タイトルを見て、なんだ、あの映画の話かと思った人は、アメリカン・ニュー・シネマに通じているのだろう。
でも、今日ここで書くのは、その映画の話というわけでもない。若い者は無軌道だという話をしたいのだ。
『グライド・イン・ブルー』は、七三年に「シカゴ」というバンドのプロデューサーのジェームズ・ウィリアム・ガルシオが、唯一監督したニュー・シネマの一本だ。『夕陽に向かって走れ』のエイブラハム・ポロンスキーとか、『いちご白書』のスチュアート・ハグマンとか、『バニシングポイント』のリチャード・C・サラフィアンとか、ニューシネマで燃え尽きてしまった監督は多いが、ジェームズの場合は、映画はこれ一本で結構と思ったのであろう。よく出来ているとも言えるし、本人はこんなものなのかと言う感じもあったろう、そんな作品だ。
もちろん『イージー・ライダー』がなければ、この映画はなかったはずだ。
つまり、なぜこの映画を思い出したのかと言えば、今日の夜、『イージー・ライダー』を観に行くからだ。吉祥寺バウスシアターで「爆音オールナイト」という上映をやるのだ。
『イージー・ライダー』の中で、若くて長髪でロックと麻薬とセックスにイカれて生意気なバイク野郎が、銃で撃ちぬかれ死んでいく。確か南部のあのニューオーリンズではなかったか。
「あの」と言うのは今洪水で、今日にもハリケーン「リタ」の猛威にさらされつつあると言うよりも、『レイ』(九月9・10日のblog参照)の映画のロケが行われたニューオーリンズだ。そしてレイが有罪を受けたインディアナポリスは、KKKの発祥地で、マイク・タイソンもレイプの有罪判決を受けた土地だ。
一方そのドラッグでヒッピーで無軌道な若者たちにひいきめな警官が、最後にその若者に殺されるのが『グライド・イン・ブルー』だ。
ニューシネマは、大人たちの説く「従順によって手に入れられる安全な未来像」に対して徹底的にアンチ、アンチ、アンチで行く若者が、それぞれの理屈で登場する。
自民党の馬鹿ヤロウ、NHKのくそ食らえ、巨人の間抜けオーナー、権威の胡散臭さ、伝統とブランドの恥知らずなほどの自己内省のなさ、持てるものの持たざるものへの耐えがたき眼差し。それらに対してのアンチ、アンチ、アンチなのである。
しかし、壊すまではいいけれど、その形がイメージできない。
と言うのは年を取った人たちで、若い者は体力が有り余っているから、そのイメージがあらかじめ出来ていなくとも、何でもできるわけだ。
で、オレも年をとったなあ、と思ったのが、今日のNHK教育「真剣10代しゃべり場」を見てのことだ。
「のぶみ」というよく言えばナイーブ、悪く言えば、まあ、やめとこう。そういう名前の絵本作家が「元10代」ということで「人生の先輩」としてアドバイスだかなんだか、説教をしに登場した。
これまで「しゃべり場」には、先輩としてはちょっとなあ、と言うタイプが二通りあって、そのうちの一つは、自身の経歴か経験で自信を持っていて、高みから押し付けようとするタイプである。その最たる例が立川談志で、若者から人気がないためにてめえがそっぽを向いて子供が駄々をこねるように「(俺様を立ててくれない番組なんぞ)面白くない」と席を立ってしまった。ここまでひどくはないにしてもアグネス・チャン、飯島愛、倉田真由美、鈴木紗理奈、井筒和幸、地井武男など、年齢に関係なく、押し付けたがリヤは言葉巧みに自分の範疇右内で番組と意見を収めようとしてくるわけだ。
もう一つの「ちょっとなあ」は、下手に出て、「自分は大した者ではないんだけど」(だったら番組に出てこなければいいものを、大した者ではないのだけれども少々は大した者であることは言わずもがなだろう!馬ッ鹿野郎!みたいな態度で、そこにでているわけで、大したものが言うようなことを)と、やはり押し付けてくるのだ。
このタイプのほうがたちが悪く、河瀬直美、香山リカ、大槻ケンヂ、ふかわりょう、リリー・フランキー、松田美由紀などで、節度ある風なぶんだけたちが悪い。
本当に真摯で気持ちがよかったのは、飯野健治、石田衣良、糸井重里、猪瀬直樹、オール巨人、岡田斗司夫、小錦、崔洋一、高橋源一郎、高村薫、長倉洋海、野口健、森達也、山本晋也、千原浩史などである。多分「賭ける」ものを番組内で見つけてしまう能力があるのであろう。それはカメラの前の誰かに見せるものよりも、自身に帰ってくる、内なる問いに対する答えであって、そこが相手にも響くのである。
そして最高の「元10代」だといえる厳しさとやさしさが感じられるのが、平田オリザだ。
まあそれはいいとして、最悪な元10代の「のぶみ」である。最悪といってもまだ27歳だから、10代みたいなもので、世間で売れて、少々浮かれて、そして10代を前に先輩として一言講釈を垂れたくなるのは仕方がないことなのかもしれない。
しかし、今日のテーマは、安定した職業(公務員や大企業の社員)に付くことを目指そうと早くから割り切るタイプと、スポーツや芸能など選ばれた人が目指すような世界への夢を持ち続けることとの、後者への不安や危険を説いたもので、これまでの「しゃべり場」でも何度もあったテーマだ。
そしていつも意見が分かれて、夢を追いかける美しさ、安定路線の堅実さ、しかしそれほどに安定なものは実際には存在しないと言う混ぜっ返し、しかしだからといって夢もまた現実的な醜い力に左右される世界だと言う話、その中であるものはそれでも夢を選び、あるものは安定を選ぶと言う結末。そしてそう口にしたからといって、必ずしもその通り縄ケではなく、口先とは裏腹に、夢よ夢よと嘯いて安定路線まっしぐらもいれば、安定安定と口ずさみながら夢の中をさまよう奴もまたいる。
で、今日の場合は、皆が皆、提案者に対して、夢を見ることの素晴らしさをむ根拠に力説するばかりなのだ。
番組の直後に、かつて放送された同じメンバーによる逆のテーマの回がかいつまんで放送された。そこでは、夢を追いかけるといっている提案者に対して、この場でさっきの放送で「夢」を説いていた連中が、一斉に「夢よりも足元を見ろ!」と力説しているのだ。
もちろんその回もオレは見ているし、その回だけではなく、今期のメンバーは、天邪鬼と言うか、何を主張したいのか、その場相手をねじ伏せていい気になりたいやつが多い。
そんな空気も読むことが出来ずに、毎度おなじみの提案者に対する一斉砲火を見て、多数派に付いたほうが得策とでも考えたのか、「のぶみ」は、いきなりなきながら、「これだけみんなが、あなたのために声を大にして助言してくれているのに、あなたは今チャンスじゃないか。聴く耳を持ってもいいではないか」
と、てめえの聴く耳を棚に上げて、妙な涙を見せていた。
バカか。27歳。
その「のぶみ」とは何者なのか。HPをのぞいてみた。
そこには「のぶみ」の日記があり、その冒頭に「のぶみ」のプロフィールもある。
以下が、その文そのままである。
<絵本作家のぶみS53・4・4生まれ
1999年からNHKおかあさんといっしょのすいはんきくんや
れいぞーこくんのでる『ぼくのともだち』で大ブレイク。
2002年までやり、2002年から、『ガギグゲゴーゴーギンガくん』を放送開始。2005年までONAIRこの二本のアニメでのぶみは、7年間、毎日、テレビで放送する。
2005年からNHKおかあさんといっしょの歌で『おしりフリフリ』『パパパ』を放送。
とくに『おしりフリフリ』は、NHKおかあさんといっしょで今日本一人気のある子供の歌として、有名。雑誌の調べによると10歳未満の日本人は、のぶみの作品を見たことない人は、いないらしい。絵本は、50冊以上出版、発表作品は、500作、現在、『ほっぺ』(学研)で連載中。(以下略)>
それで、ビックリしたのは、のぶみ自身が自分のでた「しゃべり場」を見て、もう書き込んでいるのだ。
0:25分に番組が終わって、0:42分の書き込みである。
<いま真剣10代しゃべり場にでている自分をみた。良かった、♪(*^ ・^)ノ⌒☆なんか前のスペシャル版の真剣10代しゃべり場にでたときより、自分のいいたいことがいえてたような気がする。しゃべり場という作品になってたんじゃないだろうか。
しかし、あれだけいろんなひとにでるよっていったのに、だれからも携帯に電話がこないのは、悲しい。(・_・;)(以下略)>
まあ、こういう人物である。
あまりこの人について書いても、なんというか「カーペンターズの音楽は健全でつまらない」と言うようなもので、だからどうだと言う感じであるのはわかっている。たとえばカーペンターズの二人がテレビに出て、視聴者のお悩み相談なんかしたとしたら、それこそおざなりの回答をするだけで、それをどうこう言ってもしょうがない。リチャードは睡眠薬で苦しみ、カレンは拒食症で死ぬと言う過酷な日々をたどりながら、その生の現実を丸ごと見せる事は決してなく、みんなつらいんだから頑張りましょう」なんて笑顔を見せるはずだ。多分。
一方そこまでのすさみ方がまだ訪れていない27歳は、なんだかわけのわからぬ演出におどらされてくさい涙の術まで発揮させられて、かわいそうでもあるけど、日記の文章を見たら、されに深刻化しそうでもある。
「爆音」でも見に来いよ。
同じ時間帯に浅草東宝では『荒井晴彦ナイト』と銘打ってそちらでもオールナイトをやる。『櫛の火』(9月22日のblog参照)などが上映だ。「のぶみ」は、そっちに行きそうだ。ダメだよ。それでは。70年代ならまだしも、今そんなことして、テレビの前で泣かれても嬉しくないよ。
こういう言い方はよくないのだろうけど、オレも絵本でも書こうかな。それも「おかあさんといっしょ」と言うタイトルの絵本を。
もちろん茶化して言っている。
かつてバンドをやっていた人のインタビューに行ったら、とにかくディナーショーが嫌いだと言っていた。それで「ライブはしないのか?」と聴いたら
『ディナーショー』と言う名のライブだったらやってもいい。
そう語った。
のぶみは日記の自己紹介にもあるとおり、NHK「おかあさんといっしょ」で、売れたと言う。そこでもオ踏みにギャラが支払われているのだろうけど、「しゃべり場」でもまた出演料は発生している。
NHKの受信料は、不正事件や打ち上げ失敗の衛星にもつぎ込まれているが、この「のぶみ」の出演やえの採用にも金が払われている。
どんなに金が有り余っているであろうローリングストーンズの「A BIGGER BAN」(9月3日のblog参照)と言うアルバムを買うときでさえ、少しはミックの懐にオレの金の一部が印税として入っていくのだろうと考えると、オレも一人のミックのファンであり、パトロンであるような気がして、いい気持ちにもなるのだが、NHKの受信料を払うことで、妙な涙マンの「のぶみ」のファンやパトロンにまではなりたくないんだよ。
そして、そのあと「さんまのまんま」を見たら鈴木亜美だ。エミネムだのビヨンセだのと、さんまが無理に鈴木に話を合わせてくれているのに、その受け答えはばか丸出しと言うか、全然面白くない。「のぶみ」と大して変わらない年齢だろうけど、本当にお前は芸を売っている人間なのか。
「オー凄い」「エーすごい」「それヤバイ」「絶対おかしい」そんな反応を見せるばかりで、お前のほうからネタをフランかい。
人気絶頂で、誰もが何でもいいから聞きたいと言う対象ならば、聞かれるままにただ答えていればいいよ。だけど今の鈴木はなんでもないだろう。しかも一度スキャンダルで消えて、その説明を充分にしないままなんとなくその場所にまた帰ってきて、いる。禊は終わったんかい。
雑誌のインタビューならば、まだやりようがある。書く中で何とかするよ。でも、包装されるものには、ばれてしまうよ。つまらない空気が映ってしまっているのだから、隠しようがないよ。
この鈴木の「注目されて当たり前」と言う「しゃべり」が、否定もされず、平気で「さんまのまんま」でも出来るのは、普段よほど、取り巻きや家族が鈴木に対して甘いのだろう。この傲慢で面白くもない態度に、(嫌々ながらであろうものも含めて)認めているのであろう。何を言っても「さすが亜美チャン」。
あんまり高みに立たせるなよ。
馬鹿でも華原朋美には天然の味がある。態度がでかくても浜崎あゆみにはカリスマ性があり、受け答えが今ひとつでも安室奈美恵は歌がうまい。矢井田瞳も鬼束ちひろも実力とともに世界を持っている。大塚愛、倖田來未、後発はみな新鮮だ。
鈴木亜美にはいったい何ガあるのか。
天然も実力も新鮮さもカリスマ性もなくて、トークもつまらない。顔だってアイドル歌手の中では綺麗な部類には入らないであろう。
全然資格を満たしていないではないか。
まあ、そんなことを考えながら、オレも歳をとったなあ、と思ったのである。
若い奴に対して、10代は良いとして、20代ぐらいになると途端に、腹が立つ。
本来は、『イージー・ライダー』であり『グライド・イン・ブルー』であったはずだ。無軌道結構、暴発御免、なんて書いたら暴走族か任侠系右翼のスローガンみたいだけれど、全くそんな気持ちであったはずだ。
だけど、その暴走が、ただ泣いたり、アホだったり、礼儀知らずで言葉足らずで・・・。
あんまり面白くないよ。
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