2006年8月22日 (火)

終わりました。

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2006年8月12日 (土)

駒大の相手が決まる。

駒大の相手となった青森山田は手強そうだ。

柳田を中心とする去年の豪快な一方でもろい青森山田が、一転して2002年の、山田主将(セカンドで3番)を中心とした手堅いチームとを併せ持つ、しぶといチームに変貌したようだ。

3人がHRを打ったことで警戒するバッターが増えてしまった。

負けた延岡のエースは、静岡商のエースに告いで身長が低かったが、迫力に押されてしまった。

第2試合は、今大会もっとも面白い試合ではなかったか。

優勝経験チーム同士だ。

佐賀商は、同じ九州の名門校・樟南との決勝に激しい打ち合いで最後は9回満塁ホームランを打って決着。

桐生第一は、基本的には正田を中心とした、きっちりとした守りのチームで、制した。

試合前の予想が、両チームの監督共に、「5点以上は取られるだろう」

だがしかし、佐賀商のほうは、「5点以上は取られるだろうが、打ち勝ちたい」

桐生第一は、「5点以上は取られるだろうが、守り勝ちたい」

しかしりょうチームのエースとも球速が足りない。どうしても打ち合いは裂けられないと思った。

ところが、佐賀の大隈は、軟投派の横手投げで、なかなか打ち崩せない。

もし守りきろう何て考えているなら、桐生は負けるだろう。

打ち勝たなければならない。今の高校野球は、守りが正確なのは当たり前で、その上での豪快な切れ目のない打線が必要なのだ。守り勝つ野球などない。

地区大会から2年生を5~6人ほど先発に混ぜて、うまく戦ってきているが、確実に打たねばならない場面は来る。

そこでは、経験と安定した位置を打ってこその打力の怖さがなければ、そうは打てない。

このチームは逸材が多いだけに、そこそこの得点を取って、守り勝とうとしている。

それでは駄目だ。

その予想にまんまとハマっていった。

しかし、オレは必ず逆転機が来ると思った。

全員が打てる打者ではないが、4・5・6番と、この部分だけは切れ目がなく強力な打者が揃っている。明らかに、この3人は怖い。

そしてその場面は来た。

3点を追う八回裏、2死夢想者から、この三人で1点を返し、なお2死2・3塁。

もうこまがいない。そう思った。

しかし何とか次打者は、地区大会.111しかない打率でも、四球を選ぶ。

佐賀商は、この打者を切るしかなかったのだ。それはそうは難しくはなかった。

一瞬のエアポケットだ。

バカだね。

次は、途中から投げているリリーフ投手・鹿沼だ。打数は少ないが地区大会で、5打数4安打うち2塁打1本。

打率にすると八割だ。

監督は、代打も考えたというが、そいつはおかしい。

案外、この古だぬき監督、「守り勝つ」という言葉も怪しいかもしれない。

鹿沼は、走者一掃の2ベースで、桐生はついに逆転した。

第3試合の甲府工業は、いいチームだった。いい上に、面白いチームだった。

2年生エースの石合は、130キロそこそこの球速で、このチームも、とにかく打ち勝つしかない。6割を超える打率で四番を打ち、長打力もある。

ダークホースが6番にいる。地区大会ではなった6安打は、全て長打だ。今大会の打者中、3位タイの3ホームランと2塁打が3本だ。そしてこの試合でもフェンスに当たる2塁打をやはり放っている。

この2人の打者にどう繋ぐかが勝負だった。

四番・石合は、エースとしては予想通り点を取られたが、想定内である。

しかし攻めが遅い。5回裏2死1・3塁で打者は、3番青木。

-2の後の高いボール球を簡単に打ち上げてのセンターフライだ。

何を考えているのだ。4番がいるではないか。石合は、1・2打席ともライトとレフトに大きくて豪快な当たりを飛ばしていた。

その3打席目にどうしても生き残って繋ぐしかない。自分が決めようなんて、ちょっとまずい流れの野球である。

そしてちぐはぐなまま迎えた9階、ついに追い詰める。1死満塁。ここでまた3番だが、見逃し三振でも、四番に回る。あわよくば6番にまで行く。そうなると、甲府の寄切り勝ちとなるであろう。

ところがだ。セカンドゴロゲッツーで試合終了。

いう事なし。

キャプテンの色紙には「俺がやってやる」と、高校球児に高野連が求める言葉らしくない妙な言葉で、実際荒っぽい攻めで、しかし、それは台風の目になりつつあった。

このチームをもっと見たかった。

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2006年8月11日 (金)

先発投手の怪

俳優さんを抜擢するプロデューサーや監督というのは、一体何を決めてとするのだろう。

演技力なのか、好き嫌いなのか、所属事務所の力なのか、はたまた得体の知れぬ力が作用して、結局誰の目にも不可解なキャスティングがされたことも数限りなくあるだろう。

毎回インタビューしながら、使われる身、待つ身(物書きとしての自分もまたそうなのだが)のはかなさよ、と、つい考えていた。

実は、今日の三重高の試合を見ながら、そう思ったのである。

読売の監督・原辰徳もまた、好き嫌いが激しいようである。

仁志敏久という選手は、それほどにオレの好の選手ではないけれども、しかし、ここ数年の高校球児にとって絶大な人気がある事は、原監督もあまり知らないであろう。

かつてなら広島商、そして池田、PL、近年の日大三、智弁和歌山といったパワー野球の中に、一花咲かせた常総学院野球は、そしてそのなかでも仁志敏久は、その後の球児たち確実に憧れの的として刻印されている。

そのことには、タイガースファンであるオレも、敬意を表している。

彼が起用されないのには、他の理由もあるのかも知れぬが、しかし最大の理由は、原という男の好き嫌いであろう。

岡田にワールドカップメンバーから外されたキング・カズ。

大して引きのカメラ(ロングショット)で見る力もない奴に、一つ二つの一面の真実を使って的外れな寄りのカメラ(クローズアップ)でもって、全体像を隠されてしまうような後味の悪さ。

映画は(たちえ行き過ぎでも)個性の表現力が作用するからまだしも、スポーツの場合は、特に、団体ゲームでは、くだらない指揮官の個性(『ドラえもん』のジャイアンの歌う歌)は、ただただ迷惑である。

唐突だが、そしてあまり言いたくもないのだが、オレはなぜか嫌いな部類というものがある。苦手といってもいい。

それはカズを外した岡田にもいえることであるが、駄目なのである。

あまりにも当たり前すぎるから、みな言わないけれど、大雑把に言うと、頭を使う仕事の人のほうが、眼鏡をかけている人が多い。

幸か不幸か、オレも何故かものを書く仕事であり、新聞、雑誌などの出版社、(現場でないほうの)映画関係、みな眼鏡が多い。

オレはかけていない。

だからいいたくないのだけれど、眼鏡をかけている人が、どうも・・・。

もともと子供心に印象としてあるのは、学校の先生である。父も親戚のおじさん連中もみな眼鏡をかけていないが、一人だけ親戚一同でかけている人がいた。

その人は税務署に勤めていて、父の妹の夫であった。親戚みなが集まって、賭け事(花札やマージャン)を、それこそ年末には札束ごと賭けるような荒々しさでやっている中に加わる事はなく、うらなり眼鏡を恨めしそうに磨いていたのを今でも思い出す。

むしろ立派な人なのであるが、オレの家系においては、マイナスイメージが出来上がっていた。

今、トラック雑誌の連載をしているが、時々トラッカーさんのグループ(団体)の集会に、とびいりで参加させてもらうことがあるが、みな眼鏡を掛けていない。掛けているのは、やはりそのなかでもインテリタイプである。

眼鏡をかけて痩せている人が、どうにも嫌いである。

あと、テレビゲーム(ビデオゲーム)やパチンコが下手な人(出来ない人はもっと嫌い)が嫌いだ。

さらに言えば、車の運転が下手な人(出来ない人はもっと嫌い)が嫌いだ。

ある偉そうな脚本家が、「映画はバカにまで観てもらうものではない」というのを聞いたことがある。いや、実を言えば、毎度そういっている。うらなり眼鏡を掛けて痩せている。

お客さんが「分からない」というものを残すのがエンタティンメントなのだ。バカにもわかるというものがエンタティンメントではない、と。

随分と高みからものを言っていると思うのだが、こちらも、こちらの高みからものを言うと、こいつは自動車を運転もしないし、たぶんパチンコも下手であろう。

頭がいい、なんてのは、逆に言えば、眼が悪くて、眼鏡使用(カネもかかるし、煩わしい)というハンディも負う。

「バカには見て欲しくない」なんて意見は、「眼鏡の方はお断り」というのと何ら変わりない。

まあ、そんなことを考えた。

そして、この眼鏡が大手を振って通用している世界では、オレは読売における仁志敏久の状態になるのは仕方ない。

さて、もう1つ、逆にオレが気に入られる世界がある。任侠のほうだ。風貌が、眼鏡ではなくキャデラックだから、仕方がないのかも知れぬ。

昔、東映大泉撮影所の照明さんで、「キャデさん」というアダ名の人がいたらしい。理由は、木偶の坊というか、ウドの大木というか、そういうことらしい。

よく言うよ。偉そうに。

それで、ヤクザ映画を精力的に製作している会社に取材に言ったことがあった。

そこの女社長が、ゆでたてのゆで卵を山のように、それも大きなサイズのものを、もってきた。

なんでまた???
非常に違和感が合ったが、何故かピンときた。

その時、俳優さんもいたし、脚本家さんもいた。

オレも、うまいうまい、と手いっぱいたいらげて、全部があっという間になくなった。

ナンだったのだ。儀式かよ??

世間口組みの5代目組長渡辺芳則は、その前は山健組の2代目組長である。

山本健一率いる山健組は、山本健一はじめ、ほとんどみな圭佐チュに引っ張られて、残ったのが、組ナンバー2に当たる男と、渡辺であった。山本健一の妻で、むしろ山健組の影のボスとさえ言われて恐れられた(組の幹部の妻連中を集めて夫の操縦法を伝授していたという)は、その時、ゆで卵をナンバー2に食べさせたという。その時の食べっぷりが悪かった。「アカン、こいつでは組は任せられん」という事で渡辺に白羽の矢が立ったという事を、オレは少しダブらせていた。

いや、東映の映画『制覇』とか『日本の首領』やVシネマ『実録・史上最大の抗争』でも、似たようなシーンがある。

それによって抜擢される。

インテリ眼鏡はたぶん、こういう場面において、卵を半分で残したりするだろう。

映画を分からないのがバカなら、気持ちを分からないのがインテリだ。

まあ、それもいいとして、今日の第1試合の146キロ投手三重の梅村は、2番手でよかったのではないか。2番手に出てきた岸江こそが先発向きの、試合を作るタイプではなかったか。

40・1/3イニングで59奪三振という怪物である。

奪三振率は9イニングで幾つの三振を奪うかを表す数字で、40・1/3を9イニングに直せばいいわけだ。つまり59個に9をかけて、40・1/3でわる。それを分かりやすくするには、40・1/3を3倍すると整数(121)になるから、わられるほう(59×9)も3倍する。59×9×3÷121という事で、計算すると、13・17だ。

ところで今大会注目の田中(駒大苫小牧)は、第3試合に日米16球団のスカウトが押し寄せたというが、彼の地方大会での奪三振率は、13・23だ。

それに匹敵する梅村は、当然に田中同様、関東を目指しての大エースであろう。

しかしだ。このチームは、駒大と違って岸江がいる。

梅村は、古い時代のエースに見えた。

かつて四番でエースの大黒柱が中心だった高校野球は、役割分担が進んで、70年代に入ってからは、打力に重きを置かない大エースが登場する。江川卓も、非力なチーム(作新学院)では3番を打っていたけれど、そしてバッティングセンスも非凡ではあったけれど、決して打つイメージはなかった。ところが、70年代後半から古きよき荒木大輔(早実)に対し、投げても打ってもの愛甲猛(横浜)や金村義明(報徳学園)が襲い掛かる。

またしてもエースで四番の時代だ。

2004年、駒大と優勝を争った済美のエース福井も9番では会ったが、もっとも怖いバッターの一人であった。全員が打つのが今の野球だ。

この梅村、バッティング練習をしているのか?

畠山、水野の池田高校、桑田のPLは清原も更新のマウンドに立った。福留も四番で投げた。今大会の堂上(名電)も中田(大阪桐蔭)も投げる。八重山の金城もそうだ。田中(駒大)も長打力がある。如水館の四番エース山根は、中田に次ぐ地方大会四本塁打の十三打点だ。

この山根を含め、エースで四番は、2年生エースの甲府工と松代(長野)の3校しかないが、投手が下位打線を売っていても、決しておざなりではない。形として負担を軽減するために下を打っているだけであり、本物の下位(安全パイ)となっているわけではない。

三重の中田監督は、「野球は投手がすべて」といっているが、それはピッチングだけではない。今は投手も打つ選手でなければならないのだ。

そしてこういう選手がいると、攻めがギクシャクして荒くなる。

四回表ホームランの後3安打が出るも、結局は1点しかとれない。

選球眼や揺さぶりがないから恐くないそれもこれも、エース中心でマも行き労という姿勢が、試合構成を台無しにしている。

なぜ、岸江の先発で行かないものか。

梅村は、熊本工の打線の恐ろしさでもって、結局は制球力を崩し、立ち上がりのペースをつかめない。また熊工の球を見る力が秀でている事も確かであった。

最後は15安打の三重を、5安打の熊工が、6-4のスコアで押し切った。

今日の3試合は、全部このパターンで、総合力の上回るチームが、よりきりで勝った。

昨日の第1試合で強打の智弁和歌山がスモールボールで勝ち、静岡商の高校野球らしい9犠打で、明らかにダ激戦が改称されてきたように見えるが、実際は、140キロを超えるスピードの好投手をそうそう打てるわけでもない。

それでも、天理と本荘が行なった第2試合は、両チームの監督共に「ロースコア(点数の少ない試合)になるだろう」といっていたのに、両チームとも甘い球は打ちまくる。

ここでも本荘の先発(ムードメーカーみたいな男)が気になった。この男(高橋)は2番手でいいのではないか。

2番手で出てきた141キロを投げる伊藤卓の方が、気分に流されずに、先発にはいいと思った。

先発の高橋は、はっきり言って駄目だ。

よくボクサーで余裕も無いのに、ある振りをして顔を前に突き出してみたり、手を広げて相手を挑発したりする選手がいるが、逆に自分の苦しさを誤魔化そうとしている場合が多い。

この日の高橋の笑顔はまさにそれに良く似ていた。自身の無さの現われでもあった。

、0-2とリードされて、無死1・2塁で、ボールカウント、ノースリーとなったところで歯を見せて次のボールが外れストレートの四球。

アナウンサーも「笑顔は見せていますが・・・」

そして4番藤原に走者一掃の3塁打(記録は2塁打と転送の間の進塁)を打たれ、直後の初球を5番高橋に本塁打される。さらに次の6番森本に三遊間を破られ、この回1死も取れずに降板。しかしライトに回ってやはり笑顔。

こいつはアホか。

本荘・尾留川監督のモットーは、「礼儀正しく爽やかにプレーを」という事だが、あの笑顔は一体なんだ。

結局は天理を2点差まで追い詰めるも5-7で負ける。

第3試合の南陽工も、田中のボールダマに手を出しすぎだ。

随所にいいチームである事が分かるプレー(というより積極性)があるのだが、試合巧者にはなれなかった。

2回表4-0となっての1死1塁で、駒大は送りバントを決めたが、消極的過ぎる気がした。

これが元でもつれる展開となるが、しかしこれがゆえに勝ったともいえる。

荒れた試合展開にならないよう、引き締め続けた。

本来は、4-0のあの場面で送りバントしないで、強行して、意気消沈している相手をつぶす可能性は高かったが、まかり間違って、不運な当たりや流れとなってチャンスをつぶすと、全く予想できない展開が待っていたりする。現にそうなった。

だから、今大会見ていて、チーム全員の打力が一番、次に投手の最低限のスピード、そして機動力と緻密な攻め、さらに守備力。結局は総合力であり、随分と当たり前の結論になってしまった。

田中の165球・6四死球・14奪三振は、褒められたものではない。

三重の怪腕・梅村は、9四死球・5奪三振であった。

明日は東北対九州が2試合ある。

もちろん応援するのは決まっている。

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2006年8月10日 (木)

ある俳優

俳優のインタビューをするのは実は好きだ。

そして少々の自信はある。

なぜなら、たぶん自分の中にある、「生きる」方程式と、似た部分を操作しながら、その成功例を少しでも勉強させていただく、というこちらの目論見に、残念ながら、まんまと彼ら、彼女ら「俳優」というものは、乗ってきてくれる。

そういう商売だから、という悲しいサガを見るときもあるし、それは人間が生きて活動する、むしろ根源的な、それでいて俳優にしか許されない特権だから、という羨ましさとして実感するときも両方ある。

いずれにしてもオレは、俳優というものが好きなのであろう。

俳優以外には、この手法は、あまり通用しない。

とはいえ、一般の人でも、何でも、その世界で「有名」(商店街のリーダーとか、囲碁の集まりで強いとか)であることに、照れと誇りがない人はいない。

ねっとりと絡みつくようにオレを睨みつけ、全く(インタビューアーとして)信用などしないぞ、と構えている人でも、「生きる」という活動は、他人の中に証拠を残す、記憶として刻印する。それが出来れば、自分のイメージする姿に近いものとしてあって欲しい。そう願っているものである。

せめて、このオレに、わかって欲しい、と思ってもらえるように、つまりは、オレに対して、「こんな奴に何を言ったところで、どうせ分かりゃあしないだろう」と思われさえしなければ、糸口はあるという事だ。

それだけ孤独に、モノ欲しそうに、人間に興味を失っていない姿勢を、身体からオレが発していなければならない。

そのことに多少は、人よりもお節介で、人よりも興味津々屋だ。

色々な人のインタビュー記事を読むのも好きだ。

その取材にどれだけ時間をかけているか、何を目的としているかを、しっかりと読み取り、対象(俳優)の妙、より以上に、書き手の温度と粘り、生き様を見ていく。

少なくとも、それほどに、いいインタビューはない、と我ながら思う。

これは、世間知らず、恐いもの知らずの戯言だと思ってくれ。

しかし、今日インタビューをしてきた俳優については、妙に、戸惑った。

何でかしらないけれども、インタビューする側のオレを、かっこよく見せたいとか、知ってもらいたいみたいなおかしな感情を抑えるのに苦労した。

それはどういう事かと言うと、彼について、知っていたつもりが、やはりたった今、目前で会っている最中にもかかわらず、「あまり知っていない、うまく捉えられていない」という自分を発見していたからである。

波長が合わないという人はいる。それはそれで「そういう人である」という認識でもって、逆に落ち着くものだ。合わない波長ならば、その波長を、あるがままに、吸収すればよい。自分の得意としない波長である事が既に手がかりでさえある。

だけど、今日の彼は違った。

波長がないのだ。いや、性格には、波長を出していない。

波長は、演技の上でしか出さない、しかも本人の資質からというよりも、技術的な積み上げで出す。ならば職人肌かといえば、半ばそうであろうけれど、そのことに徹しているという思い込みを持ってはいない。

たとえば大スターの高倉健でも、会っていれば、波長は出る。出すものである。

説明不要であっても、サービスとしての場合もあるし、寂しさ、惚れっぽさのせいもあるだろうし、相手(インタビューアー)に、「我」を見せてしまうものだ。

その事は合った事がない高倉健についても、会う前から分かる。

そのぐらいの自信がオレにはある。

どうってことのない話を書いているのではある。

「我」をうまく見え隠れさせてしまうのが、それが役者の役者たるサガであり、役者冥利でもあるからだ。一般の人はそれが下手で、実業で金をもうけて生きる。

目に見えるもので相手を威嚇して生きていく。

全くプライベートに三船敏郎さんと何度か会う機会があったが、彼ほどに、気配りしながらシャイで(逆に言えば「我」もなければオーラもない)おとなしい人はそうはいない。

だから、彼の映画での演技を見て、びっくりする。

他の人は、(何度も名を挙げて恐縮だが)高倉健でも、池部良(何度かやはりプライベートにあったことがある)でも、ほとんど無名の俳優でも、見せたい自分はいるし、それがためにこの稼業に入ってきたのではないか、という当たり前の前提がある。

まあ、しかし目立ちたくない人というのはいる。

妻と私も結婚して20年目に突入したが、もともと水と油である。

似たもの夫婦というが、似ていない夫婦もいる。

要するに、人前で話をしたり、自分の名が(こういう文にさえ)でることが嫌なのだ。

その代わり、人に対する興味も、世間知に関して必要と思うことに関してさえ薄い。

だからオレの連載の文章も読んでいないし、出した本さえ読んでいない。

その彼女の口にする話とオレの世界(たとえば高校野球とか、たとえばⅤシネマ、ギャンブルといった男くさい世界)が交差する機会はあまりない。

旅行で言えば、彼女の念願は、オーロラを見に行きたいわけであり、オレはマチュピチュに行きたくて仕方がない。

エジプトにピラミッドを見に行ったけれど、そんなに彼女は面白がるわけではなかった。スペインもしかり。子供の頃から天体望遠鏡を見るのが好きだったというから、亀田興毅の試合も、ワールドカップ(サッカー)も、WBC(野球)も、もちろん競馬もみない。オレはニュースを見て、彼女は天気予報を見るのが趣味だ。

オレは天気なんてみたことがない。

その彼女と、何故か交差した俳優が、今日の彼である。

マルちゃんといえば、普通は、ゴルフの丸山あたりを想像するであろうし、オレなんかは、千葉経大付の三番バッターの「丸」君を想像する(このこと自体が少々異常ではあろうが)けれど、彼女と生活していると、その意識が写ってしまうと言うか、まあ、別の人である。

渡瀬恒彦とかたせ梨乃の出るドラマを、興味もないはずなのに、XPでDVDに収める。

そんな中で、「劇団演技者」という番組も、しっかりと、永久録画保存しているのである。

父親が、焼き鳥やだか居酒屋のチェーン店をやっていて、「忠」という字は代々「名前」に入れる事で受け継がれているとか、「ニュース」に比べて、彼らはかなり早い時期から活動していて、Rという人(彼はニュースにも所属)など98年の時点でまだ140センチしか身長がなく、良く伸びたものだ、とかオレとしては無用の知識が、耳に入ってくる。

彼女にとってのオレの書いてる本みたいなものだ。

で、今日の俳優なのだ。

彼女が興味を示すものと、オレのコテコテ趣味の中の一部が合致するとき、それはたいていは、世界大(要するに小さな蛸壺の内輪な通用の仕方ではなく、何の前知識がなくとも何処にでも通用するという事)のサイズの人が多い。

彼もまたそうであった。

彼をインタビューしていての焦りは、女房に対する20年暮らしてもなお捉え切れていない「分からなさ」が、彼の中から現れ出ていたのであろう。

凄い俳優だ、などと陳腐に語ると笑われるが、今からインタビュー記事をまとめるに当たり、相当量の格闘をしなければ、これは手ごわいと思った。

いつも格闘しているけれど、たいていは、人間力を使って、へとへとになるほどの経験知と身体感覚であるから、何とか言葉は出てくるものだ。

だけど、20年暮らしても見えない領域の様な、北極のオーロラの様な、宇宙の人の様な、静止画像の様な、円周率の様な、解けない回答を迫っておだやかに佇んでいる、こういう人に対しては、何が出てくるのだろう。

顔がふけないというより、地球サイズでの年の取り方ではない、

冷静に自分を目立ちたがり屋だ、といっていたが、今はそれを役者として以外にはあまり発揮する必要がなくなったのか、そしてその立ち位置が確立されたのか、やはり穏やかであった、というのが印象だ。

どこかでアピール(営業行為)をしなければ、ここまでの道のりはなかったであろうと思うし、そういう必要を知らない人間でもない。むしろ敏感に察知する、しかしすばしっこい嫌らしさがない。

「目立つのが嫌いだ」といって、微妙に目出させたり、「俺の話を聞いたって面白くないでしょう」といいながら、目いっぱい語りたい詰まんない話をしたり、「人と同じことをしない」というわりには、そのスタイル自体がかなり役者にありがちなスタイルだったり、そういう人は無数に見てきた。

彼は、「目立ちたがり屋」だといって、そしてそのことはしっかりと把握できているのだろうけれど、最もそれが、このインタビュー内のパフォーマンスとしては出さない。

それは非常にかっこよく、礼儀として人間的な気がした。

人間は根源に役者的なグ郡があると冒頭書いたが、実際に人類の全員が役者になっては、それはいけない。むしろそういう意味では、人間は役者になどなってはいけないはずだ。

その事を知っている役者ではないか。

知らないからこそ役者をやっている人ばかりの中で、彼は知っている。

伝わりにくい言葉しか、今のところ出てこないけれど、そういう人に、今日、会った。

『ゴッドファーザーPART3』という映画のラストで、アル・パチーノは大きく叫ぶ。

呪いの言葉を声に発したといってもいい。

しかしそれは役者特有の叫びだった。

アル・パチーノもまた充分に役者であった。

「うぉーっ」

尾崎豊に「米軍キャンプ」という歌がある。

この歌の最後でも尾崎は絶叫する。

「うぉーっ」

♪お前はこの街を呪い、かたくなに夢を買占め彷徨っているだろう

アル・パチーノが叫んだあの叫びを、今日あってきた「彼」の演技で何度も見た。

オレも今。

実は叫びたい。

それは、どちらかというと、尾崎豊のほうだ。

「彼」の繊細さは、オレの物書きとしての人生を変えるかもしれない。

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2006年8月 9日 (水)

打撃戦全開の中で、悲劇の関西

関西と書いて、「かんぜい」と読む。「かんさい」ではない。

岡山県岡山市のチームだ。いつのまにか岡山県の圧倒的な顔となった。

勝ち星も倉敷工業に次ぐ2位で、岡山東商に並ぶ17勝だ。しかし負け数は、14(今日で15)で、岡山東商の18よりも少ない。

この負けのここのところの3つが切ない。

高校野球の歴史上、最も悲しく、可哀相なチームになったのではないだろうか。

昨夏、10-4で迎えた8回、京都外大西に6点とられて追いつかれ、次の9回には決勝の2点を追加され、10-12で負けた。リリーフした好投手ダースは、前の試合の一回戦では自責点ゼロで、9回まで投げサヨナラ勝ちを引き出したのだが、この試合は2回途中から登場して、最後は思わぬ滅多打ちに遭い、泣き崩れた。

そしてセンバツは、早実との死闘を演じた。

4-4の延長15回を戦い抜いて、引き分け再試合となった翌日は、1点リードで迎えた、9回、1死1塁で、ライト前ヒットを打たれる。そしてライトの熊代は後逸し、打者走者までホームインして逆転される。

この2試合とも、しかし相手は表の攻撃で、まだ裏に逆転の期待はあった。

ところが今度は、まさに完全にひっくり返されての逆転サヨナラ負け。またしてもダースの涙を抑える帽子の姿が、これ以上になく、もう帰ってこれるチャンスはない最後の夏である事も悲劇性をました。

去年からクリンアップを打っていた四番の安井は、今大会、注目されているバッター堂上(名電)中田(大阪桐蔭)にも引けを取らない、魅力満々のスラッガーだ。

それだけではない。1番から9番まで切れ目なく鋭い振りの、しかもチャンスに確実に打つ勝負強い打者が揃っている。

この傾向は、今年のほとんどの出場チームに言える。

二線級の投手が出てくれば、間違いなく滅多打ちに会って、大量点となる。

主力選手だけでなく、下位打線までが強烈な振りで、競合ともなれば、代打の3人目までどころか、18人全員の振りが徹底的に鋭い。

1日目、3試合の勝ったチームが全部10点以上をたたき出している。

2日目の第1試合では、清峰(長崎)が22点を挙げた。このチーム、去年から関西や横浜、駒大と同じく、凄いレベルのチームを作り上げてきているが、21点を決勝の横浜戦で取られたそのお返しみたいな事を、この1回戦でやってのけた。

今日まで全11試合の、1試合の平均得点は15点である。

ルーズベルト大統領が、たまたま見たヤンキース戦(だったと思う)で「8-7」の試合が一番面白いね、と語ったのが、面白い試合の定説みたいになっているが、15点という事は、まるで11試合連続8-7の試合が行なわれているようなものだ。

今日だって、関西の中村とダースコンビは、注目の投手であり、特にダースは実際148キロを投げていた。相手の文星芸大付属(元宇都宮学園)も、2人目の佐藤投手などは、そう簡単に打てない低目の直球を持っていた。29イニングで32三振。かつ1四球は敬遠のもの。まだまだ期待が持てる。

第2試合の今治西にしても先発はマックス143キロだ。このチームには50発男(練習試合も含む)がいて、今日も腕っ節の強さで初球をライトに持っていった。

第3試合の倉吉北は、3人の2年生投手がいた。今日は2人だけだった。二人目の篠塚投手は144キロを投げる。落ち着いた制球力もあった。県予選での12イニングで17奪三振は、伊達ではない。もったいなかった。サヨナラされるとは思わなかった。

そして、第四試合の八重山商工と千葉経済大付属は、どちらも横綱大関クラスの力を持っていて、最後の優勝マウンドにいてもおかしくない2人の投げあいだ。

さらに八重山には、背番号四番をつけて、小柄な(発表は170センチだが、どう見ても165~6ではないか)選手がいる。いかにも小技が聞いて、守備の上手い2番打者か、もしくは6番当たりで足でかき回すうるさい選手かと思うだろう。セカンドではなく、1塁を守る。いや、センバツを見た人なら、覚えていると思うが、これがとてつもない強打者である。1回戦でホームランを打ち、この金城を中心に、全員が振りぬいてつるべ打ちをし、2回戦では、優勝した横浜を最後サヨナラかという場面まで徹底的に追い詰めた。

この選手が、選抜を決める神宮大会ではエースの代わりに投げぬき、そして今大会も、やはりエースの後を平然と出てきて、140キロを越す球を投げていた。

エースはもちろん、今大会のBig4田中(駒大)中田(大阪桐蔭)堂上(名電)斉藤(早実)に次ぐ5番目の注目選手である、大嶺だ。

「熱闘!甲子園」でもこの5人をピックアップしていた。

こんなチームは怖いに決まっている。

18,13,15,10。

この数字がなんだか分かるだろうか。

この日負けた4チームのそれぞれの編んだ数である。

負けたほうのチームがこれだけのヒットを打っているのだ。

じゃあ、全部で何本打ったか。

117本だ。

同じくプロ野球でも四試合が昨日は行なわれた。

全部でヒット数は、82本。

35本も多く飛び交っていたのだ。

しかし、何か因縁というか、歴史は繰り返すというように、チーム自身の記憶を呼び覚ますかのような出来事が起きる。

21点を取られたチームが22点を取り返す。

さらに、デジャブみたいな事が起きたのは、今日の第1試合、関西―文星だ。

早実のライト前を後逸した関西が、この日の2回表、0-0で迎えた2死2塁。七番川辺の放ったセンター前ヒットに、文星のセンター(四番打者の)妻沼は、後逸してしまう。大詰めの9回ではなかったけれども、かつて自分たちが見た悪夢を今度は相手に見たのではなかったか。球はフェンスにまで転がり、打者走者までが生還し、2点を先取される。この直後、またしてもセンターを襲う打球にダイビングして抜かれ3塁打となり、そのあとのヒットで3点目も取られる。

以後の展開は以下のとおり。

3日目第1試合

関西

10

18

文星芸大付

4×

11×

16

190センチの長身ダースは、今度こそ、玉は少々上ずっていても、押さえる寸前まで行った。9回浦、2死ランナーなし。スコアは10-9。れふとのファインプレーで、3塁走者を犠飛にする1点差で何とか食い止め、あと一人となった。

次の妙な転がり方をした投手ゴロに、ダースは1塁へ悪送球する。

サヨナラを決めたのは、先制点の場面で後逸をした妻沼だった。

文星の監督は、「勝てるような雰囲気ではなかった」と試合後に語った。

普通は強気で、こういう発言はしないが、実際にそうであるのが傍目にも分かった。

リリーフした佐藤祥は、とても次の会を投げられるような状態ではないほどに興奮し、泣きじゃくっていたのだから。投球練習もせずに、ベンチから泣き顔で見ているだけが精一杯で、他の選手も、負けムードでしかなかった。

兆しは何も見えなかった。

ダースと関西には悪いが、自滅といってもいい。

監督も「速い球でも単調では、打たれるのは仕方のない結果だ」と語っていた。

ダースは、「ほんとにもう、仲間に悪いです」

この投手。去年から、浮いているという言い方とは智逢うが、素質にも恵まれ、圧倒的な逸材なのに、悲運というか、自ら可能性を見過ごすような、変なひ弱さがにおっていた。ナインとも、仲良くやり、より以上に強く勝利も目指しているのに、空回りというか、何か違う素材としているような感じがした。外国人(あるいはその血が混じっている)というだけなら、ダルビッシュはじめ、過去にも随分いるが、ダースは、「立派過ぎる男」ではなかったか。日本人の遠慮とは違う、本気で引く力を、何故か発揮するところが合ったのではないか。

この関西の悲劇性をその中心で引き受けるような力があったのではないか。

相手の文星は、県大会で優勝し、講師ね出場を決めた直後に、1年生部員が絡む暴力事件が発覚する。出場も危ぶまれた。灰色の匂いが漂った。

監督はといえば、春には、「甲子園出場がない」との理由で、学校幹部により女子高への異動が決まった。社会人野球の現役選手が、次期監督として決まっていた。そのニュースを知った選手らが、1週間で1万3000人の書名を集めたという。

こういうチームは神がかり的なものを持って、甲子園にやってきている。

どこか負けない匂いがある。奇跡の逆転を起こす土台と理由が隠されている。

駒大苫小牧が、雨天順延で八点差つけて勝っていたゲームをノーゲームとされ、また暴力事件や優勝メンバーを含む卒業式後の飲酒喫煙事件といった不祥事、監督交代及び復帰劇。

どのチームにも物語が控えている。

関西は、「甲子園」(週刊朝日増刊)を読むと、地方大会の岡山理大戦で、チームは追い詰められたと書いてある。

<好機を併殺などでつぶし、リズムに乗り切れない。けん制死した選手がベンチでヘルメットを投げつけるなど、チームの雰囲気は最悪。>

監督は、「野球をする以前の問題だ」と選手たちの姿勢から問いを発した。

それでもダースの球は、気持ちの揺れが現れて、気が高まると、ボールも高くなった。

第四試合の八重山―千葉経大付の戦いは、ここでもデジャブを見た。

かつて、ダルビッシュを擁する優勝候補ナンバーワンの東北に土をつけたのが、千葉経大だった。1-0とリードした東北は、9回2死3塁まで追い詰める。

変な打球が3塁に転がる。雨が土砂降りで、次の試合は翌日に延期となった。そんな9回での出来事だった。3塁はやむをえないようなエラーで同点とされ、延長で逆転される。

この試合でも、6-7と逆転された後、なお1死2・3塁で、八重山の打者の放った打球が、3塁へとおかしな転がり方をしてグラブを避けるようにレフトへ抜けていった。

ダも誌のもう2点が入って、結局6-9のスコアだ。

この日、関西と共に9回2死無双者まで行きながら、ゲームをひっくり返されてしまった。

神がかりはどのチームについているのか。

明日の第1試合には、春夏あわせて51回登場の県岐阜商が登場する。

春も夏も優勝している。

相手もまた春も夏も優勝している智弁和歌山だ。

関西もそうだが、智弁和歌山も地方大会の打率は低いが、実は、甲子園に照準を合わせて、打撃力を高めてきている。見ものである。

というのも、文星や駒大が不祥事をばねにしているところがあるように、この岐阜県も、先日、裏金の処分に困って、500万円を焼き捨てたという事件が発覚した県だからだ。

岐阜県庁は、94年度だけで、4億6600万円の裏金を作ったと、前知事の梶原拓という男が、悪日もなさそうに発言している。

もちろん税金を使ってのことだ。

岐阜といえば、今年のセンバツで、準決勝まで行き横浜に敗れ去った強豪の岐阜城北がいる。

県岐阜商は、この岐阜城北に、去年の夏は、準決勝で8-10で敗れ、秋の県大会の決勝でも逆転負けを喫して、結局はセンバツ切符を逃していた。

そして迎えた今夏の県予選だ。

7月27日各務原市民球場

岐阜城北

県岐阜商

3×

9回裏、県岐阜商2死一、二塁。

岐阜城北の尾藤竜一が投げる。打った。長尾雄人の打球は、レフトへの劇的な逆転サヨナラ3ランホームラン。

このとき、喜んだ県岐阜商の選手がグラウンド内に駆け込み、走者と交錯する、という出来事が起きる。

岐阜城北ベンチは、アウトではないか??と抗議し、試合終了の整列を拒んだ。

結局は、折れて、35分後に整列した、という。

そして第四試合には、福知山成美も登場する。

野球部の1年生部員が今年5月、学校の寮で同級生に暴行していたことが8月1日に発覚。

ドラマをどう生むのか。

見所といえば見所である。

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2006年8月 8日 (火)

亀田のオヤジと甲子園。

亀田興毅の親父がほえた。

噛み付いたやくみつるも、きっちりと批判したやしきたかじん(どっちも「や」で始まる平仮名)も、なかなかなやくざだ。

ところで、普段は行儀のいい事を言っているインテリが、ここで亀田の親父の側に回っては、只じゃ置かんぞ。

おまえらな。守られた中で行儀悪いことするんのと、たたかれるしかない中で、もともとの行儀の悪さを通すのとはちがうんのやで。

有馬文部大臣(当時)はかつては東大の学長だった。こいつが、教育テレビに出て、子供に「文部大臣ってどんな仕事をするの?」と聞かれて、大人げもなく、学術的な(大人が聴いてもわけの分からん、要するに俺は偉いという)ことを語っていた。しかも腹を立てて。あれをもう一回放送しろ。オレは一度録画していた毛で、消しちまった。

オレはいいけど、見ていない奴がもっと沢山いる。

亀田のオヤジよ。行儀悪いのは、しかし、何処の世界でもアカンのとちゃうか。

オレはな。「礼儀」とは、相手を怖がらせないとか、少し取り組みやすいと思わせるような人ほど、そのポイントが高いと考えている。

お前は礼儀がないという事に関して、あんまり恥ずかしがらんようやな。

『仁義の墓場』と言う映画(監督は深作欣二)で、渡哲也扮する狂犬ヤクザが、親分に縄張りをせびりに行ったとき、死んだ女の骨を骨壷から出して食う。これは、逆の意味での恐喝方法である。当然、オレにとっては「礼儀」知らずな人間でしかないのだが、こういうシーンを、たとえば『男はつらいよ』を嫌うようなインテリたちは喜ぶのだ。

しかし、まさに暴力的なのだ。これが傍流ではなく、いまやVシネマをはじめとして一色に染まっている。もちろん、不親切や説明不足や不寛容を、一種の暴力であることとしてわかった上でやっている。その決着は、亀田のオヤジや鈴香容疑者は、自らの身体で払う。

だがよ。インテリはよ。口先で快哉を叫んでも、一緒に腹を切らんだろう。

吐いたツバ飲もうったって、そうはいかんぞ、こら。

けど、目上の人に敬語を使わないで何が悪い? という議論は、かつてあった「人を殺して何が悪い」という議論とそう変わらんのとちやうか。

何か、その発言者に対して、言い返しにくさがある。

その理由はなにか。やましさか。

悪への憧れか。

亀田のオヤジとガチンコする事でしか、分からないのではないか。

守られた中では平気で「ヤクザ」を張るインテリたち。

そこに答えはないよ。

ところで、先週の月曜に延長15回、226球を投げ、0-0。

翌8月1日(火曜)の引き分け再試合で、148球を投げた仙台育英の2年生エース。

水曜日には、仙台から大阪入りし、翌日の木曜日、抽選会があった。

そして引いたくじが2日目だ。

5日の土曜日には開会式リハーサルがあり、6日に開会式。

翌7日、当然のごとく先発し、115球を投げ完投した。

これだけの名門校でよく2年生がエースになれる、と思うが、

今大会甲子園出場校の中で、この仙台を含め、帝京、浦学など11校だ。

日大山形もまた2年生エースで初戦を突破した。

初出場校、優勝経験校の戦績も気になるが、2年生エースの結果もまた気になる。

今日もまた、関西、倉吉北、今治西と朝から3試合連続して2年生エースが登場する。

亀田のオヤジよりは面白いはずだ。

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2006年8月 7日 (月)

横浜たそがれ

びっくりした。

横浜が負ける姿をあまり想像出来なかった。決勝で駒大と死闘を演じるのだとばかり思っていた。

しかしこの最強チームを潰せるとしたら、この大阪桐蔭しかなかったのかも知れぬ。

その相手にいきなり初日の1回戦でぶつかるとは、お互い思わなかっただろう。

二〇〇三年に、明徳義塾と横浜商大、平安と日大三が初戦でぶつかり、さらに同じブロックに東北がいるという激戦区があったが、それを超える最悪のブロックとなってしまった。

横浜は、満塁で2度のゲッツーという攻めのまずさもあったけれど、接戦を経験してこなかった地方大会も今にして思えばまずかったかもしれない。たいていは、別のチームとの1・2回戦でそれを経験して、大阪桐蔭などのライバルとあたるものだが、そうはならなかった。

白樺もゲッツーで相手に流れを寄せてしまい、その裏に逆点劇を生むけれど、実際は、地区大会ノーエラーというのが嘘の様な危ない守備だった。

試合前に捕手が右足剥離骨折というアクシデントで、バッテリーが中学以来のコンビであった事も、動揺を誘ったに違いない。

攻撃のほうは見事だった。

しかし決してエラーがらみではなかったけれど、幸運な得点劇だと思った。打棒の凄さを見せ付けることには抜群であったが、いかんせん投手陣が、せめて高知商の2番手に出てきたくらいの球を持っていないと、少々の強い相手には通じないのではないか。

この日の3試合を見て思うのは、いまの全国レベルの豪快な打線を抑えるには、1・5流の投手の継投ではもはや駄目だ。せめて最速140キロを超える球と、制球力が必要だ。

それにしても大阪桐蔭のリリーフで出てきた背番号1の松原は、どうしようもないところに追い込まれていた。四死球四つで押しだして3点差に迫られ、なお2死満塁で1番の白井がショートゴロ。この白井と4番のキャプテン福田、7番の下水流。この3人が、固かった。

その裏の大阪桐蔭の3、4番が連続してホームランを打ったときには、八十三年のPL-池田戦を思い出した。

夏春夏の3連覇を目指す池田高校は、磐石のエースで四番の水野を擁して、準々決勝で事実上の決勝戦といわれた野中擁する中京戦を制し、もはやあと二つの花道のはずだった。

かつて逆転のPLという名門が、まさかここから新しい歴史を始めるとは思わなかった。

古豪復活というよりも、全く新種のチームだった。池田が切り開いた打棒の甲子園の新型を注入したような、その始まりがこの池田戦だった。

二回、2死から水野を打ち込んで、7番の小島に2塁打を打たれ先制される。

なお2死2塁で、8番9番に連続ホームランを打たれるのである。その8番打者が1年生エースの桑田だった。

桑田のホームランには、確か「歴史が変わった」とアナウンサーが絶叫した。

昭和52年、東洋大姫路に延長で2死1・2塁四番にサヨナラ本塁打を浴びた東邦の1年生エース、バンビこと坂夲以来のヒーローだった。

坂夲は、この決勝までで満足感が漂う、爽やかさとともに、あっさりとしたヒーローで、一方、桑田のほうは、これがまだ歴史の始まりと予感させるにふさわしい本格派投手で、しかも、バッティングセンスも同じ1年生で四番を打っていた清原以上に目を見張らせるものがあった。

ここで、昨日開会式前に予想したベスト八を、やりなおす。

ブロックごとに正確に予想する。

開会式で、優勝経験校が17校といっていたので、自分が調べた16校と違っていて、あれ?? よくよく調べたら、三重高校が春のセンバツに優勝していた。

Aブロックは、青森山田を打ち破って、次の駒大苫小牧に今度はコテンパンにやられる。

Bブロックは、桐生第一が東洋大姫路を最小失点(つまり1点)に抑えて勝つ。

Cブロックは、帝京が如水館、福岡工大城東と連続して打棒爆発。しかし多分ここまで。

Dブロックは、高知商を日本文理が手足をもぎ取るように軽くたたいて春に続いてベスト8。高知商の野球はこれでは甲子園では戦えないと、逆に日本文理の野球に活路を見出すのではないか。

Eブロックは、早実が清峰を上手い逃げ切りで制する。ある意味、最も高校野球らしいオールドファンの喜ぶ試合が見られることだろう。

Fブロックは、仙台育英が関西を撃破。名勝負になるのではないか。

Gブロックは、八重山商工を上回る打撃戦を制して智弁和歌山。

Hブロックは、愛工大名電を天理が打ち破る。名電投手陣の奪三振率の低さは、Hブロックの初戦から危ういものがある。

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2006年8月 6日 (日)

とりあえず開会式

おかしいのは、(昔からだが)ブロックがまちまちで、運不運がある。

ベスト32にするために49代表から17チーム負けるわけで、そこから32チームでトーナメントを戦う方式だけれど、せめて、1回戦を勝った同士をぶつけずに、2回戦から登場チームとぶつけるようにしないと、2回戦同士のブロックは、弱いチームが固まると、するするとベスト8まで行ったりする。逆に1回戦ブロックに入ると、今回の横浜と大阪桐蔭がぶつかってその勝者が、たぶん早実とぶつかって、それを勝ってもまだベスト16だ。一方、駒大は毎年美味しい位置からスタートだ。

SS:横浜、
S:早稲田実、駒沢苫小牧、

A;大阪桐蔭、清峰、関西、八重山商工、仙台育英、智弁和歌山。
B:千葉経大付、今治西、桐生一、福知山成美、東洋大姫路、天理、高知商、愛工大名電。

C:浦和学院、帝京、熊本工、青森山田、金沢、日本文理、文星芸大付、甲府工、静岡商、福井商、県岐阜商、八幡商、関星、如水館、徳島商、福岡大城東、福岡、南陽工。

D:白樺学園、専大北上、日大山形、松代、三重、倉吉北、香川西、鶴崎工、佐賀商、延岡学園、鹿児島工光南、本庄。

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2006年8月 5日 (土)

亀田興毅

亀田について一言書かねばならないのか?

ボクシングの起源は古代ローマ時代とも言われる。観衆の人々が作った輪の中で行われたことから四角い形に変わった今でも「リング」と呼ばれる。

二〇〇四年のアテネ五輪からは、女子レスリングが新たな種目として採用され、ソフトボール(女子)を野球(男子)と対と考えると、男子のみの競技は、ついにボクシングただ一つだけとなってしまった。

それほどにきつく恐ろしい競技といえる。

スポーツ評論の玉木正之は常々、野球を甘く考えてはいけないスポーツのたとえとして、「死球を食らえば死ぬ危険のあるスポーツですから」という。

函館オーシャンの久慈次郎(社会人野球の「久慈賞」のあの久慈)は捕手の牽制球で死んだけれども、実際死球で死んだシーンなど、メジャーリーグを含めオレは知らない。

しかしボクシングでは、他のスポーツに比べて圧倒的に死の危険度が高い。八二年に金得九がレイ・マンシーニに倒され死亡後、世界戦が15ラウンドから12に変更されても、死亡事件は、その後も起きている。危険なのだ。

ボクシング気狂いとしても知られた劇作家の寺山修司が監督した映画『ボクサー』では、延々と、ボクサーの名前とその不遇とが語られる。それが当たり前だとでも言うように。

元全日本ウエルター級チャンピオン熊谷二郎。昭和十八年、満州国新疆自治区の留置所で発疹チフスにかかり死亡。

元全日本ライト級チャンピオン佐藤東洋。昭和二十年、復員の途中で死者もろとも川に転落し死亡。

元フェザー級世界十六位橋本淑。昭和二十二年、有楽町の橋の下にて死体となって発見。

元東洋フェザー級チャンピオンピストン堀口。昭和二十五年、馬入川鉄橋で汽車の轢かれ死亡。

元フェザー級秋村竜三。昭和二十五年、兄を殺したやくざを射殺して自殺。

元ウエルター級高橋治。昭和三十六年、新宿の下宿で、就寝中、飛び込んできたトラックに轢かれて死亡。

元世界フライ級チャンピオン大場政夫。昭和四十八年、自家用スポーツカーを運転中、高速道路でトラックに衝突して死亡。

さらに「栄光のリングから留置場へ」「王座奪われ酒びたり。ポケットに五円玉一枚」「練習ボクサーが競馬でノミ行為」などの新聞記事が映し出されていた。

減量をやめた少年が、ラーメンをすすりながら、「ボクシングは所詮、貧乏人同士の殴り合いさ。一体何が面白いんだ」。映画の中で、そう、吐き捨てていた。

そしてボクシングは、危険であるとともにハングリーだ。それもまた、時代がどう変わろうと、覆ることはない。携帯電話を持ちながらロードワークする馬鹿はいない。もちろん携帯電話が貧乏で買えないといっているわけではない。テレビを付けながら受験勉強する奴は、受験に対してはハングリーではない、と言っているのだ。ハングリーとは、貧乏や欠落を埋めるものではなく、徹底的に無駄を削ぎ、理想の自己に向かう行為であるからだ。

現在でも、「腹ペコ」の意味でのハングリーは存在する。

<毎日毎日、スーパーマーケットの出口に座って、スーパーから出てくるおばさんの買い物袋を見ていた。何か食い物が落ちないだろうかと思っていたのだ。そうやってスーパーの前に座っていたとき、出てきたおばさんの買い物袋からてんぷらのかき揚げが落ちたことが一度だけあった。それをパッと拾ってすぐに水で洗ってふやけたかき揚げを直樹(弟)に食べさせた。>

(「ちくしょう魂」坂本博之/小学館文庫)

しかし、その坂本博之にしても、抑圧された暗い世界から、開かれた、ただただ明るい光にあこがれた。

<誰と誰の試合だったかも覚えていない。だがキラキラ光るそのシーンは、おれの心の奥に鮮烈に焼きついた。とにかくボクシングというスポーツの舞台の華やかさに惹かれた。>(同)。

つまり食うこと以上に、誰にも縛られない自由な光を求めたのだ、
だから、オレの云うハングリーとは、金が欲しい、食欲性欲を満たしたい、権力を持って威張りたい、などといったことではない。そんなハングリーならば、世界チャンピオンになって、少々は満たされるはずだから、もう、やる理由がなくなるだろう。

たとえば古城賢一郎というボクサーは、血の気が多く中学から暴れていて、高校入学後一週間で<来てもらっては困る>(『テンカウント』黒井克行/新潮社)という経歴で“最も怖い顔を持つボクサー”とも言われた。

実際、ヤクザ映画に出てくる柄の悪いチンピラが思い浮かぶ顔だ。そんな雑草ボクサーが、赤城というアマチュア出身のエリートボクサーを倒した。赤城のような存在に追いつけず、あるいは追い越され、ずっと踏みつけにされてきた男が、その最も嫌いなタイプのエリートボクサーを破りチャンピオンになったのだ。だがしかし翌日、トレーナーにこう告げた。<先生、引退します。>(同書)。

ハングリーとは、少々の欲望では持続しないものなのだ。じゃあ一体、何のために防衛するのだ。その理由は、己の理想、すなわち自分が何者なのかの原型を探るためである。

『荒野の歌』(福島泰樹/河出書房新社)では、著者が必要以上に、多くのボクサーが父親不在の家庭環境であることを、ハングリーに結び付けていて、読んでいて吐き気を覚える。そのくせ、減量中のボクサーを前に、取材に格好つけて、自分ひとりがビールを飲み、焼肉を食べている。そういう馬鹿まねをしないという態度が、ハングリーの第一歩だ。

ボクシングは自己表現だという。

<リングの上でボクシングをすることが、自分を表現することであり、知らない誰かを励ますメッセージになっている。>(「ちくしょう魂」坂本博之/小学館文庫)

確かに、そうだろう。オレもまた、この本の中にしかいない。口下手なボクサー以上に、説明の仕様がなく、慟哭のつづれ折りを、書いている。

しかし、出来るなら、なぜこういう発言をするのかについても書きたい。そこには背景があり、なぜこういうパンチを繰り出すのかにもまた、背景がある。オリンピックも、その一瞬の輝きとともに、勝ち負けを超えて、選手の背景としての四年間がある。その四年間を知りたいように、一発のパンチの膨大な背景をもまた知りたいのである。

「有名大学を出た二十いくつ(歳)の奴が、こっちは六十(歳)過ぎで、それでも学歴だか何だか理由は知らんけど、俺を“オイ、オイ”と馬鹿にして呼ぶのがいるだろう。そういう教育やら何やらに向かって、俺はこれなんだよ」そう言って、握り拳を見せる輪島功一。

ハングリーとは、自己表現であるし、自己とは、根源探しでもある。少々のエリートへの憧れや嫉妬では持続しない握り拳の背景。古城賢一郎ではない何か。それが己のルーツ探しである。たとえ異端であれ、自分自身の正体を正直に知りたい。

正統でなくてよい。正統でなくとも、光り輝く舞台で強く刻印ができ、そして学歴だろうが、正統だろうが、それがいかに脆いものかを体現するための、心身ともに注ぎ込む探求状態のことをハングリーと呼ぶのである。ボクシングはあくまでもハングリーなのだ。

ボクシングを始めることで、己探しにどんどんと入り込んでいった輪島。では、そのきっかけは何だったのだろうか。輪島がボクシングジムの門を叩いたその理由。

それは、ある感覚を取り戻そうとしたからだと思う。

オレが上京してきて、まず思ったのは、肉体疲労の実感なく「稼げる」ということであった。レンタルビデオ業界草創期のバブル時代で、しかも車に乗っていたせいもあるが、ビデオ店が、どんどんとオープンし、口八丁手八丁の営業で、筋肉はどんどん不要になった。

それまでオレのやった仕事といえば、一通りの肉体労働(地下鉄工事、ビル建設、ホテルの解体、温泉の配水管清掃、すし屋、餃子屋の小僧など)に、最後は、汗だくになりながら、「お焼き」を焼いていた。どれがどうと差はなく、原理は、昼に体から汗を出し、夜に体にビールを入れる。新陳代謝して生きて、そして死ぬ。それが基本であった。

だから、この「肉体的な負担が少なく稼げる」という経験は、ちょっと自分を戸惑わせた。頭を使っているんだから偉いんだ。というような何か思い込みが必要だった。そうでなければ、この給料は割に合っていない。心身のバランスが悪い。そう思った。

輪島もまたそう思ったはずだ。

輪島の数年前、後に“連続射殺魔”と世間を騒がすことになる永山則夫もまた集団就職で上京している。しかし、永山の勤めた世界は、フルーツパーラーを手始めに、板金修理工、米穀店、喫茶店、羽田空港のターミナルホテル、クリーニング店、牛乳販売店と、それまで育った環境に比べ、身体的過酷さよりは、精神的ストレスとかいったものの方が、比重を多く占める性質の仕事に永山の目には映ったはずだ。知的な頭脳労働ではなくとも、システム化されつつあった単純な労働は、田舎での飢えをしのぐ、直接肌にのしかかってくる労働とは根本から違ったはずだ。はっきり言えば、バランスの悪い身体労働なのだ。そこでつのった都市のイライラが、ピストルに走らせた、とは穿った見方であろうか。

オレ自身が今もって抱える、都市への不信感というか、信用の置けなさは、まさにそこにある。現代社会で生きる以上は、この気持ちの悪い感覚から逃れることは出来ないにしても、多少なりとも是正したい。物々交換的な労働をしたい。はっきりと声を出して人間の関係を結びたい。そのためにも、オレも毎日、腹筋や腕立ては、やり続けている。

輪島が三迫ジムの門を叩いたのも、それが理由である。

「東京に来て、まずは自動車修理工。八百円の給料だ。安いけど別に給料に不満はない。ただ仕事が、先輩方が全部やって、俺は何もないんだ。タイヤ磨いたり、部品洗ったり。それが理由で土木工事に行ったのよ」。輪島は普段、体をもてあましていたのだ。

「もっと体を動かしたくってね」

<北海道は日本一の稲作地帯である。日本一の収穫高、日本一の耕作規模、日本一の生産性、日本一の所得、いずれも北海道稲作農民が手にしているタイトルである。>(『農協』立花隆/朝日新聞社)

平成に入って「きらら397」と「ほしのゆめ」というスター米を出現させた北海道米は、しかし、かつては不味いことで有名であった。それが品種改良の末に、やっと美味しくなり始めた矢先の一九七〇年に、生産調整が開始される。つまり、休耕田にさせられて、お金の援助だけは「してもらえる」のである。

しかし補助金など要らないから、米を作っていたいという農家。輪島が仕事のほかに、なお三迫ジムを求めたのは、体を鈍らせたくなかったからだ。それは北海道時代の、体に直接に響くという「生きている実感」を、必死になって取り戻そうとしたのではなかったか。

輪島は、なまった体を、ボクシングにぶつけた。しかしスポーツとはいえ、そこにもまた、北海道で味わってきた肉体労働の心地よさとはまた別の、精神的な鬱屈をもたらす仕組みが存在していた。

北海道という遠い地方出身のハングリーは、そのシステムに向かってもまた、ぶつけて、あるいは溜め込んでいくことになるのである。

相手のボクサーとももちろん戦うのだが、それより以前に、ボクシング環境と、システムと、さらに世界戦の場合、相手の国との姑息な手段とも戦う。仕組みの複雑さと敷居の高さも問題であるが、ホームタウンデシジョン(地元有利裁定)にまつわる、あらゆる攻撃と妨害とも戦わなければイケないところに、次元の低さがある。

試合前のボクサーの手を潰したり、リングのコーナーに上がるファイティングロードの道すがら人込みの中からナイフで切りつける興行師もいる。試合直前ギリギリに着く長い飛行時間のチケットをよこしたり、ホテルから試合会場へ二時間もグルグルとタクシーで迂回されたり、試合を自由にストップされ、尚且つ、明らかに不正なジャッジ。

三七年、無敗のピストン堀口がジョー・イーグルに負けたときは、堀口のバックについていた山口組がジャッジに不備があると大騒ぎした。六四年七月、フラッシュ・エロルデは、蔵前国技館で小坂照男にTKO勝ちしたとき、木の棒で殴られた。小坂サイドは、五九年、日大講堂での杉森武夫(興伸ジム)戦でも、判定負けしたときに、レフェリーに暴行している。帝拳ジム側のヤクザの暴行であり、「生命が危険」と審判部全員辞任騒動となった。吉田勇作レフェリーは、外国でピストルを突きつけられた経験を語っている。井岡弘樹の短いゴングしかり。最近も、日本チャンピオン戦で、裁定不服のナイフ騒ぎがリング上であった。残念ながら、これがボクシングの一面であった。「機構」という壁の外で、無駄な血が流され、無用の戦いを強いられ、翻弄されてきたのだ。

『ボクサー回流~平仲明信と「沖縄」の10年』(山岡淳一郎/文藝春秋)という本がある。この本のキーワード。それは間違いなく「沖縄から世界へ」である。そしてこの「沖縄から世界へ」という言葉こそが、悲痛なる叫びであり、甘くまた苦いフレーズなのである。

沖縄はボクシング王国で、IBFを含め、世界チャンピオンを七人出し、都道府県別でもトップの人数を輩出しているのだが、「沖縄のジム」からは平仲明信ただ一人である。つまり、出身は沖縄、ジムは東京というのが実態なのである。

「世界戦」と言うのは、チャンピオンが、世界ランク一位から十位の選手十人のうちから好きな選手を選び、その選手を相手として対戦するものである(実際には、日本と東洋のタイトルは十位以内だが、WBAでは、十五位以内もOKとし、WBCは原則十位以内、特例で三十位以内と規則がぼやけてきた)。つまり十位以内に入れば、世界戦のチャンスがある。逆にいえば、いかに上位であっても、世界戦を組めずに、チャンピオンへの道を閉ざされたままと言うことである。したがってこの、実力者が対戦できない不利をなくすために、ランキング一位の者は、無条件にチャンピオンへの指名挑戦権がある。

平仲明信が狙っていたWBAでは、ヘビー級をのぞき九ヵ月に一回、ランク一位との指名試合が義務づけられていた。

果たして平仲は、その世界ランク一位になる。後は対戦を待つだけだ。寝てたって対戦できる。ところがだ。これがやはり焦らしに焦らされ、平仲自らが、アメリカにまで動き、騙され、WBAとJBCに翻弄され、東京と沖縄との往復を繰り返し、純粋な練習以外ですでに疲弊させられていたのである。なぜそうなるのかは、ボクシングの「機構」が前近代的で、選手を苦しめるシステムである、としか言いようがない。

ボクシングの問題点は、試合をJBC(財団法人・日本ボクシングコミッション)が主催するわけではないことだ。プロ野球は「社団法人・日本野球機構」が、大相撲は「財団法人・日本相撲教会」が、中央競馬は「JRA」が、地方競馬は「自治体」が、それぞれ主催しているが、ボクシングは大手のジム、或いは新聞社、もしくは弱小のジムが集団で、かつ他の企業の提供や後援も仰いで開催するから、どうしても興行のプロが中に入ったりする。テレビの放映とも結びついている帝拳、ヨネクラ、協栄、三迫の四大ジムが中心となって仕切る。結果として、地方のジムがマッチメイクできない。

沖縄がいかにボクサー王国だといっても、沖縄ジムの平仲明信は三年かかった。弟の平仲信敏は、筑豊ジムへ移籍した。

北海道では、世界戦への道は、さらに険しいのである。

「俺が今、ジムをやっている理由は、若い者を教育したいだけなのよ。世界チャンピオンを育てたいとか言ったって、今は無理なんだよ。帝拳、協栄、ヨネクラ、三迫、そういう大きなジムに、アマチュアチャンピオンが、強い奴が、みんな行っちまうんだよ。俺は入札でやれっていってるんだ。帝拳は最初、ジムとコミッションと両方をやってたんだ」。

不満を爆発させる輪島。

帝拳の小坂照男は五九年、日大講堂での杉森武夫(興伸ジム)戦で判定負けした。この時、ヤクザがレフェリーに暴行した。「生命が危険」と審判部全員辞任騒動となった。(「激動のスポーツ40年史④ボクシング」ボクシング・マガジン社)

輪島功一は現在、日本プロボクシング協会(JPBA)副会長で、東日本ボクシング協会会長でもある。しかしなお、大手ジムの中央集権に歯が立たない。

『リングサイド物語』(郡司信夫/ワールドマガジン社)には、こうある。山口組三代目組長となる田岡一雄も名門ジム不二拳にわらじを預けていた。巨人拳闘倶楽部は、映画化もされた自称「銀座警察」浦上信之の作ったジムである、と。

以下は、『ボクサー回流』からの引用だ。一面の事実ではあるだろう。

<あくどい興行師のなかには、人混みでボクサーの拳をナイフで傷つけるものもいる。>

<試合用にチャンピオン側が手配し、送ってきた航空券は、東京をたち、香港、サウジアラビアのリヤドで乗り換えてローマに着く、ダンピングチケットだった。その行程は、三十数時間を要した。(中略)強力なスポンサーを持たない沖縄ジムは、資金力にも乏しく、航空券さえ目前で手配するのは難しかった。>

ヤクザな成り立ちで始まったボクシング界。それでも言いたいことを言う輪島。

北海道も沖縄も、収奪されるだけのボクサー産地にはなりたくない。その体制を少しずつでも変えていこうとするのが地方、或いは部外者(外様)扱いされた者たちのハングリーである。

♪前を向いたら遅すぎたので、後ろを向いたら早すぎました。

青森出身の三上寛が謳う『誰を恨めばいいのでございましょうか』という歌だ。都会に出て来た三上寛の戸惑いがもろに出ている歌詞だ。青森もまたボクサー産地である。『ボクサー』という映画を撮るほどのボクシング狂であった詩人寺山修司も青森出身であり、三沢の米軍基地がまた多くのボクサーを生み出してもいる。

青森から上京した永山則夫は、都市のシステムにもまれる中、前後不覚となって、ピストルを手にし、悪に走り出す。永山の四年前に上京していた輪島功一。

その時代もまた<後に永山則夫を生み出す怨念の土壌を醸し出していた。>(「60年代が僕たちをつくった」小野民樹/洋泉社)。

どこにも落ち着く場所のない中で、特に優れた才能があるわけじゃなし、可愛い顔をしているわけでもなく、しかし、ひとり、誰も恨まず、環境も、時代も、悪い土地も、何もかも認めて、ただただ、ひたすら。美しい物語を刻んでいった輪島功一。

永山になる者もあれば、しかし或る者は、輪島になったのだ。

「東京出て来て、住込みで月八百円の給料だ。四百円使って四百円貯めてよ。俺は結構金は貯めるほうなんだ。それで欲しかった上着と腕時計を買って、映画館に入ったのよ。そこで悪い奴にトイレ連れ込まれて、時計と上着と金を取られたのよ。ラーメン食おうと思ってた金までもよ」。そこでグレないところが輪島の真骨頂だ。

「もっともっと金貯めようと思ったのよ。働かざるもの、食うべからずなんだよ」

西成区にいった事があるか。住んだことがあるか。

言葉の世界で生きてる奴が、その「言葉」を使って、何を語りたいのか。

言葉ではなしに実感を掴もうとするところで快哉を叫んできた連中に混じって、。「言葉」に引きずり込んで、亀田に向かって、一体何を言いたいのか。

「今時、貧乏なんて無い」とかいう裕福者どもよ。

堀江モンやむ村上ファンドじゃあるまいし、質問攻めにしてどうするのよ。

長野五輪で原田が大ジャンプを飛んだとき、団体メンバーからもれたライバルの葛西は、その時のことについてこう語った。

「はっきりいいましょうか。みんな落ちろ! と思いましたね」

そういうことばかり語らせて、そうして今度は、鬼の首でもとったようにバッシングかい。

ジャッジの二人に聞けばいい。WBCのときの球審。ドウィエに勝たせた審判。

あるいはⅤ9中のセ・リーグの審判。立派な事をいうよ。

問題なのは、千葉すずを目の敵にしたフジヤマのトビウオとか、カズを外した岡ちゃんとか、仁志外しのあとは、今度は二岡に八つ当たりする男とか、安藤を強引に入れた城田とか・・・。

米倉宝二は、東京オリンピックにL・ウェルター級で出たボクシング選手だ。のち高橋組組員となって拳銃密輸に関わり逮捕。のち出所後再び逮捕されるも、八一年にカリフォルニア・ロンボック連邦刑務所を脱獄した(「脱獄記」JICC出版)。

拳闘が暴力に即、結びつくわけではないが、猥雑な匂いが漂っている。

二〇〇二年、東京国税局に申告漏れを指摘された「五木プロモーション」は五木ひろしの芸能プロダクションだが、元々は「野口プロモーション」所属であった。二億円を払って独立した。野口プロとは、もちろん野口ジムの野口である。

五木ひろしが「夜空」で、レコード大賞を取ったのは七三年。視聴率がピークに達した年だ。その数字四十七・八%。最も華やかな時代だった。伸び続けた視聴率は、翌年から下降を始める。野球が、一九五八年という長島入団の年に熱狂を提供し、引退の前年である七三年の巨人九連覇までの寿命であったなら、その間に、歌謡曲もまた、いわゆる大衆に最も愛された時代を経験する。輪島功一もこの年MVPを受賞。ハイセイコー、江川卓、相撲の輪島、キックボクシングの沢村忠、そして「野口プロモーション」。五木のレコード大賞には、野口所属の沢村忠が駆けつけた。

タイの国技であるタイ式ボクシング(キックボクシング)を日本に紹介し、ボクシング界に貢献した野口修は、もちろん野口ジムの会長である。野口プロモーションは、一九七二年、野口修社長の実弟恭をバンコクに派遣し、「野口キックボクシング・ジム」を開設。だが名称が悪かった。「キックボクシングジム」。これではタイ人は納得しない。「タイの国技を汚す」。同ジムにはピストルが撃ち込まれた。野口社長も関係者に殴られ、タイの新聞「タイ・ラット」もキャンペーンを始めた。日本製品不買運動が起きる。結局撤退した。ジム開き前日に開店したタイ大丸デパートでは、この騒動で爆弾予告もされた。

六四年七月、フラッシュ・エロルデは、蔵前国技館で小坂照男にTKO勝ちしたとき、木の棒で殴られた。王貞治も甲子園球場で試合後にファンから下駄で殴られたが、この場合はちょっと違う。小坂サイドは、五九年、日大講堂での杉森武夫(興伸ジム)戦でも、判定負けしたときに、レフェリーに暴行している。帝拳ジム側のヤクザの暴行であり、「生命が危険」と審判部全員辞任騒動となった。三七年、無敗のピストン堀口がジョー・イーグルに負けたときは、堀口のバックについていた山口組がジャッジに不備があると大騒ぎした。吉田勇作レフェリーは、外国でピストルを突きつけられた経験を語っている。実際、ワールドカップで得点を許したゴールキーパーが射殺されたりするのがスポーツだ。

韓国では金東聖(キム・ドンスン)が、二〇〇二年ソルトレークシティー冬季五輪で金メダルを取り消された。米国のアポロ・アントン・オーノにメダルがわたるのだが、これによりアメリカ製品ボイコット運動が起きる。短い井岡弘樹のゴングしかり。「世界一の銀メダル」篠原信一の「内股すかし」しかり。山下康裕の猛抗議。これがスポーツだ。

北海道のやくざの歴史もまた、一人のボクサーから始まっている。岩見沢生まれの長岡宗一だ。米軍基地で「ジャッキー長岡」のリングネームで戦っていたが、二十歳の時、「雁木のバラ」こと荏原哲夫の舎弟となる。以後、「北海のライオン」こと石間春夫と砂川の谷内二三男と三人で五分の盃を交わし、「

北海道同志会」を結成する。これが祖国へ帰りそびれた在日朝鮮人柳川次郎率いる「殺しの軍団」三代目山口組二代目柳川組の北海道支部となる。柳川組が山口組から絶縁となって、七〇年一旦は関係が切れるも、八五年に石間が山口組直参組長となった。ワシがちょうど大阪に住んでいたこの八五年は、山口組四代目組長竹中正久射殺事件以後、分裂した一和会との抗争の真っ只中であった。Vシネマ『北海道やくざ戦争・絶縁』二部作は、哀川翔がジャッキーを演じ、永沢俊矢がライオン、武蔵拳が谷内を演じている。谷内二三男は九〇年ヒットマンの凶弾に散った。

Ⅴシネマが、こういった世界を描けるのは、かつて東映がそうであったように、密接な繋がりがあるからである。山口組三代目組長の葬儀で、<スターのひとり田端義夫は、「五〇年代後半から七〇年代後半にかけて、田岡の世話にならなかった芸能人が日本にいるだろうか」と語った。>(「ヤクザ」D・E・カフラン、A・デュプロ/第三書館)

だが俳優は俳優、ボクサーはボクサー、哀川翔主演の人気ヤクザ映画シリーズ『修羅のみち』に、北海道出身歌手の細川たかしが出ている。演歌とボクシングとヤクザと三題噺みたいだが、「宴会部長」と言われる細川は、しっかりと演技し、飄々と、有象無象の世界を泳ぎきっている。これは、輪島功一も同じで、妙なズレ加減でもって、杓子定規の堅気の世界は笑いのめし、規律の緩い無法地帯では、きっちりとプロの芸を発揮する。それら猥雑なパワーの源は、まさに、かつてのボクシングその中にあった。

そして今も、こんな形で顔を出すとは、天晴れだ。

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2006年8月 4日 (金)

駒大、対戦相手決まる

駒大は、1回戦、山口県の南陽工と当たった。

春夏連続出場だ。

夏は炎のストッパー津田を擁して以来の出場で、少し怖い。

相手が山口県と言うとどうしても、北海道人にとっては下関商を思い浮かべてしまう。

全盛期の北海高(この三年前の国体では優勝。前年の甲子園では、ベスト8で惜敗など全国の名門の一角を形成していた)であった。

昭和38年のセンバツと言うから、オレは生まれたばかりだ。

前年から投げているエース吉沢と谷木で準決勝のPLに逆転サヨナラし、その決勝で、プロ野球永久追放されたあの池永相手に10-0で負けたのだ。

池永は夏も決勝まで進み、惜しくも負けるが、ナンバーワンチームである事に変わりなく、北海は、しかし唯一対抗できうる実力校であった。

<野球では不毛の地といわれた北海道勢の中で印象的だったのは、昭和三十八年春の第三十五回記念大会の北海高の大躍進だった。投手の吉沢勝(元巨人)を中心に、谷木恭平(立大ー中日)、高木和富選手らの長打力と俊足ぶりは圧巻だった。とりわけこの二人の快足ぶりは“北海のサラブレッド”の異名をとったほどで、五試合で二二盗塁のうち谷木が九個、高木が八個の盗塁を成功させており、準決勝の対早実戦などでは谷木が塁に出ると、スタンドから一斉に、「ゴーッ! ゴーッ! ゴーッ! 」と盗塁をせがむ声まで上がるほどで、甲子園としてはまったく珍しい光景だった。この試合、谷木が四安打する大活躍と吉沢の劇的な逆転サヨナラホーマーで早実を破って決勝に進出、優勝戦では下関商・池永正明投手(元西鉄)の快投にあって涙をのみはしたが、酷寒に耐え、黙々と労苦を積み重ねたことが、このすばらしいチームを生み出したのだろう。飛沢栄三野球部長の、「おまえたちは野球界に革命をもたらすんだ。北海道の開拓者になるんだ」の言葉が立派に生かされたのだ。>

(「ああ甲子園」松雄俊治/スポーツニッポン新聞社出版局)

今大会は、初出場が六校だ。

例年七~九校出てくるから、まずまずか。

しかし今春のセンバツは、出場三十二校中、十二校が初出場で、何故、これほど回を重ねて、伝統校がひしめき、清峰のような新たな強豪が生まれて、もうこれ以上は出てきようがないと思えるような中を、毎回毎回初出場が出てくるのか。

全く不思議である。

今は名門校に選手の数が集中する傾向が強く、才能ある選手のスカウトもかつて以上に、全国規模で、移動にも苦痛を感じない十代が増えている。

北海道では駒大が部員数第1位で、百人を超えると、監督も捌き切れないのではないか。

今大会1位の百三十人は千葉経済大付属で、これは『週刊朝日』の朝日新聞社調べで、千葉県高等学校野球連盟の調べでは、百三十二人で、いずれにしても、今大会では1位で、千葉県内でも八千代松蔭と並び、第1位である。準決勝で争った習志野(市立)が第3位で、四位に東海大浦安、以上いずれも百二十名を超える。決勝で争った拓大紅陵が第6位と、結局は、北海道もそうだが、名門校にぎっしりと一極集中化してきている。

履正社、近代付属、PLと難敵ぞろいの大阪で、今大会の優勝候補最右翼の大阪桐蔭を相手に堂々の延長12回を戦ったのは、金光大阪で、2002年にセンバツ初出場し、ここも百三十人の部員を誇る。

オレの母校(札幌南高)も、駒大と同じ南北海道という地域で、2000年に六十一年ぶりに甲子園出場し、話題となった。初戦でPLに負けたけれど、かつて甲子園で1勝はしている。しかもまぐれではなく、その出場2年前にも決勝で涙を呑み、いつも札幌地区を勝ち抜いて、南北海道大会の常連校である。

南高はかつて(オレの在学中)四百五十人だった定員が今は三百五十人で、しかも女子が大幅に増えている。その中にあって、1084名(男子573名・女子511名)中、北海道内6位の六十六人の部員がいる。十人に一人以上が野球部員かよ。

びっくりした。北大の医学部はじめ、国立大学の医学部進学率が全国で1位を二十年以上記録(確か二年前に二位に落ちた)してきたような学校で、何で野球は盛んなのか。甲子園と言う魔物に取り付かれているからであろう。その成せる業で、部員数の極大と極小(過密と過疎)が進み深刻化している北海道の一端を担っている。

鳥取県25校とか、福井県29校など、とてももう初出場など出てきそうに無いが、これもよくわからない。

鹿児島は、樟南(旧・鹿児島商工)、鹿児島商業、鹿児島実業の超協力三つ巴で、五十三年ぶりに県立高校の鹿児島工業が初出場で、一体何が起こったのかと思ったが、部員数を見ると、八十三人とこれがやけに多い。

一度も甲子園にでていなくとも、これだけの部員数を集めて練習している姿が、何処からでも目指す連中がいて、そこが面白い。

それにしても神奈川と大阪は、2校を代表にしないと、公平性という点で、もうどうしようもないのではないか。大阪から他地域への逸材の流出は避けられないのではないか。

部員数の数では、2校代表出来る北海道と東京がそれぞれ、7,605人、10,889人に対し、大阪と神奈川は、それぞれ8,430人(205校)、8,052人(197校)

同じ1校出場でも、鳥取は969人(25校)である

以下は、今大会の早見表を作った。

春夏ともに優勝を経験している高校は6校もある。

夏が12、春が11で、優勝経験校は、全部で16校。

春夏連続出場は10校。

夏の連続出場は10校。

四年連続が駒大苫小牧。

三年連続が熊本工、青森山田。

二年連続が、関西、清峰、福井商、智弁和歌山、大阪桐蔭、愛工大名電、佐賀商、

明徳義塾は決勝で延長の末に負けたが、勝っていれば事実上の九年連続出場だった。

日大三高も四年連続出場(西東京史上初)をを決勝戦、延長の末リードしながらサヨナラ負けで逃した。昨年準優勝の京都外大西は、準決勝で福知山に敗れ、三年連続を逃した。

遊学館も決勝で三年連続を逃した。

部員数

私立は無表示

出場(カッコ内は春)

130人

千葉経大付

2年ぶり2度目

108人

福知山成美

7年ぶり2度目

107人

熊本工

三年連続18度目(19回)

準V

105人

駒大苫小牧

四年連続6度目(2回)

連続V中

101人

浦和学院

2年ぶり8度目(6回)

100人

青森山田

三年連続7度目(1回)

96人

横浜

2年ぶり12度目(11回)

91人

日本文理

2年ぶり4度目(1回)

金沢

3年ぶり11度目(8回)

10

86人

文星芸大付

6年ぶり9度目(2回)

高知商(市立)

9年ぶり22度目(14回)

準V

12

83人

香川西

3年ぶり2度目

鹿児島工(県立)

初出場

14

81人

福岡工大城東

9年ぶり2度目(3回)

専大北上

6年ぶり5度目(1回)

16

78人

関西

二年連続7度目(8回)

17

77人

仙台育英

5年ぶり19度(8回)

準V

準V

如水館

5年ぶり5度目(1回)

19

76人

常総学院

3年ぶり10度目(6回)

20

75人

清峰(県立)

二年連続2度目(1回)

準V

21

73人

福井商(県立)

二年連続17度目(17回)

準V

八幡商(県立)

6年ぶり6度目(7回)

23

69人

光南(県立)

初出場

早稲田実業

10年ぶり27度目(18回)

南陽工(県立)

28年ぶり2度目(3回)

延岡学園

6年ぶり5度目(2回)

27

68人

県岐阜商(県立)

2年ぶり26度目(26回)

28

65人

東洋大姫路

5年ぶり11度目(6回)

開星

4年ぶり4度目

30

62人

本荘(県立)

18年ぶり3度目

甲府工(県立)

7年ぶり8度目(5回)

32

61人

天理

4年ぶり23度目(17回)

徳島商(県立)

6年ぶり21度目(19回)

34

59人

日大山形

8年ぶり14度目(3回)

35

58人

桐生第一

2年ぶり8度目(2回)

36

57人

佐賀商(県立)

二年連続14度目(6回)

三重

11年ぶり9度目(9回)

V

38

56人

愛工大名電

二年連続8度目(8回)

大阪桐蔭

二年連続4度目(2回)

40

55人

鶴崎工(県立)

17年ぶり3度目

41

51人

今治西(県立)

3年ぶり9度目(8回)

42

48人

松代(県立)

初出場

43

47人

帝京

4年ぶり9度目(12回)

静岡商(県立)

32年ぶり9度目(6回)

白樺学園

初出場

46

43人

倉吉北

4年ぶり6度目(4回)

47

39人

福岡(

富山県立

初出場

48

31人

八重山商工(県立)

初出場(1回)

49

30人

智弁和歌山

二年連続14度目(7回)

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