朝鮮人とする)でもあったが、男女であれ、出身地であれ、障害のある無しであれ、必ず、恵まれたものと、条件の悪いもの(極端な場合、選挙権や受験資格、入居資格がないとか)とが居て、「正統」というもの(たとえば中央競馬会でも、相撲協会でも、そのグループ入りするのは難しい)から遠いものほどバカをみる。「暴力団」にされてしまう。

レイ・チャールズが緑内障を悪化させて失明するのも、貧困のせいである。クラレンス・カーターでも誰でも黒人が障害を負いやすい環境にあるからであり、スポーツや音楽で秀でた才能を発揮するのも、出て行く場が限られているからだ。「てんぼう」といわれた野口英世は、手をやけどしてしまうが、張本勲もまた不自由な手が原因で左打ちなわけである。

その張本は在日朝鮮人でにっぽんプロ野球史上最高安打数を誇っているが、最高勝利数400の金田正一も在日朝鮮人で、左投手では世界一である。世界の本塁打王・王貞治は台湾、大相撲の大鵬、空手の大山倍達、プロレスの力道山、頂点に君臨するものの多くが、マイノリティーから立ち上がってきている。

沖縄や北海道、青森出身のボクサー、在日朝鮮人その他混血の多い芸能人、ビデオ屋だって、焼肉やパチンコ屋さんと同じく、在日のオーナーが当初は半分以上を占めていた。

もし、同じ条件を与えるならば、みな、オリンピックのメダルも、首相も大統領も、優性遺伝の法則にのっとられると、恐れていることは確かである。だからうまい言葉で、法律で、だましだまし、白豪主義やら、小作農主義を貫くのである。「黒くぬれ」と歌ったストーンズもまた脅威だったのだ。

しかし、その狭い隙間でもなお逞しく生きていくものもいれば、たいていは自然淘汰で消えていく運命のものが多い。

浅草には、足を引きずるものが多い、手のないものも見る。車椅子もある意味で行きやすい町だ。たとえスロープやエレベーターが、しっかりと備わっていても、すぐそばを迷惑そうに若い連中が白目をむき出しながら通り過ぎていく町になど行きたくはないであろう。だからこそ、それほどに設備が備わっても居ないのに、浅草にはそういう人が来る。来るし、また住んでもいる。オレも足を引きずっているわけではないが、心は引きずっているからなのか、いきやすい。この浅草にも通ぶって、ブランドに身を固めた安っぽい男が、高い店に「どじょう」なんかを食いに来る。それはそれで、勝手にしろ。

で、オレは、そんな町でもぶらぶらと一日をつぶすことが出来るのだ。別に競馬をやるわけでなし、映画も見ないのに、なんとなく見て飽きない。たとえば古銭、コインの店。新宿でも銀座でも、今はデパートの特設展示がなければ、常設していない。そんな店があること自体、そういう趣味の人が、近くに住んでいるわけである。別に東京中のそういう趣味のメッカというわけではないのだから。古銭、コインを見るだけで心が弾むオレ。

駄菓子屋。手作りの和菓子屋。東京タワーに西郷さんがくっついてる温度計みたいな特殊なお土産がまた好きである。店内に流れるなんか気恥ずかしいビートルズ。時にもう勘弁してほしいシャカタク。怪しげなドナ・サマー。そういう雰囲気が好きである。

大阪で、新世界にいつも映画を見に行っていた。時に飛田にまで足を伸ばす。いろんなおっさんと知り合ったのだが、「兄ちゃん、その年齢でこんなところ、おったらあかん」。

そういわれて、しかし今、さらにこの歳で浅草にいる。

今月の24日に、荒井晴彦ナイトという催しが浅草東宝である。荒井晴彦とは、もっとも浅草に似合わない男で、そんな男の企画した映画がオールナイトで上映されるのだ。浅草東宝には、新世界東映と同じく、或いは尼ケ崎東宝と同じく、吹田映劇と同じく、オールナイトで今でもオレはよくいく。

かつて、ビデオのダビング会社にいた。そこで斜め前にいた同僚は、アダルトの製作会社を興し、はじめはどうやって首をつるか悩むほどの絶望的な毎日だったが、一発大逆転、新宿にフィリピンパブを持つまでになった。その後は知らない。ダビング会社で隣に座っていた男は、映画が好きで何でもいいからといって入社してきて、これもさっさと辞め、あるとき、浅草東宝にオールナイトを観に行ったら、もぎりをしていた。「あれ」「へへ」。頭をかいていた。

そんな連中の町に、荒井晴彦は合わない。

♪すえたにおいする、赤茶けたこの町~というショーケンの歌があるが、小便と酒とタバコと汗のにおいである。いい匂いのわけがない。

オレは、帰りに腹がへって、カツ丼を食べて帰った。

うまかったが、客がいなかった。「まだ今日9人だよ」と店長らしき男が、客(オレのこと)の目の前で、レジを叩いてその紙をバイトの女に見せていた。

正確には、オレのほかに、ヤクザの兄ちゃんが二人いた。なんでヤクザかって、それは、オレが足立区時代に散々見慣れた光景だったからだ。たぶん親分が一人で持ってる小さな組で、片腕的な若い男が一人住み込みでいて、その他は愚連隊を5~6人通わせている。水商売の一軒も持っていない。たこ焼きの屋台2つぐらいだ。その愚連隊のうちの二人が、毎度、ビール2本ぐらいで粘っているのだ。羽振りがいい時は、女連れでパチンコか、競馬をして、それでもやはり同じ店に来るというパターンではないか。こういう店だから繁盛しないのだ。とはいえ、今の時代、ほかにも結局暴対法の様な法という法で、がんじがらめで、チンピラも、安い店も、浮かばれない。そういう店でしか食べられないオレも、そういうとばっちりに合いながら食う羽目になる。だが味はいい。雨宿りしている時に、この近くに住んでいるであろうおっさんに、うまい店どっか知ってるかと聞いたのだ。

うまいけど、チンピラうるせえよ。

カツ丼といえば、本来オレは今食べているのが不思議なのだ。実は、胃を取る手術の前日、・・・・・・・・・。もうこの辺で、書くのをやめておこう。

日記だと思って読み始めたら、短編小説かいな? となっちゃあ、忙しい人はいい迷惑である。

要するに、浅草にいって、カツ丼を食べてきた。というだけの話である。うるさく書くと、長くなる。今日はこの辺でやめたろかい、って池乃めだかで締めときますわ。

早速選挙速報を見よう。

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2005年9月10日 (土)

レイ・その2

自らの中にある汚れたもの、邪悪なもの、修羅のものをどう昇華するか。

大阪府池田市の小学校を襲い死刑となった宅間守という男の描いたへたくそな絵が、かつて何枚かテレビで大写しにされたことがある。その絵を見て、自分は「アッ」と思った。あまりにもオレの描く絵に似ているのだ。絵でも文章でもうまくなるに従って、ある種統一されてくるというか、大まかに「**みたい」と言うことができて、そうでないものが個性的に新しい位置を獲得する。しかし、下手なものは、大体がどれもばらばらで、似ることはあまりない。ただただ下手なだけであり、粗雑に散らばって存在する。ところがオレと宅間の絵は似ているのだ。

ビックリしたのはさらにそのあとで、妻もまさしく「アッ」と思ったのだ。オレの絵に全くソックリだ。そしてさらに考えたのが、そっくりな絵を描くのと同じような考えをどこかに隠し持っているのではないかということだ。

いや、そうかも知れぬ。それほどに似ている。そしてあんなに似ている絵を見たのは、自分の絵で以外はない。しかもそのあとも自ら(下手な)絵を描いてみると、やはりあの絵と同じ絵を描いてしまうのだ。笑ってしまうほどに似ている。

実は、昨日、レイ・チャールズについての文章を書いてからずっと、寝覚めが悪いというか、しっくりと来ないのだ。

神波史男という脚本家がいる。『仁義なき戦い』でお馴染みの深作欣二監督と最も多く仕事をしたシナリオライターで、深作のデビュー作から書いている。この人はしかし、シナリオという座業に似合わず、この歳(今年で68歳)にして今なお、夜毎飲み歩き、挙句に若いチンピラ相手にけんかをしてトラ箱に入ったり、スキーや野球といったスポーツを、陸上部仕込みの足を生かして未だ精を注ぐ、体育会系である。体も細く、その目は内田裕也そっくりの鋭く絡みつくものがある。氏より、北風史の名前の「史」を頂いているオレにとっては師でもあるのだが、彼から、何度も言われていることがある。

「貴兄(あなたと言っているのだが、手紙で来る時は貴兄と書いてあるので、こう書くが、実際は、英語で言うboy!ぐらいの感じである)の文章は、全否定の上の一瞬の肯定だ。そこが貴兄のやさしさでもあるのだろうけど、その肯定は読者が気づこうが気づくまいが、無理に出そうとすることはない。全否定で突っ走れ。そして全否定の中にわずか見いだすことができるくらいでもいいから、肯定があればいい。だからとにかく突っ走れ」

これは、いわば逆説的な言葉であって、お前はもう少し優しくなれ、といわれているのだ。

それは重々分かっている。神波史男の作品自体が、硬質な修羅丸出しで突っ走っていて、競作することで、或いは監督のバランス感覚によって、鎮められ、ブレンドされている。深作欣二は、アメリカン・ニューシネマであり、もっと言えばペキンパーである。それは、新しい秩序を持たない程度の破壊の仕方であり、ヒッピー文化とかドラッグ文化とか、巨大な体制内でのわがままの域を超えない。本当に全否定したならば、その後の世界の責任を取らねばならず、じゃあ、何かあるのかい? といわれると、しどろもどろになるのが、70年代までの左翼運動に群がる人間のおおよその中途半端な叫び声の真相である。深作もまたそうである。だからこそ、神波史男を制御できたのだ。

深作欣二は、田舎で空襲を受けて、死んだ友の肉片を拾い云々という話を、戦時下のつらい記憶として語るけれど、実際は、貧農の生まれでもないわけで、父は茨城県の農事指導者という、ちょっとえらそうな家の少年だったわけだ。そして水戸第一高という県下一の進学校に通い、日大の芸術学部に進学する。肉片の記憶は、左翼エリートが、労働者階級を持ち出すのと同様に、体のいいブレンドで、神波史男の荒れ狂った筆に対して、一筆入れたその様であるともいえる。

だが、神波史男は荒れ狂えというのだ。やさしさなんか見せないでいい。心にそれがあれば気のすむまで荒れ狂えばいい。

そうなのだ、下手に分かったようなやさしいことを書いてしまえば、今まで聴いてもみなかったレイ・チャールズを、もう聴くことはないだろう。それではしょうがない。レイ。南部の黒人ばかりの中で育ったレイ・チャールズと、シカゴという白人の多い中で黒人を意識して育ったクインシー・ジョーンズとは、公民権や他ジャンルとの融合に、逆に目覚めるのが無理だったのかも知れぬ。ハリウッド・バビロンの中で生まれ育ったロウエル・ジョージが、ブルースに鋭く傾倒していったように、どっぷりとその中に漬かっていたからといって、その代表者としての意識が芽生えるわけでもないのであろう。

「ホワット・アイ・セイ」の凄いところはシンコペーションなんよ、と鮎川誠は言っている。二拍に一回のシンコペーションがブードゥーの効果を生む、と。

今日から、聴く。ビリー・ホリディの時代とも、オーティスが活躍した時代とも違うビートルズ出現以前の時代。そしてスティービーなどが現れ、今なお生きている時代に、一線とはいえない位置で、どう生きてきたのか。

神波史男だって『華の乱』(88年)以降ロクな仕事をしていないだろう、と言われると、「そんなことはない」とつい反論したくなるような、そしてこののち、もうすぐにでも「A BIGGER BAN」を発表するかもしれない、と言いたいように、レイ・チャールズだって言いたいことは山ほどあるはずさ。

ニューオーリンズの町で、はじめは市の言うとおりに、車で郊外へと脱出を試みるも、その車はボロで、故障しがちで、大渋滞の中ではとてもモタナイ代物で、結局は途中から引き返し、中心部のフレンチ・クォーターにあるホテルに戻った女性がいた。しかしそこも水があふれてきて、死体の浮く中を首まで漬かりながら必死で歩いて高いところを目指し、やっと高速道路の上まで辿り着くも、救援が来ない、夜が来て、朝が来て、寒く、また暑く、水もない。そして5日間やってこなかった。結局スーパーから食料を調達したのか? と記者に質問され、ほかにどうやって生きるのよ? そう言った。

盲目で、黒人で、新種の志向があって、ほかにどうやって生きるんだよ。

そういう汚れた部分が、しかし肯定することなく、胸のうちにあったのではないか。

記者はそこで呆然とするけど、オレは記者じゃないから、呆然としない。(戦後の窮乏期に配給米を拒否して死んだ裁判官とはちょっと違うと思うけど、それでも)食わずに耐える方法をどこまでも考えたのかは問いただしたい。しかし死ぬなら、食うよ。

どこまでなら食わず、どこから食うのか。そんなものは個人個人で決める。細木数子に若い女が、どこまでが体罰でどこまでが暴力化なんて聞いていたが、下らんことを聞くな。愛情しだいだよ。と答えていた。

レイ。歌うのも愛情、聴くのも愛情。文章も愛情しだいだよって、宅間守の絵もまた愛情次第なのか。突っ走り切る。

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2005年9月 9日 (金)

レイ

レイ・チャールズの映画『レイ』は。公開されてからも、観に行く気持ちにはなかなかなれなかった。好きも嫌いもない。「大御所」だということをなんとなく知っていた、というだけだ。和田アキ子の憧れの人であり、和田と競演したライブは見た。その程度しか興味をもてないでずっと生きてきた。

たとえば、映画を見ていて、端役なのに大物ゼンとして出てくる「かつて凄かった人」で、好きなタイプと嫌いなタイプがいるとすれば、多分、後者なのであろう。

第47回(2005年)グラミー賞で最優秀レコード賞など8冠を「故人」のレイ・チャールズが制覇し、過去13度も受賞していると聞けば、「ソウルの巨人」の一人といえなくもないわけであるが、グラミー賞なんて、ストーンズが、「ベガーズ・バンキット」「レット・イット・ブリード」「スティッキー・フィンガーズ」「イグザイル・オン・メインストリート」といった作品でも、かすりもせず、気の抜けた85年に初受賞という代物であるから、基準にならないといえばならない。

実際、62年10月の「愛さずにいられない」以降は、レイは、1位をとっていないのではないか。

それに、ビートルズが席捲を始めた年の64年以降に、何も抵抗できずにただただ「大御所」としてぐらいしか知られていなかったとすれば、死んだ年(2004)に死を予感して若いリスペクターたちと競演を重ねても、決して死ぬまで現役感を漂わせた人ではないように感じられる。トータルアルバムとしての何か1枚でも傑作があるのかといえば、これがない。

オーティス・レディング、ウィルソン・ピケット、ジェームズ・ブラウン、スライ、スティーヴィー、マイケル、プリンス、アレサ、ティナ、モータウンの面々、モーリス・ホワイト、クインシー・ジョーンズ、ナイル・ロジャース・・・いくらでも挙げるけど、ビートルズ以降に果敢にロックとの戦いを演じ、勇気を持って刺激をしあったR&Bの連中の中に、レイ・チャールズとかチャック・ベリーは、どうも、オレが聞いてきた中では引っかかってこなかった。

で、チャックの場合は、しかし、大物ゼンとして居座るわけでもなく、ちょっとした老いぼれの、なかなか今風に乗れないオヤジという姿で必死に攻めていた。

レイ・チャールズって一体なんなのよ。そう思っていた。サザン・オールスターズの「いとしのエリー」は、確か、オーティス・クレイが、先に取り上げて話題となって、レイ・チャールズがあとからのこのこ(日本人にもなじみの)大御所登場というような形で出てきたのではなかったか。オレの記憶が間違いでなければ。

いや、だから恨みつらみは全然ないのだけれど、ただただ興味を覚えず、しかし『レイ』を撮ったテイラー・ハックフォードは、器用にツボを外さず「面白い映画」を撮ってくれる監督なので、まあ、面白いだろうと思って、DVDを借りてきた。これが2時間30分もあって、しかも面白い。さらに解説が20分ぐらいで終わるのかと思ってみたらいつまで経っても終わらず、そしてこれまた本編よりも面白い。2時間を過ぎたところでやっと気づいた。本編と同じものに解説をかぶせているんだ。そして本編は2回見たから、結局7時間半を、よくわからぬレイ・チャールズに費やしたのだ。

さて、さっき、面白いと書いたが、本当に面白く出来ている。退屈しないし、演技者たちが凄くいいし、うまくも新鮮でもあるし、美術がいいし、なんたって音楽がいい。

しかしである。何かしっくり来ないのだ。エピソードの羅列で、ミュージッククリップを20個くらいつなげたようなものにも見えるし、音楽ファンのための教材用に総花的な全体像を薄く見せたようにも見えるのだ。

何が気に入らないといっても、面白い上に、核がない。肝がない。俳優が、レイ本人に遠慮している。麻薬あり、愛人ありで、ここまで描いてもいいのか、大手の映画会社だったらタブー満載で出来ないはずだ、みたいな監督の解説があるが、よく言うよ。

あまりにもお決まりというか、きれいに紙包みに治まった形の、愛人と麻薬が登場して、これこそが「面白い」物ですよ、といわれているみたいで、面白いだけで、何も残らない。

本来は、葛藤があるのではないか。掘り下げずに、できるだけ沢山のエピソードを盛り込んでいくのはいかがなものか。しかもそれが串刺しで、粘土が固められて捏ねられていくようにエピソードが発展し歩き出すことはない。一級の作品に仕上がっているのに、監督の描きたい思いとつながった瞬間が見えない。

何がレイのすごさなのか。そこそこに賢く冷淡に、女も家庭も麻薬もこなして世渡りをすることなのか。それならそれで、徹底的にそこを描けばよい。どうもそうではない。では、弟を死なせてしまったトラウマとの戦いの歴史なのか。だとしたなら、なんと弱い演出であることか。わからないよ。もっと観客に考える時間をくれないと、レイが抱えていたであろう深い闇について想像を働かせることが出来ない。トラウマと戦うシーンは、監督が映画と戦うシーンであり、一瞬観客を取り残すほどの逸脱したシーンになるはずだ。それがない。置いてきぼりにならないから観客としては面白がっていられるけれども、面白さとは別のもっと深刻な後味を残すという醍醐味がない。

普通、傑作といわれる映画には、そういった(監督以外には)難解にしかみえない「格闘の跡」がある。しかもそれこそが観客を刺激してやまない。

65年以降の40年間は面白くないので省いたという。監督自身の言葉で、「私はその後の彼の人生には興味が無い。成功ばかりで面白くないからね」と解説が入る。だったらレイ本人の意向も無視して、79年の一番面白くない州議会に認められる件り(レイがかつて黒人差別に抗議して演奏中止をしたことに対し集は演奏禁止で対抗した。その謝罪と、「わが心のジョージア」を州歌に決定)もラストシーンとすることはなかったのではないか。

ジョウ・スミスのインタビュー(『ポップ・ヴォイス』新潮社)でもレイは、ジョージア州歌になったことと、ケネディセンターの生涯功労賞や、ユダヤ人文化教育促進協会のマン・オブ・ザ・イヤー選出を輝かしい年としてあげている。一番いい年はしかし、初めて自分がバンドを持てた54年を挙げてはいるが、「賞」や「偉さ」を強調したい匂いはやはりぬぐえず、映画がそれに準ずる事もあるまい。

オレとしてはむしろ、成功ばかりで面白くないというその後の40年をこそ見てみたい気がした。盲目で黒人でというハンデを追いながら、あれほど生き抜く知恵を磨き、しかし同じ時代に生きて、公民権運動に対しても、鈍感すぎるのがそもそもおかしいし、自分勝手のマイペースが許されるほど甘くはなかったであろう一面をもう少し描いてほしいという前半生は勿論だが、それ以上に、鈍感で、甘かったとして、なお残る後半生での成功裏の、本当の声を聞きたいのだ。

惚れた女たちも、名声と音楽に惚れただけなら、むなしすぎるではないか。

何か別の力をを感じたはずだ。

わが子の期待にさえ応えられないジャンキーの自分にふがいなさと、絶望を覚え、薬をやめる。退廃にまみれるその真っ只中でさえ、その力が、あったのではなったか。ここを最大のポイントとしてオレが監督であれば描く。そのためには、子供たちもただの背景のようにはせずに、一個の意思を持った直接に主人公に語りかける人間として登場させる。やめるつらさは、こんなハードルの低い描き方ではダメだ。その後もやりたくなる。またビートルズなどが登場した後の音楽シーンにおいて、自分はもうかつての様な王者として君臨することはなく、あとからあとから、刺激的で、政治運動社会状況その他にも敏感で意識的なアーティストたちが多数登場し、またドラッグで死んでもいく。

そこで何を考えて40年も「昔の名前で」生きていたのか。

生の声が足りない気がしたのは、(盲目の)目が画面に現れないから、しかもサングラスでかなりの顔の部分が隠れて、表情を読み取れないから、余計に意思が不明瞭かつ感情が希薄に見えたのかもしれない。レイよ、お前は一体なんなのだ。

ハンデを背負ったものが、才能を磨き、勲章をもらい、名誉白人となったことが偉いのか。

クラレンス・カーター、ブラインド・レモン・ジェファーソン、ファイブ・ブラインド・ボーイズ・アラバマ、スティーヴィー・ワンダー、盲目の黒人アーティストは、それだけで凄いわけではない。

やはり、トラウマが元で起こしたトラブルや破滅行為を克服したことが凄いのではなかったか。そこが大変であり、見せ所だったのではなかったのか。

反戦でもなければ、公民権でもなければ、デカダンの塊りでもない、社会を意識することよりも、己の克服が問題だったのではなかったか。どうやって克服したのか。あの映画では、そこに費やす時間と深さがないので、それがよくわからないのである。

映画に登場するニューヨークも、ボストンもロスも、みなニューオーリンズで撮影されたという。ジョージア州議会までもルイジアナ州議会(ニューオーリンズ)で撮影されたという。いまや水没している事態のニューオーリンズ。

『レイ』

惜しい映画である。そして紛れもなく面白い映画である。

ただ、画竜点睛を欠く。そう思った。

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2005年9月 8日 (木)

だいたひかる・その2

いや、いや、いや、ビックリしたよ。

昨日「踊るさんま御殿!!」を、どんなものか見ようと思ってチャンネルを合わせたとたん、いきなり高木美保の高飛車な笑い顔が登場して、慌ててチャンネルを変えた。

頭に来るよ。

先日友人にあったら、(前に書いた)blogのことで「だいたひかる」について、あんなにも腹を立てている人は珍しいし、そのこと自体が面白いといわれた。まあ、勿論そうなのだろうけど、アレはまだ序章であり、そのことをチャーんとアコムじゃなくて、ちゃんと分かってもらおうと思ったら、結構時間がかかるわけで、ここでまたその介助としての高木美保についての分析をつい書いてしまうことになるわけだ。

何で高木がいやなのか。

高飛車と書いたが、えらそうにしているからというのはそれはそれである。そういう人は、少々注目されたり人気が出ると、自分の位置を忘れてそうなってしまうのは仕方のないところがある。小泉今日子とか、倉田真由美とか、いろいろいる。『世界の中心で愛をさけぶ』という映画の大ヒットで、主演の一人である大沢たかおが、「そろそろもういい加減胸を張って威張ってもいいんじゃないかと思っています」なんて発言をしていたけど、どう見ても森山未来の好演が、あの映画の成功を導いたと思われるが、それはそれで舞い上がってしまうのも仕方のないことであろう。しかし大沢ももう、「かわいらしい」と済まされる年齢でもないであろうに。

山瀬まみは、梅宮アンナと羽賀研二が付き合っていた当時、彼らのことを「世間ではバカップルと呼んでいるそうですが」と、自分の意見を「世間」という便利な道具で代弁させるといういやらしいテクニックを使い、その皮肉ったかのような手法も含めて自分は頭がいい、という位置をキープしようとしてた。世間と山瀬がどれほどにずれた考え方をしているのか、それによっては、「世間では」という言い草も有効であるが、「梅宮&羽賀<世間<山瀬&視聴者のうちの賢い人」みたいな図式を目指している以上は、ちっともずれていない土俵の上であって、「あたしも人のことは言えませんが」とフォローしたところで、「<」が「>」に変わることはない。

それでもだ。まあ、そんなに気分が悪いわけではない。ちょっと頭を使った上での失敗であろう。

しかし高木の場合は、頭を使った上での成功があり、さらに自分の計算を超えて、ことが進んでいるから、自らもいっぱいいっぱいで走っている様が見えて、見苦しさもここにきわまれりという感じなのだ。

高木の何がいやなのか。

幻冬舎の社長に取り入っているからとか、安っぽい自然主義(たかが関東近郊の町で)を売り物にしているからとか、女優としての実績も薄いのに、そこそこ人気のあった演技派の女優然としているからとか、そういうことが最大の理由ではない。もちろんそういった類のことも多少は頭を掠めるが、最も頭に来る理由は、分かったふりをすることである。

知識陵を問うクイズ問題とか、勿論そういうものもあるけれど、そんなことは、小倉智昭の「とくダネ」で、すでに馬脚が見え見えである。小倉も多少は意地悪いというか、正々堂々という姿勢があるからか、高木に知名度の低い外国の地図上の位置を尋ねたり、ちくちくと生番組で攻撃しては、高木の本性を見せてくれるサービス精神がある。

分かったふりというのは、頭のいいふりの事ではない。相手の気持ちを分かったフリをするのだ。

たとえば、Aさんという人の悪口をいうBという人がいるとする。Bに対して、高木は必ず、「A<B=(or<)高木」という態度で迫ろうとする。A>Bという可能性について考える力がない。

それに、Bの主張がいかに正鵠をいていたとしても、高木の感じる憤りと同じかどうかは分からないのに、「あたしにもわかる」という態度をとるのである。

それはBさん独自の悲しい体験であれ、知的な笑いであれ、複雑であれ、高尚であれ、なんでもござれなのだ。そしてたまに発言する「あたしには分からない」という場合は、大幅に「B<高木」というくくりを示そうという意思でしかない。ばかばかしい。

分からないのは、「BやAなど>高木」という場合が圧倒的に多いわけで、それは仕方のないこととして受け止める度量もないのにテレビでもてはやされて、必死に「分かった風な」笑い顔をさらすのである。「そういう馬鹿っているのよねえ」「言ってもわかんない人って、相手にしないことよ」というような笑み。

それでいて、いつ自分のバカがバレやしないかという必死な状況判断ぶり。だからこそ、たとえば「とくダネ」で小倉とデイブとで二つの意見が割れていたら、どっちにつこうか、顔色を伺いながらニヤニヤしている苦しい高木。

そういう図を見たくないのだ。オレは。

でもどんなに馬脚を現しても、皆シブトイからね。

ツッパリや暴言で売っていても最後に媚を売ることを忘れてなかったりする。

しぶとさが発揮されるのは、その媚がそこそこ功を奏すからだろう。

寺島しのぶとかYOUとか、ああいう媚は、突っ張ったままだからすぐにバレてしまう。

去年末の番組で、カンニング竹山や劇団ひとり、波田陽区などの「もてるもてない談義」に対してYOUは、「自分の顔を鏡で見たことがあるの?」と、マジで突っ込んでいたが、お前こそ、ペンキ塗り立てみたいなそのヘドラを鏡に映したことがあるのかよ、ってこれじゃあ隠喩にも何もなっていないか。

こういう人たちも巧みに、自分の傲慢さを包み隠せる位置に付けようとするけど、媚び方がダメなんでしょうねエ。その点、媚び方のバッチリと決まっている人というのは、自覚がない分だけ、不快を掻き立てる。

この文章もそうかもしれないけど、最近、コリーヌ・ブレを見ない。

コリーヌ「でもブルーハーツを聞いててカッコつけてないところが一番あなたたちを支えていると思うの」

ヒロト「そういうカッコの付け方なんだよ」

コリーヌ「ポリシーっていうのはあるんでしょ」

ヒロト「だからポリシーとか何とかを決めないこと」

コリーヌ「たとえば詞を書くときに絶対使わない言葉ってある」

ヒロト「今はあまり決めてない」

コリーヌ「私だったら“抱きしめる”って言葉絶対使わない」

ヒロト「どうして」

コリーヌ「だって歌謡曲とか聴くと、一番出てくる言葉でしょ。雨と雪と抱きしめたい(笑)」

ヒロト「関係ないんじゃない」

雨とか雪とか抱きしめたい、とかを使う「歌謡曲の人たち」をヒロトと一緒にバカにしようというコリーヌの意図は、どうやら外れたようだ。チャンチャン。

高木美保の笑いが浮かんでくる。

つまらないフレーズだが、再び、もう一度、リピートする。

(なんだかフォルテシモだ)

コリーヌ「だって歌謡曲とか聴くと、一番出てくる言葉でしょ。雨と雪と抱きしめたい(笑)」

以上、高木美保について書いてしまったが、つまりは、だいたひかるのための序章といったところである。

つづく。

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2005年9月 7日 (水)

雨のニューオ(ー)リンズ

今日、ラッパーのカニエ・ウエストが、「政府は黒人を撃ってもかまわないのか」と生放送でニューオーリンズ災害救助の批判をした。

9・11のテロを見て、ハリウッド映画を見ているようだ、と多くの人が言った。

当時、たまたまある飲み会で居合わせた(映画評論家の)寺脇研は、「僕には、その意味がさっぱりわからない。アメリカ映画を全然見ていないから」といっていたが、これはカマトトである。一時期までの寺脇研は、公開される日本映画を全部観るというのがひとつの売りであり、その後もほぼ日本映画はほぼ観切っていたわけであり、そういう中にあって、アメリカ映画で何が行われているかをわからないというのはおかしいのである。

「自然とは歴史の記録された古文書で、存在するということは過去の現象を語っているということだ」(宇宙学者・松井孝典)

つまり、人類の存在の意味そのものが、宇宙の歴史を解読する行為であるというわけだ。映画もまた、自国の歴史を読み解こうとする試みであり、不安と警告を映像化したものが、現実と一致したところで何の不思議もない。

ニューオーリンズのハリケーン災害で、食糧支援や救助にやってきたヘリコプターに対して、住民の中の荒くれ者というかギャングが、銃で撃ったという報道を聞いた。政府の対応の遅れに対する反発の表明なのか、それとも、一部の人間自体がもはや戦時体制に入っているのか。

この状況は、1週間経っても悪化するばかりで、町から水を引かせるには3ヶ月かかるとか、ニューオーリンズの町ごと別の場所に新たに建設した方がいいとか、さまざまな憶測を生んでいるし、刻一刻と被害も進行中だ。この一部始終から、オレは『ゾンビ(Down of the Dead)』(77)という映画を思い出した。この映画はリメイクされたが、なんとも悪意でもってそうしたかのように、スケールが小さくなっていた。わざとそうしたのかもしれない。最初の作品では、自由をさえぎられたものの戦いが拡散して、世界中に広がる可能性が見え隠れしていた。その匂いをあえて消したのではないか。

アメリカの歴史は、アメリカ映画の中に如実に現れている。西部劇でのインディアン狩り、宇宙人との遭遇ばかりではない。ゴッドファーザーでも、インディ・ジョーンズでも、ジョーズでも、過去たどってきた自らの道を検証しようとしている。弁明しようとしている。反省しようとしている。そして現在の欺瞞も描くし、誇りのつもりで恥も露わにするし、未来の不安も描く。

人を殺して、土地を奪い、どう統治していくかが、ずっと命題としてあったわけだ。

この間、細木数子の番組を見ていたら、細木は、借金というものは、返そうとしていればいい。逃げようとするから、くだらない顛末に陥る。殺し屋にも狙われる。自己破産などせずに、逃げもせず、返すといって、普通に生きていれば、何とかなる、と。細木自身10億円を返したという。

まあ、額の問題ではない。返せない額だってある。それでも態度としては、それしかないはずだ。手塚治虫も、映画の失敗で虫プロは多額の負債をかかえ、多数の借金取りが現れたときに、金の工面で奔走などはしなかった。社屋に手塚自身が、いて、ひたすら借金取りを目の前にしながら漫画を描いていた。「これで返す以外にないのだ。これこそが、あなたたちにとっても一番手っ取り早い方法ではないか」。そう言って、書いて返すのを待て、と言い張った。

「積木くずし」でも、子供が暴れても、ちょっと刺されるぐらいで死にはしない。下手にやりあうから死ぬことになる、といっている。「夜回り先生」も同じことを言っている。自分を生き続けるしか道はないのだ。

山本一力もまた巨額の借金の中、これしかない、といって書いた。大西巨人は子供の学費が足りなくなって、生活保護を受けながらも(売れるかどうかも分からぬ大作を)書き続けた。

サバイバルである。いつからか、どこかに勤めて、サラリーをもらうという方法しか思い浮かばない人間が増えて、勝つとか負けるとか、そこから落ち零れると、ニートだ、フリーターだ、とあまりにも釈迦の手のひらの上のダンスをし続ける。

そうではないのだ。どうやってその道を生きるかだけなのだ。

その意味では、生きるのは戦争であるといってもいい。

ルバング島のジャングルで、戦後も29年戦い続けた小野田寛郎は、その間、233回も地元フィリピン軍の討伐隊に踏み込まれた。フィリピン政府からすると、日本の敗残兵が、生き残って地元住民に悪さをしているから捕獲しよう、逆らえば銃殺という構えであったろう。しかし小野田少尉から見ると、戦時下での戦闘である。勿論何人かは手をかけている。そうしないと生きているわけが無いし、そうすることで生きてきた。そこには迷いはない。

770兆円の借金があるからといって、別に逃げることもなく、えらそうにふんぞり返っている国もある。

ニューオーリンズがどんな状況か詳しくは分からない。しかし、州兵がイラク戦争に取られている。イラクも州も、どう統治しようか、シーア派がいて、スンニ派がいて、クリオール黒人がいて、アイルランド移民がいてと、そこでの統治者は一人一人の人間の顔を思い浮かべてはいない。

手元にあるのは、各国要覧(二宮書店)の2001年度版であるが、ニューオーリンズは、全米で人口第21番目の都市となっている。

しかし、「Ⅴ」というレンタルビデオ草創期に大ヒットしたテレビシリーズがあるが、そこに登場するUFOは、世界の50都市の空の上に現れる。アメリカは6都市で、ニューヨーク、シカゴ、ロスなどに混じって、この21番目の都市、ニューオーリンズもまたⅤのマザーシップ軍団に狙われた6都市の中に含まれているのである。つまりは、主要な都市であるのだ。1840年代にはアメリカ第2の都市であった。

『雨のニューオリンズ』(注:ニューオーリンズではない)という映画は、65年のシドニー・ポラック監督作品であり、アメリカン・ニュー・シネマに加えられることは無いけれど、しかし、同時代的にではなく、後追い的にしか見ることの出来なかったオレにとっては、多少熱狂から外れた冷静な見方が出来ていると思う。そして、どうにもニューシネマの匂いが既にそこかしこに立ち込めている。日本での公開は69年の5月で、コッポラも脚本に参加していて、監督のポラックは勿論、主演もレッドフォードで、とあまりにもニューシネマの要件は満たしている。日本では公開が遅れたため、前年にすでに『俺たちに明日はない』『ある戦慄』レッドフォードの次の作品である『裸足で散歩』『卒業』『2001年宇宙の旅』『暴力脱獄』、69年に入っても1月に『ローズマリーの赤ちゃん』と、ニューシネマは立て続けに公開済みであり、その中の一篇として受け取られていたに違いないのである。

その最大の理由が、ドラマの途中、ナタリーとレッドフォードの二人は駆け落ちをするシーンから、自由への飛翔と彷徨を見せるからだ。突然風景が変わる。情緒的でもなく切羽詰ってもいず、しかしフワッと列車に飛び乗る。

多くのリズム&ブルースやゴスペルなどを解釈し、ビートルズやストーンズなどがロックミュージックというものを発展させてきた。その中でもマディ・ウォーターズやチャック・ベリーなど、大げさで華のある題材が好まれた。ニューオーリンズの代表的なファッツ・ドミノなどのゆるいリズムは、敬遠されたというか、泥臭く黒光りしていくだけであった。

その理由を考えた時、やはり、脱出しようという危ない願望が、中に含まれていて、扱いにくかったのではなかったか。ニューオーリンズへ向かうということは、ゾンビであり、新しい秩序であり、戦いの第一歩ではなかったか。

そして日本でもそれは始まるのではないか。

富の分配システムを考え直さない限り、そこそこに吹き黙った本来の心地よいリズムが、ダンスとなって、グルーヴとなって、飛び出してくるはずだ。

たとえば東海大地震後の地域共同体のあり方を、今考えられるか。既得権益者が、その過去の記録を主張する。怪我人の元の状態、株価の元の状態までをも主張する。コンピュータが誤作動し、記録を失い、そのとき誰が秩序を立ち上げるのか。そこに流れる歌は、リズムは、一体どんなものか。オレンジレンジか、石橋蓮司か、そいつは今のところ見えていない。

実は変な考察を用意していたのだが、今日はこの辺でやめておく。

もうすぐ日本も選挙ではある。

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2005年9月 6日 (火)

宮沢りえの絵

昨日、というよりも時刻の上では今日だが、宮沢りえのBSハイビジョン特集ドキュメントを見た。

女優の素顔を切り取るというよりも、一人の画家の一瞬を切り取ったようなドキュメントだった。もっと言えば、女優と呼ばれている仕事もこなす画家らしきもの。きれいな顔をしている評価の定まらない画家。画家という職業自体の意味を問い返す力を持った、しかし本人はあまりにももろく弱い。「絵を描く芸のある美人」とでもいおうか。

メディチ家あってのミケランジェロ、谷町あっての芸能人、スポーツ選手だって、Qちゃん(マラソンの高橋尚子)だって、毎日70キロをひたすら走る生活をアメリカに家を買って始めているという。そのお金はスポンサーから出ているはずだ。北京五輪では消えた女子ソフトボールの選手たちは、今Qちゃんと同じように毎日練習をしているけれど、その意味は違う。「がんばれニッポン」とかいうCMに女子ソフトの選手が出ることはないだろう。絵だって、どんな移り気な谷町(パトロン)に支えられ、捨てられるかわかったものではない。「医師ガシェの肖像」を当時約114億で落札した大昭和製紙の会長は、「死んだら自分と一緒に名画も燃やしてくれ」という程度の絵画に対する理解力である。日本で人気のローランサンやビュッフェは、本国フランスでは。殆ど通俗画家であったりする。宮沢りえの使う高価そうな絵の具。問題はしかし絵に向かう心の風景だといいたいかのようなドキュメントである。絵は技術力よりも、描く動機を起こさせるパッションなのだ、とでもいいたそうである。ドキュメントに限らず、宮沢りえを写すスカメラは、映画でさえ、いつもそうなのである。

じゃあ、何があったのか。母親との確執、恋人との確執、マスコミとの確執、世間との確執。芸能人とはなんなのか。

吉永小百合が広島で詩を朗読する。ダイアナ王妃が、マザー・テレサが、みな、「世界が平和でありますように」というあいまいでもあり、究極でもあるかのようなお題目のしもべとして手伝うかのような行為者として、そのきれいな顔をさらす。

宮沢りえは、なぜ絵を描くのか。

彼女の絵がうまいのかどうか、オレにはわからない。いや、その他ピカソでも、ゴッホでも、その見方というものを、文字的に読んで知ってはいるが、それに従うことが出来るほどにオレは従順ではなく、しかし、自らその創作の動機や意図を探るほどには興味を持たずに生きてきたことも事実である。

芸能人はなぜ絵を描くのか。工藤静香が10年連続二科展入選とか、芸能人だから、昨今の文学賞のように、話題性も含めて選ばれているのではないかとも思うが、工藤静香の父勘七さんも静香の勧めで絵筆を執り、入選というから、少なからず、絵に対する才能が遺伝子としてあったのかも知れぬ。

青島幸男なども入選している。しかし芸能と、絵とは近いのかも知れぬ。八代亜紀、奥田瑛二、五月みどり、朝比奈マリア、片岡鶴太郎、ジミー大西、北野武など、知っているだけでも随分といる。

榎木孝明の絵は、郵便局のはがきに使用されていた。島田紳助は「松紳」という番組で、自分のアクリル画を公開していたが、オレもあそれを見たいと思い、あちこち問い合わせたが、番組内だけの「個展」であった。なぜアクリルなのかといえば、やはり売れっ子の島田は忙しいために2~3時間で必ず出来上がる小さなサイズのアクリル画を選んだといっている。牧伸二もアクリル画をやっている。富士山が得意だ。富士山といえば、山本集をオレは思い出すが、結局、オレの見る目も、誰が描いたのかということに惑わされている。「結婚の相手を決めるとき、人の意見だけで決める人がいないように、絵も自分の目で、自分の考えで、先入観をなくして見ろ」という須田寿の言葉がある画、いつまで経っても、一番出来そうで出来ない。

映画を見るにしても、人それぞれの意見があるという人がいるが、主観などというものはそうそう簡単に獲得できるものではあるまい。自分の考えを客観的にも見た上で、吐く言葉が主観である。客観的に見ることのない「表現」というものはない。客観性のない意見は動物の威嚇行為に等しく、いわば暴力であり、刃物であり、そのことが、今ある人類滅亡の加速度を増している。したがって、いかに客観的な表現者たらんとするかは、滅びへの道をいかに減じていくかに結びついている。ただただ粘り強くこういった言葉を伝えていくとすれば、たとえば絵画を、無防備に、無差別に、無認識に、感動するわけにも行かず、先入観はなくしてみるにしても、悪の含まない善がないように、汚れた記憶のない美はない、とそう思って宮沢の絵をも見たい。

黒澤明監督がもともとは画家志望だった話は有名である。ジーン・ハックマンも俳優志望となる前に美術学校に通っていた。アンソニー・クイン、ピーター・フォークも通った学校だ。ジーンは、俳優となってからも絵を描き、売ったりもしている。奥さんは、ピアニストで、無骨にも見える巨漢の意外な一面だ。

そして宮沢りえ、なぜ絵を描くのか。倉本聰とか、その道に優れた人物が、宮沢りえの絵を含めた生き方に共感する人は多い。オヤジ殺しともいわれる宮沢りえ。

地頭と子供には勝てぬともいうが、黒澤明は山田洋次との対談で、<手馴れた俳優がつまらない芝居を考えてくるのは本当に腹が立ちますけれども、少年がこう自分の身体で表現できることを考えてきたり、閃いたりしてる。ふっとそれを見せてくれると、なんだかお礼がいいたくなりますね。>と語っている。

これに対して山田洋次は、<キャメラのぞいてるとね。子供見ていると全然飽きないね。絶えずいい格好してるの。じい意識があんまりないからね。>

その山田は自らの監督作品で宮沢を抜擢し、女優開眼を遂げさせた。

彼女が、演技し、絵を描くのは未だになぞである。

殆ど絵筆を使わずに、手に絵の具を付けて、直に書く。なんだかよくわからない絵だ。現代アートなのか、子供の閃きなのか、少なくとも手馴れた画家の前衛を目指すものとは違う。描いている姿を見ていると飽きない。ただそれだけである。いいのか悪いのかわからない。からだが細い。病的である。芸能の世界の中の住人の病のようだ。その業を背負っているようでもある。細木数子がMIEに、「あんた、傲慢なんだから結婚できないよ。芸能人としてしかもう生きられないよ」と言ったように、宮沢も、どんなに殊勝にしていても、ある種傲慢で、それは黒澤のいう「子供」を既に獲得しているその才能の傲慢さである。それが絵を描くことで、(見ている凡人に)さらに嫉妬心を増させてもいる。

言葉で書くよりも、絵で表現するほうが早いし、よく伝わる、ともそのドキュメントの中で語っていた。そうなのだろう。だけど、先入観が邪魔をしてなのか、オレがその絵を見ても、あなたの気持ちはなんなのか、わかりにくい。

オレが身近に絵を描いている人を知っているのは、田舎に居た近所のおばさんである。たぶん、都会の女学校かどこかを卒業して、本来ならもっと広い世界で、さまざまな高尚な趣味を味わって生きていくのがひとつのありうる道だったのかも知れぬが、意に沿うかたちじゃなく、こんなオレの住む田舎町に嫁いで来たのだろうと、オレは勝手に想像していた。優雅な趣味を持ち、しかし、満たされるわけでもなく、かごの中の鳥のように、農村風景を見つめて、それを描いた。彼女ぐらいである、あんな村で、絵を描くなどという「奇妙な行動」をしていたのは。

オレは当時、子供でありながら、どこかませていて、世界に興味があった。世界ってなんだといえば、まずは隣町であり、その先であり、海を越えての世界である。

しかし、それを伝えてくれる大人は、あの田舎ではそうはいない。メジャーリーグに興味を持っても、「ジョー・ディマジオって知ってる? 」「ああ柔道のか」「それはヘーシンクだろう」ってな具合で、なんだかよくわかりゃあしない。

そんな中で、よく何でも知っているおばさんで、都会風なスタイルを持ってもいた。アン・マーグレットに似ていた。将棋を指しにいった。彼女は絵を描き、そしてたまにオレの様なませた子供を相手に、将棋をさし、世界を伝えてくれたのだ。

彼女はのち、村に出来た「国松登ギャラリー」という美術館の仕事をする様になった。もちろんバブルで作ったはいいが、そこを任せられる人材が彼女よりほかにいなかったからだ。ああ、少しは報われたのかなあ。人が大して来るわけでもないギャラリーに、しかし毎日通い、絵の中で生活する。それは、人生の後半に訪れた、ちょっとした夢の実現ではなかったか。

それが去年、彼女のうわさを聞いた。

「かわいそうだよねえ」。どうしたというのだ。いや、すっかりボケてしまったと言うのだ。

オレの知る限りの絵を描く人というイメージは、彼女でしかない。

つまらない言葉や講釈をたれるより前に、ボケてしまった。

何が幸せなのか。オレは絵を描きたいとは思わないが、芸能人でなくとも、村に嫁いだ都会の粋な人も、絵を描く。宮沢りえもまた描く。不思議である。

だけど、つまらない朗読をする女には、宮沢りえにはなってほしくはない。

絵を描いていてほしい。

多分、そういう客観を引き受けた主体が、「子供」ながらに表現者として存在するのであろう。観るものは、そこに圧倒されるのみである。

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2005年9月 5日 (月)

ダンピング

久しぶりに、ダンピングになった。

ダンピングとは何か。最近はあまり聞かぬが、70年代まではよく新聞テレビでも見かけた単語だ。海外市場において、国内市場より大幅に廉価な商品を販売することを言い、「不当廉売」と訳される。貿易ダンピング、為替ダンピング、とにかくストンと落とすことを指す語である。

今では、胃の切除をした患者に見られる術後の症状として使われることのほうが、一般的だ。

この場合のダンピングとは、食べたものが、急にストンと小腸に落ちることを意味する。本来なら大きな胃で消化するのであるが、胃が小さくなったか、もしくは無くなったかによって、いきなり小腸に落ち、そのためインシュリンの分泌が過剰に分泌され、低血糖状態になるのである。早期ダンピングは、食後すぐのもので、嘔吐、腹痛、下痢など。後期ダンピングは、脱力感、冷や汗、めまいなどだ。

胃を3分の2だけ切除したという患者が一般的で、その症状は軽く、オレの様な全摘(全部を摘出した)患者は、その術後の回復の圧倒的な差に、焦ったものだ。羨ましかったし、恨めしくもあった。それほどに、少しでも胃がある奴とない奴とは、差があった。特にダンピングでの差が激しかった。

この早期ダンピングは、術後1年もすれば直るというが、オレの場合、どうも、食べるものが激しすぎる(要するにあらゆる物を食う)というか、量も速さも間違えるため、この早期は未だに起きている。食べる品目によって、起きるものを、あらかじめ知ってはいるのだが、それでも、必ずやってしまう。それほどに食べたいし、スピードを上げてしまう。ゆっくり食べるのがまどろっこしい。そしてトイレへ行って、お決まりの嘔吐を繰り返す。後悔しながら、「なんでいつも、やってしまうのだろうか」。1時間程度休めば収まるのだが、その1時間の苦しさの中で、妻に「学習が足りない」などといわれながらも、何度からだの苦しさで覚えても、それでもやってしまうのだ。「こんなことなら、食べなければよかった。もっとゆっくり食べればよかった」。

まあ、しかし、これはあまり心配していない。問題は後期ダンピングのほうである。

これは、術後の数年に比べると、頻度は落ちたけれども、今でも十日にいっぺんくらいはなる。理由は大体知っている。甘いものを一気に食べ過ぎると、食後2~3時間で起きる。それも体調の悪い時に起きる。

このときはどうするか。別に吐きたい気持ちになるわけではなく、ただただふらつく、頭が働かない。ものを考えるにも糖分が必要で、実際、頭に砂糖が足りない感覚になる。夢遊病者のように、甘いものの補給を目指す。道を歩いている時になると困るので、よく砂糖や飴玉を持ち歩く人がいるが、オレは一度もない。スピードワゴンの井戸田なら「甘~~い」と特に絶叫をするだろうけど、そんなこともない。ただ、ひたすらボーっと耐えて歩くが、たいていは500メートルも歩けば、自販機があって、そこで腰掛けてコーラを飲む。腰掛けてしまうのは、もう歩けない状態だからだ。その意味では危ないのだが、それほど気にしていない。

オレの場合、ひどい状態になるのは、起きている時ではなく、甘いものを食べて、ふらりと寝た時に起きる。1~2時間で目が覚める。理由は、ダンピングで目が覚める。このときの状態が、もう野獣なのだ。野獣としか言いようがない。とにかく、コーラぐらいでは間に合わない。「三文ガン患者」(太田出版)というホンには、随分とその格闘の模様を書いたが、それはどちらかといえば早期ダンピングであり、今はこの後期のほうが心配なのである。

初めのころは多量に砂糖を食べたりしていたが、今はそこまではしないけれど、しかし、食パンにたっぷりとマーガリンを縫って2枚一気に食べる、焼いている時間など勿体無いし、動かないで冷蔵庫の前の床に座って食べる。動けない。ただただ手を伸ばし、ありったけのお菓子や甘いものを流し込む。ヨーグルト、チョコレート、まんじゅうなどである。今日の場合は、アイスクリーム、ビスケット、コーヒー牛乳、チョコレートパン、やはり野獣のように食べて寝た。1時間ぐらいしたら治まった。

かつて入院していた時に、糖尿病患者の体験を何度も聞いたし、また直接目撃もした。

惨めだった。食べたくても食べられない、しかし食べたい。

もしOKがでれば、まさに堰を切ったように野獣のように食べる。

オレが貧血で入院していた時、隣のベッドに、糖尿病で入院してきた患者がいた。初日の夕食を見て、それはただのフルーツゼリーだったのだが、「おっ」と喜んだ。病院では酒も小さいけど付くんだね。へえー。周りの人もそのせりふを聞いてビックリしていた。

「なんだ、ゼリーじゃないか」

当たり前だ。しかしそれぐらいに飢えている。

オレのダンピングの時もまた、糖尿病患者を思い出すのだ。しかも、胃を取った人は、それでなくても糖尿病になりやすいことは、このblogの「糖尿病」の項に書いたとおりだが、そのためにとてもよくない行為ではわかっていながら、ダンピングの応急措置として、甘いものを放り込む。そのとき一気に血糖値を上げていることなど合点承知之助だ。それでも背に腹は変えられぬ。

医者も、胃がん患者は切除手術後に糖尿病になりやすいという話はしない。なぜなら喫緊の問題は再発と転移であり、それ以上に術後の不都合(ダンピングその他の症状)があるわけで、オレも医者に、こういわれた。

「気をつけなければいけないことは、沢山あるが、あまりいっても出来るものではない。あなたの場合は、二つだけ覚えておいたほうがいい。油モノと便秘にだけは気をつけなさい」

それで、その言いつけだけは守っている。どんなバカでも二つぐらいならば忘れない。本当はほかにも実践すべきことはあるのだろうけど、もし言われていたら、かえってあれもこれもわからなくなっていたであろう。

だから、糖尿病に気をつけろ! なんて話は、二の次なのである。

で、野獣の話に戻る。

昨日の「積木くずし」で、安達祐実が「このやろう、カネだせよ。二千円出せよ」と、杉田かおる演じる母を殴り蹴る。本当はそんなひどいことをしたくない。だけどそこまでしても遊びにいきたい。不良仲間であろうと、なんだろうと友達が待っている。行きたい、行きたい。麻薬中毒者もそうだろう。惨めな野獣と化すのだろう。やりたい。やりたい。

『現代やくざ・血桜三兄弟』という映画で、菅原文太の弟分の田中邦衛演じるチンピラが、組を再興しようと、実家へカネを物色しに行く。息子の帰りを待つ惨めな母一人貧しく暮らす家へと行く。そこで、仏壇に供えてあった虎の子の金を奪おうとして母と格闘になる。結局殺してまで、奪っていく。「どうしても必要なんだ」と、田中邦衛は、もう取り憑かれたように、母を暴行する。

悲しいよ。そりゃあ、みていて悲しいよ。だけど人間て奴は、たかが砂糖のために、麻薬のために、仲間のために、宗教のために、国家のために、何も見えなくなって、やるんだ。

そのことを、毎度、ダンピングのたびに、オレは味わってもいる。悲しさを味わっている。

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2005年9月 4日 (日)

積木くずし・真相

『積木くずし』を二夜連続で見た。ご存知穂積隆信のアレである。

かつて爆発的な視聴率(最終回は45.3%)を記録したテレビドラマの『積木くずし』は見ていない。しかし、その前後に、「積木」で娘役を激演したといわれる高部知子が「わらべ」として出演していた『欽ちゃんのどこまでやるの!』は毎週見ていた。それは一体どういうことかというと、当時オレは、おばあちゃんの家に預けられていて、おばあちゃんが見る番組を一緒にみていた。おばあちゃんが特に何かを見たいということを強く主張するわけでもなかったから、オレがアレをみたい、コレをみたいといえばなんでも見ることは出来たのだが、その番組権利を主張したことはオレは一回もない。何故かはわからない。そしておばあちゃんが見たそうであろうものを見た。ただそれだけだ。そのとき「欽どこ」が、そのアンテナに引っかかり、「積木」は、引っかからなかったというわけである。

しかし、やはり時代を騒がせたムーブメントであっただけに、「毒され好き」なオレとしては、当然映画化された『積木くずし』は、前売り券を買って、待ちきれずに初日に観に行っている。テレビ(八三年二月~三月の七回放送)版の前田吟(役名は穂高信彦)と小川真由美(妻役で三枝子)高部知子(娘役の香緒里)に比べて、同じ八三年の十一月三日に後悔された映画版(斉藤光正)は藤田まこと(穂波高介)といしだあゆみ(穂波美知江)、渡辺典子(穂波由布子)という配役で、刺激の弱い感じがした。脚本の新藤兼人は、その前に書いた『絞殺』のイメージがあって、今でも現役作家として生きてはいるが、当時でさえ大ベテランのもう脚本家を引退していてもおかしくはない感じがしていて、どうせ保守的な収まりのいいまとめ方をしているのであろうと思って観に行った。

ところがエクソシストというか、悪魔祓いのためにオヤジの藤田まことが体を張って戦うという、生前、飯干(のち飯星)恵子の父、飯干晃一が、娘を新興宗教から奪還するといって、体ごと、文字や言葉も使って、全身全霊で連れ戻したかのような、心震えるアクション映画であった。娘を奪還するという目的意識がはっきりとしていて、アメリカ映画の様なゆるぎないポリシーの暴走が心地よくもあった。単に異端者を排除するという考え方(その場合、自身を「正統」とする考え方が根底にあるわけで、その根拠が甘いと、乱暴者でしかない)ではなく、いったん迷い、疲れ、考え抜いた跡が、藤田まことという役者の中に感じられた。渡辺典子もよかった。

しかし、高部ともこのほうは、この映画の公開前に、「元・彼氏」によって、ベッドの上でのタバコ写真(ニャンニャン写真)を写真週刊誌に暴露され、いったん芸能界から消える。九九年には、「乳首ピアス写真集」発売で、少しだけ、息を吹き返すも、「わらべ」時代の人気には近づくべくもない。

高部と同年生まれであった実際の穂積隆信の娘(穂積由香里)のほうは、「積木」出版翌八三年にトルエン所持、八五年と九〇年には覚せい剤取締法違反で逮捕された。

悪魔祓いといっても、親が飯干晃一であれ、穂積であれ、夜回り先生であれ、ヤンキー先生であれ、去らない悪魔は去らない。クスリだ。

人間が生み出した悪魔。アヘン戦争、麻薬戦争、タバコさえ止められないものが、シンナーや大麻を止められるわけがないと思うのだが、どんなにさまざまな悪魔や習慣を断ち切っても、クスリだけは、そう簡単ではないはずだ。「太陽にほえろ!」の「鶴が飛んだ日」も「フレンチコネクション2」も、作り物の映像では沢山見ている。オレの知識は実際そんなところだが、麻薬の怖さは、文字面では知っているつもりだ。

やめられない。深夜番組「ジュネジャン」に出ていた暴力団の組長も、やめるのに、どのくらいやめられなかったか、そして今まさに番組に出ているこの時でも、しゃぶりつきたいとの本気の肉声を発していた。

「地獄はそうは続かない」と今回のドラマで、武田鉄矢演じる警察官は、館ひろし、杉田かおる(役名は稲場信悟と静子)の夫婦に言うシーンがあるが、果たしてそうであろうか。

少し前の「3年B組金八先生PART7」で、武田鉄矢(金八の役)が、アレだけクスリの問題についてやったではないか。(脚本の)小山内美江子は体調不良で降りたけれど、その後を引き継いだ清水有生が、クスリの怖さを強く見せた。

この作品でクスリの怖さは、それほどには見せていないが、「芸能人一家」という環境の怖さは、見せていたと思う。

館ひろしは、アイドル歌手だった岡田有希子が自殺した原因の「恋の相手」だと噂された。峰岸徹が肩代わりしたナイスガイだとも伝えられた。真相は知らないが、なかなか結婚しないナイスミドルとして、或いは、キャロルの伝説の最終公演で「ひろしちゃんです。ヨロシク」と紹介された弟分というか、原宿セントラルアパートで、一体何をやっていたか、東映不良性感度のグループで、なにをやっていたか、いくつか想像がつく、そういう過酷というか芸能な匂いというか、石原プロの重要人物であり、この抜擢は、意味深い。そして今は、いい味を出せるいい俳優でもある。さらに妻役の過ぎた香り、ではなくて出過ぎた顔、でもなかった、杉田かおるは、今や何もここで補充する話などないであろう。「キンスマ」からだったと思うが、24時間マラソン、母について、元夫についても、不倫の過去についても、虚実入り乱れて、予想や想像や、想定内を超えて、テレビ的には美味しい。

そして安達祐実。オレだけかも知れぬが、顔が浜崎あゆみに似ている。そして、芸能界をどう生き抜くかの命題において、急な人気と、路線変更と、第一線の泳ぎ方というか、芸能の不幸を垣間見せる存在ということにおいて、似ている。

前に「ユリイカ」という雑誌で、浜崎あゆみについて四十枚の小論を書いたことがあって、嫌いで嫌いでたまらない女という以外のイメージは当初はなかったのだけれど、その孤独や不安について、少しだけわかったことがある。自分が思うほどには愛されない不幸とか、ちょっと我を張るのを抑えた途端にチヤホヤされるだけの「いまどきの」価値はあるものの、それでは決して満たされない居心地の悪さとか、なんとなくわかったのだ。もちろん「つもり」ではある。

そんな三人が親子を演じ、杉田かおるの初恋の人でも会った、そして芸能の世界で生きる上での指針ともなった俳優の武田鉄矢が、カウンセラー的な役割の警察官を演じる。三人の写る写真は「家族の肖像」というか、ゴヤの「カルロス4世の家族」というか、正視するには恐い写真であった。

はじめにいじめられる不幸、そして立ち直り、本が売れてからの不幸。ともに、ギャップの成せる不幸であると思う。本来ならば、(芸能人で売れているのだから)このぐらいの幸福はあってもいいのではないかという「想定する」イメージに対しての相対的に質量の減じた分を嘆くために起こる不幸、そしてだまされたりもするのだが、失った事実は、つらいが、はじめから「無い」者にとっては、そういうだます奴も寄ってこないし、失う悲しさも味わわない。贅沢を知ったものの質素は、気分としては不幸なのである。

少々雑で、しかし確かに愛情もある。だまされもするし、しかし確かにある時、強くもある。杉田にも安達にも、演じた役柄同様にその兆候がある。

そしてドラマ内で本当の「真相」が語られる。

13歳の時に、他の中学校の上級生により近くの神社で、リンチの果て、レイプされたことが、何より大きな傷として作用し、その秘密を言えず、いえない家庭環境もまた原因だとして、憎む対象としての俳優の父を標的に、家族へ当り散らした、というわけだ。

「同情するならカネをくれ」といった役柄で一世を風靡した安達祐実は、今度はセレブ婚後に離婚した杉田かおるに向かって、「カネをくれ」と、殴る蹴るの暴行を全開させる。

顔をかみそりで切られレイプされた腹いせはしかし、そんなことでは発散されるわけがない。たまる。そしてそれは、今、このドラマを作ったところで、何も発散されることはないのではないか。くすぶり続けている。

なぜ、訴えないのか。法的に時効が成立してようが、人間の道としては、時効などない。

こういう泣き寝入りを肯定する描き方が、気に入らない。被害者は、こうやって怖気ずくものなのか。特に守るべきものの多い俳優などの職業は、標的にはいいのではないか。ほくそえんでみている者はいまいか。正しくとも弱気な奴はバカを見る。そう思わせてはいけないのだ。

そういう意識を植え付ける役割にドラマが、加担してはならない。

強さとは、勇気とは、隠すことではない。

まだ、レイプ現場の神社の付近に住んでいるか、事件のことも忘れて生きているか、いずれにしても、しつこく追及してもいいのではないか。

加害者とそういう側の人間を喜ばせてはいけない。わが行為の罪に気づかせねばならない。

傷ついた人間の痛みと悲しみと怒りとやりきれなさを、伝えなくてはならない。思い知らせなくてはならない。

当時の彼女の通っていた、中学の近隣の生徒の中にいるはずだ。

しかし、この非行というか遊びの行為の中に、芸能人に多く現れるクスリの逮捕や、逸脱した行為と同じにおいがするし、それは甘美だ。身を持ち崩すのも確かであるが、そのことを穂積隆信は、感じてもいて、娘もその甘美に手を出してしまい、この世の背徳を分かち合った痛みが負い目となって、娘となかなか関係を修復する(または一から作る)のに時間が必要だったのではないか。

昨日、ストーンズのアルバムについて書いたが、60年代後半から70年代のアルバムの中にある輝きの理由の中には、幾分、その遊んだ跡が含まれている。ドラッグで、幾多の友人やミュージシャンが死に、自らのバンドでも、命もさまざまなチャンスも失っている。ドラッグだけではない。黒魔術、女性遍歴、ヘルズエンジェルス、マネージメント、あるときの退廃が、輝きに色を添えてもいる。健康的に、還暦となって、「パリでも回った。ロンドンでも回った」と大車輪をするいまいちな爺さんみたいに、愛されては、不良バンドの名が泣く。

しかし年齢が、死を受け入れ始めるわけであり、若いときに、たまたま死なないで済んだやつが、何とか生きているだけなのだ。

ただ未然に防ぐ方法はといえば、若い人間の自らの中の芽をつむことは出来るはずもなく、むしろその環境を厳しく追及していくことしかあるまい。

ねたみ、レイプし、殺しもする。実にくだらない人間。その行為自体を受け入れてはいけない。その芽はしかし、誰にもあることを忘れてはいけない。

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2005年9月 3日 (土)

A BIGGER BANG

八月三十一日に、八年ぶりに発売されたストーンズの新作アルバムを聞いていいる。聞きまくっている。

奥山貴宏という人がいる。いや、いた。

オレが知ったのは「ジェネジャン」という番組をみてからである。その後、NHK教育テレビ「ETV特集」でも見た。それは死後であった。

ガン、特に末期ガンに罹った人は、「俺は死にたくないよ」と、苦しい気持ちや危機的状況をわかってもらおうとするか、「俺は死ぬよ」とわかってもらえないことを引き受けるかの、どちらかの態度しか基本的には、とりようがない。

しかしどちらの態度をとるにしてもテクニックが必要だ。自分で意識はしていないが、しかしテクニックがいる。それが成功しても、かわいそうな自分に酔っ払ってしまって、自己暗示を自らかけたことになったり、失敗すればしたで、やはり死が近いというみすぼらしさの自分を意識して、今度は孤独に対処していくしかない。

奥山は、「ジェネジャン」の出ることによって、或いはそれ以前のブログで、態度のとり方において、半ば成功し、半ば失敗している。

人に知られるということは、結局、嫌味な部分も知られるということだ。或いは、嫌味であることがバレてしまう。或いは発見されてしまう。そうなってしまうのは、発見するような奴にまで見られて(知られて)しまうからなのだが、それは仕方ない。しかしできることなら見られたくない。しかし見られなければ、知られもしない。

死はそのジレンマごと掻き消した。

なぜそんなに彼について気になったのか。
余命わずか、ガン末期の「オレ」が語るバイク、ドラッグ、クラブ、そして友人、余命二年を宣告された著者が、闘病記「31歳ガン漂流」「32歳ガン漂流エボリューション」につづけて放つ自伝小説。

これが『ヴァニシングポイント』の紹介文であり、出版は四月十四日、死んだのは四月十七日夜のこと。

七一年宮城県生まれ。〇三年に「31歳ガン漂流」(ポプラ社)。

それで、オレも、六二年北海道生まれ。〇一年に「三文ガン患者」(太田出版)。

その帯文であるが、以下の通り。

『Vシネマ魂』で知られる映画評論家が、「32歳・胃の全摘出手術」という体験の中から叩きつける、型破りの闘病レポート! 

まあ、そんなオレは、そんな彼が気になるのであった。

それで、奥山貴宏は、『スターウォーズ』の最終作が見れるかどうかを気にしていた。結局見ることは出来ず、今、日本では大ヒット公開中だ。

オレの場合も、九五年にガンに罹り、『男はつらいよ』シリーズが最後まで見られるかを心配していたら、ナント寅さん(『男はつらいよ』の主演俳優・渥美清)のほうが、九六年八月四日、先に逝ってしまった。

まあ、寅さんも最終作まで見ることができたことだし、思い残すことはそうない。

そう思っていた。

ストーンズに関しては、『刺青の男』が最後の傑作で、そのアルバムを引っさげてのアメリカンコンサート81が最後の華で、その記録をまとめた映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』が、ビとるズファンをも含めての最後のイベントであり、プレゼントであり、一線を退く表明のように思えたものだ。

『刺青の男』までは全部が全部(「やぎのおつむ」など一部を除いては)傑作といえる作品群である。オレが繰り返し聞いたのは、『レット・イット・ブリード』と『ベガーズ・バンキット』と書いたら、なんだか宮谷和彦(ストーンズフリークで知られる漫画家)みたいではないか。

その日、札幌劇場のあたりを友達とうろうろしていたら、人だかりが出来ている。あっ。忘れていた。『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』の試写会だ。

友達に向かって「オレ家に帰るわ。きっとチケットが、当たっているはずだから」

「まさかよ。今日の朝届いてなかったのに、今帰ってあるわけがないだろう」

「いや、ある」

オレは賭けた。届いているほうに賭けた。そして駆けた。バス停めがけて全力疾走して駆けた。

いつもは町(札幌の市内)から家(当時おじさんの家に預けられていた)まで歩いて帰っていたのだが、もう間に合わない。急いでバスで帰ったのだった。

果たしてチケットは到着していた。

今でも封筒だけは持っている。STVラジオの八三年五月十八日の消印。支社上は、ケチ臭いことに、係りの人はくれなかったので、手元にはない。オールナイトニッポン15周年アニバーサリー・オートラマ・スペシャルプレビューだ。

その日以来、何度見たことか。数限りない。

そしてストーンズはなおもアルバムを出し続け、『刺青の男』を越える出来の作品はなかったが、そこそこビックリはさせた。決して昔の名前では出していない。現役感を出しつい付けてはいた。

しかしなんというか、今の巨人の工藤公康みたいな感じで、かわすピッチングではないけれど、四十二歳のわりにはよくやっている。そういう凄さであった。

工藤と同い年のランディ・ジョンソンやひとつ年上四十三歳のロジャー・クレメンスの様な、余力を残した馬力が見えるわけではなく、いっぱいいっぱいという感じがもう見えていて、おつかれーライスという凄さのアルバムが続いた。勿論何度でもいうが昔の名前で出ているわけではない。

クレメンスのメジャーデビューは、『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』公開の翌年の八四年で、ランディはもっと後である。それら二人がもう、今や現役最後をかけて戦っていて、(お世辞を抜きにしてあえて言えば)それら二人よりもさらに過去形を漂わせきっているのがストーンズでもあった。

だからか、ストーンズ狂で知られる中野D児(AV監督)も、その類まれなるストーンズ・コレクションを(自らの)貧困がゆえに手放したと、確か『ビデオ・ザ・ワールド』で読んだ。

遠藤賢司のコンサートを池袋「サイバー」に観に行った時、ニュースなどとともに、前座で中野D児のバンドが登場したのには驚いた。ただ、驚いただけで、お経を唱えるようなポジティブパンクで、少々退屈した。コレクターしてるほうが、いや、SM撮ってるほうが、D児はずっとカッコイイ。

そのD児が、コレクションを諦めたぐらいであるから、まあ、ストーンズの賞味期限もここのところ、大団円に向かって、赤いチャンチャコの用意だなあ、なんて思っていた。

こちトラ、一応、ご祝儀のようにしてアルバムが出るたびに付き合ってきたが、これが最後であろう、なんて思って買ってきた。ご祝儀といっても、こちらは貧乏、一方ミック大王は、オレが一生かかってやるだけの稼ぎを、オレがCDを買う手間ぐらいの時間でやってしまう。だから祝儀はこっちが貰いたいくらいだが、まあ、相変わらず、工藤公康の投げっぷりを見よう。そんな気持ちであった。

ところがどっこいきっちょんちょん。

ランディだ。クレメンスだ。いや、マリナーズの新星フェリックス・ヘルナンデスだ。

こりゃ、当分、聴き応えがあるワイ。

一体どうなっちまったんだ。終焉した寅さんにも、『スターウォーズ』の最後に間に合わなかった奥山貴宏にも、いいたいよ。

先に逝ったものには気が引けるが、生きててよかったよ。

そんなアルバムである。クレメンスと同じ四十三歳、オレまだ生きてます。

いかにもというストーンズファンは、これまでも騒いできたが、それが本気だったならば、このアルバムを聞いたならば死ぬんじゃないだろうか。

縁起でもないか。

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2005年9月 1日 (木)

左利き・その1

昨日、ボブ・ディランについて書いている時から気になってはいたのだが、なんとはなしに保留にして、このbiogを書き終え、深夜、「浜ちゃんと!」という番組を見ていたら、気になっていたことが息を吹き返した。そこにはもちろん番組メインの浜田雅功がいるのだが、(その番組での)相棒の木村祐一と、お笑いファンでもあるゲストの甲斐よしひろがさらに出ていたのだ。どうってことはない取り合わせに見えるのだが、木村も甲斐も左利きである。ついでに浜田の(ダウンタウンの)相方の松本仁志も左利きである、ボブ・ディランで気になっていたことというのは、実は左利きのことであった。

昨日話題に上ったアート・ガーファンクルも左利きで、相棒のポール・サイモンも左利きだ。(ついでにピンクレディーのミーとケイは、二人とも左利きだ)ボブ・ディランは、映画『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』の音楽を担当し、自らもビリーの手下の役で出ているが、ビリー・ザ・キッド自体が左利きとして有名である。『左ききの拳銃』としてアーサー・ペン監督によってリアルに映画化されたといわれているが、演じたポール・ニューマンは、右利きの俳優である。1880年に撮られた写真で、ビリーは左腰に銃を下げていることから、左利きの定説となったが、鉄板写真のため反転して写っていて実際は右利きであるという説もある。一方『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』で主演を演じたクリス・クリストファーソンは、左利きだったような記憶なのだが、どうだろうか。クリスもミュージシャンで、『ビリー・ザ・キッド』には、ブッカーTも出演している。

さて右利きのポール・ニューマンだが、左利きのロバート・レッドフォードと競演して、最後に二人で小屋を出るシーンで終わるのが、『明日に向かって撃て!』だ。有名なそのシーンは、右にポール、左にロバートで、お互い両手に2丁拳銃を持ってはいるが、二人とも利き腕を生かして、両者が外側に銃を構えながら、飛び出していく。そのラストシーンのコントラストの強烈さは、レッドフォードの左利きが功を奏している。

右利きの二人の主人公がポスターなどで銃を構えると、たいてい右側はいいが、左側の男は、明らかに左向きになって顔が隠れる。ポスターの配置としてはいいのだが、左の俳優は割を食うことになる。

もしポールの代わりにスティーブ・マックイーンだったら、これもダブル左で変だ。ポールとスティーブは、『タワーリング・インフェルノ』で競演し、そのことがワーナーブラザースと20世FOXとの本来ありえない共同製作という初夢を実現させた。右と左でOKだった。

『明日に向かって撃て!』はあのあと、ニューシネマの傑作であるゆえ、『俺たちに明日はない』とか、『真夜中のカーボーイ』『イージー・ライダー』『バニシング・ポイント』などみたいに二人は死ぬのであろうことを暗示しているように見えるが、確か史実では、二人とも生き残って、その後も逃げ切って銀行襲撃などを繰り返す。

20世紀に入っての銀行強盗デリンジャーも何度も映画化されているが、左利きである。ほかにボストンの絞殺魔テサルボや切り裂きジャックといった有名な犯罪者たちもまた左利きである。

しかし一般には、残虐というよりも(もし犯罪ならば)猟奇嗜好というか、左利きの人はむしろ芸術や数学、ファッション、形や色に秀でた才能を持ったイメージがある。

オレがはじめて左利きの人を見たのは、小学校のころに家の前に引っ越してきた父の友人の奥さんである。お菓子や料理作りの名人で、包丁を持つ手が左だったのでよく覚えている。その後はしかし、これでもかというくらいに、オレの周りには左利きの人ばかりがよくよく現れることになる。会社の同僚、このblogを読んでくれているのか、もうすぐ閉店する西川口のビデオ屋さんとか、ビデオ屋でのお客さん、本の編集者、あまりにもあまりにも多いので、ビックリした。多くはやせた人ばかりだから、左利きは「やせて神経質な人」という勝手なイメージが持ちつつあったころに、とんでもないずぼらなデブの左利きも現れて、わけがわからなくなった。だが大まかに考えられる傾向は、押しが弱くて、自らトップに立とうとはしない。周囲から推されて登ることはあっても、自ら仕掛けて登るタイプではないのだ。控え目というか、優しく弱弱しくもある。オレの出会った限りでの印象でしかないから、当てにはならない。

フォード、レーガン、クリントン、ジョージ・ブッシュと左利きの大統領が結構いるのも事実だ。決して弱弱しいとはいえない。

まあ、デザイナーや美容師同様に、両性具有的と言ってもいい。これは、デザイナーや振付師や美容師、音楽家などにおかまっぽい人が多いのと似ていて、多分、美に対するバランス感覚が優れているためだと思う。

トーマス・アークハートという言語学者は、世界共通言語を作ろうとしたし、上下感覚を惑わせるエッシャーの絵(『滝』とか『上昇と下降』とか)も、右が優位の社会を皮肉る力がある。ダ・ビンチ、ミケランヒェロ、ラファエロと、イタリアの巨匠芸術家たちがことごとく左利きであるとの説明を、イタリア旅行中に、イタリア人ガイドから聞かされたが、そのガイド自身が左利きであると自慢していた。スペインのピカソも左利きだ。

最近知り合って、今まで以上に好きになった俳優の松田優もまた左利きで、彼は『獅子の血脈』などで松方弘樹の片腕役をとても域のあった感じで演じるのだが、それは松方が左利きであることにも関係があるとオレは勝手に見ている。

かつて山城新伍が、東映で、若山富三郎に可愛がられるのであるが、同じ左利きだったからではないかと、山城自身の本の中に書いてあった。松田優がそもそもデビューすることになったのは、小林旭初監督作品での主演であり、彼を無理やり抜擢した小林旭自身が確か左利きであったと思う。

実は(オレの)妻も昔は左利きで、右に直したというが、手を組んだり左の記憶は残っている。妻の母がやはり左利きで、字を書くなどは右に変えたそうだが包丁は左で持つ。

オレ自身、腕は右利きだが、目が左目利きで、こういうのを「交差利き」と言うそうだが、まあ、それである。

テレビ東京の「別れたら好きな人」という連続ドラマでは、嫁と姑の役に、斉藤由貴と山本陽子が出ていて、ともに左利きで、立ち居振る舞いがおもしろかった。

テレ朝の「弟」では、石原慎太郎役となった二人が、一生懸命左利きを演じていた

現役最高力士の朝青龍も左利きだが、柏鵬時代といわれた大鵬と柏戸の両横綱とも左利きであった。双葉山もそうだ。

スポーツでは、特に野球が左打者が多いが、多くは右投げ左打ちで、左打者のほうが、1塁に近いとか、右投手の球を見やすいなどの理由で有利と思われ、子供の頃に変えられている場合が多い。イチロー、松井秀喜、掛布雅之、別に書いても書かなくてもいいんだけど、枚挙に暇がない。メジャーのりっキー・ヘンダーソンは左投げ右打ちという、それこそヘンダーソンな選手だ。世界の本塁打王、王貞治は、左投げ左打ち、ベーブ・ルースもルー・ゲーリックも左・左である。

サッカーのペレ、テニスだとボルグの右利きに対して、コナーズ、マッケンローの左利きが挑むという図式で、女子は両利きのナブラチロワが、無敵。伊達公子も左利きだが、ラケットは右で打っている。

左利きは難読症に罹りやすいともいわれている。フィッツジェラルドやバージニア・ウルフなどが苦しんだ経験を持つ。ジョージ・マイケルもその一人で、そのコンプレックスを肉体的な魅力の男に替えていったと自ら語っている。左利きのブルース・ウィリスも子供の頃軽い難読症だったという。同じく左利きのトム・クルーズは、今でも脚本を字で読んで覚えるのではなく、耳で聞いて覚えるのだという。

ほかにビートルズのポールとリンゴが左利きである。

だからどうだってわけじゃないが、今日はこんなところで。

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